2-8.誘拐船②
「うえぇ……気持ち悪い……」
リモナは甲板に仰向けに寝ていた。
ようやく両手両足の拘束が取れて大の字になれるけれど、胸がむかむかする。
「アズ、時々親方の扱い雑じゃない? うえぇ」
「まっすぐ飛んできただろ?」アズラクは冷たい風を送りながら言う。「お前がこんなところに連れて来られるのが悪い」
「知らないよぉ。なんか起きたらいたんだもん。ああ、こっちに風当てて」
「おい、頼むから俺をここから下ろしてくれ」
長衣の男が声をかける。
男は、マストにぐるぐる巻きにされていた。
「あれ、他の人どうしたの?」あんなにいっぱいいた白い人がいない。
「シャチにやった」
「へぇ、シャチ……」
んん?
どういうこと?
「あ、あの……」
気弱な声が聞こえてきた。
船倉から、少年少女が上がって