2-9.イルサーム①
頭にターバンやバンダナを巻いた人が、石畳のない土の路地を行き交う。白や赤のチェックの長衣や合わせ羽織。女性はみんなローブ姿で、フードを深く被るか、布を頭に巻き付け髪を隠している。乾いた土と鼻をつく香辛料が、あたりに漂っていた。
リモナはフードの中でむずむずした。「暑くない?」
アズラクは目を丸くしてリモナを見下ろした。いつもの羽織姿で涼しそうな顔をしている。
なんだか不公平だ。
「こんなの普通だ」長衣の男がぼそっと言う。大人しくアズラクの隣に並んでいるが、見えない風のロープで両手を縛られている。
「いや、アズもおじさんもそれだけだからいいけどさぁ、あたしそもそもドレス着てるんだよ? てかこれ着なきゃならないの?」リモナはフードの襟を広げた。
「はいはい、これでいいか?」アズラクはリモナのローブの中に風を送った。
「あ、ひんやりー」リモナはほぅと口を開けた。
「ていうかお前、あんまり喚くなよ。オルテンザ語、目立つんだからな」長衣の男が小声で言う。
「おじさんが連れて来たんじゃん」リモナはフードの中に引っ込んだ。
土造りの建物が並び、その前には市場が広がっている。トウガラシやシシトウ、ターメリックにクミン。色彩豊かな野菜や果物がたくさん並ぶ。きれいな文様の布や器も。
するとふわっと肉とスパイスの匂いが漂ってきた。
うわぁ、よだれ垂れる。
ついでにお腹も鳴った。
「おい」アズラクが長衣の男に言う。「お前、あれ買ってこい」
「な、なんで俺が……」男は怪訝な顔をする。
「お前しか金ないんだから、仕方ねえだろ」アズラクは面倒臭そうに言う。「行くよな?」両手の拘束をきつくする。
男は舌打ちした。渋々肉の屋台に向かい、野菜の肉巻きを買って戻って来た。「ほらよ」
アズラクは全部奪ってリモナに渡した。「ほらよ」
「わーい! おじさん、太っ腹ぁ!」リモナは手掴みで一つ口に入れた。「うわっうま! アズもほら!」
アズラクはリモナが掴んだ肉巻きをそのまま食べた。「確かに」それにやっぱり懐かしい味だ。
「それで、これからどうするんだ?」長衣の男は恨めしそうに二人を見た。
アズラクは値踏みするように男を見た。「お前、神話に関してどこまで詳しいんだ?」
「どこまでって、よく知られている話なら一応……」
「じゃあ洞窟がどこかも知ってるのか?」ここまで漏れ聞いた話によると、ランプはどこかの洞窟に隠されているとか。
「それは……」男は首を傾げた。「色んな説があって……」
「場所は分かるのか?」
「いくつかは、まぁ……」
アズラクは頷いた。「案内しろ。リモナ、行くぞ」
赤と黄色の混ざった鳥と睨めっこしていたリモナは、呼ばれてアズラクについて行った。
途中、陶器の屋台を見て目を丸くした。
陶器には、アズラクによく似た青髪の人の絵が描かれていた。隣には赤い髪の男の絵も。
街を抜けると、アズラクは市場で男に買わせたアラベスク模様の絨毯を地面に広げた。
「どうぞ、ご主人様」
「へ? こんなところでピクニック?」リモナは言われたまま絨毯に座った。
するとふわっと絨毯が宙に浮いた。
「わぁ、なんか変な感じ!」
「どうだ、乗り心地は」アズラクは首を傾げた。
「うーん、竜巻クッションのがいいね」
「じゃあやめ」
アズラクは絨毯の代わりに竜巻クッションをリモナの下に敷いた。荷物になるのもなんなので、長衣の男を絨毯で簀巻きにする。
「何の茶番だ、これ」長衣の男は呆れたように二人を見た。
アズラクは二人を浮かして空を飛ぶ。
乾いた砂と生暖かい風が吹き荒ぶ。あたり一体は赤色の砂漠となった。
「すっごく何もないね!」リモナは茶色のまんまる目を見開いて砂漠を見渡した。「あ、変な馬!」砂の山の間に見えた馬を指差した。背中にこぶが付いている。
「ラクダだな、あれは」アズラクは目を細めて眺めた。
「へえぇ。アズと放浪してから初めて見るものばっかりだよ」リモナはクッションの上で足をぶらぶらさせた。
「何でこの女は終始目をキラキラさせられるんだ?」男は簀巻きの中でげんなりした。
「そういうやつなんだよ」アズラクは肩をすくめる。
三人がラクダの上を通過すると、引いていた人は目を丸くして腰を抜かした。
空を飛ぶ娘と巻いた絨毯と、青髪の男……。
青髪の空飛ぶ男?
引いていた人は、三人が飛んでいった方を向いて地面にひれ伏した。
砂漠の上を飛びながら、アズラクは次々既視感を覚えた。
このあたり、飛んだことがある。気流の雰囲気や空気の重さに馴染みがあった。というか、しょっちゅう飛んでいたあたりだ。
「なぁ、都はあっちの方か?」アズラクは西の空へ指を差した。
「あっちには昔の城壁しかない。今はあっちの川沿に都がある」男は簀巻きのせいで手を動かせないので、顎で示した。
「そうか」
アズラクは目を細めた。
まぁ、何千年も時代が変われば都も変わるか。
ここはどんな風に文明が変わったんだろう? オルテンザみたいにからくりだらけなのだろうか?
「あ! そういえば工具箱……!」リモナは今更顔を青くした。
「安心しろ。ヴェントーリの屋敷に置いたままだ」
「あ、そっかぁ」リモナは竜巻クッションに深く腰掛けた。「戻ったらちょうど良く昇降滑車の部品出来てるかな」ふんふん言いながら身体を揺らす。
「お前たち、オルテンザに帰る気でいるのか?」長衣の男が驚いたように尋ねる。
「うん、アズの友達に会ったらね」リモナは当然のように言う。
アズラクも長衣の男を変な目で見た。
「ま、待て。ランプを持ち出した上にオルテンザに帰る気か?」長衣の男は動揺した。
「ランプ?」リモナは首を傾げた。市場から持ってきたグレープフルーツにナイフを入れる。
「だ、だってお前……」のんきに果物なんか食って、状況を理解しているのか? 長衣の男は答えを求めてアズラクを見た。
「お前らの事情なんぞ知るか」アズラクは肩をすくめた。「それに魔神の一人や二人、今じゃあどうってこともないだろ。必要とされてないどころか、気味悪がられてるくらいだし」それでミラージャから追い出されたんだしな。
「あたしはアズにいてほしいよ。普通にかっこいいし好きだし」リモナはグレープフルーツを口に入れながら言う。「んっ、やっぱり酸っぱい」
アズラクは目を丸くしてリモナを見た。
こいつ、こういうところ末恐ろしいな。
風がべしべし簀巻き絨毯を叩く。
「うわっなんなんだっ」男が声を上げた。「いや、お前、オルテンザはそうかもしれないが、イルサームは違う」
アズラクは赤くなった顔を冷やして、男に目を向けた。
「イルサームなら歓迎する。何せ、いにしえの軍神と創造神だ。みんなひれ伏すし、他所にはやれねぇ」男は顔を歪めた。「だから帰るってんなら、俺は案内役降りるぜ」
アズラクは目を細めた。
まったく、融通の効かない人間だな。別にひれ伏されようが気味悪がられようが、正直どうでもいい。
このぽわぽわ腑抜けた主人のそばにいられれば——。
「そういえば俺、このあたりのサソリの巣穴の場所、知ってるんだよな」アズラクは何でもないように言う。
長衣の男は息を飲んで顔を真っ青にした。
「ぅげ。何でそんなの知ってるの?」リモナは顔を歪めてアズラクを見た。
「昔命令されて掘り起こしたことがあってさ」しかしあんまり意味はなかったな。人間がバタバタ死んだだけだった。
「へぇ……」リモナは身震いするが、あ、と思い出した。「そしたらアズ、サソリ触れるの?」
「あ? まぁ」
「サソリの刃と毒針がどうなってるか、気になってたんだよね。あれ何かに使えないかなと思ってて」リモナは顎を掴んで唸った。
この女、正気か? 長衣の男は身震いした。
あんなものをからくりに使うとか、やはり指輪の魔神を従えるだけあって、実は危険な女なのかもしれない。
「あ、なんかぐるぐる三角の屋根がある!」
前方に見えてきた建物を、リモナは指差した。
螺旋状に円を描いた三角の建物に、大きな丸い屋根の白い建物。屋根の淵には惜しみなく金があしらわれていた。
「神殿だ」長衣の男がぶっきらぼうに答える。
昔には無かった建物だが、建築様式は大して変わっていない。
アズラクは、神殿の横をびゅんと通り過ぎた。
神殿の街の住人は、空飛ぶ青と小さな竜巻と巻き絨毯を見て、あっと指差した。
「あ、ねえ、あれアズみたい!」
リモナは神殿の屋根を指差した。
屋根の上には、両手に鳥の羽の付いた羽織姿の男が、青い石で形作られ飾られていた。
「ここらへんがアズの故郷なの?」リモナは首を傾げた。
「いや、知らねえ」あんな建物は昔はなかったし、こんな風に飾られるほど、丁重に扱われなかったし。
アズラクは構わず街を通過する。
「なあ、分かっただろ? お前が今どんな存在かって」長衣の男は説得するように言う。
アズラクは冷めた目で男を見、何も答えなかった。




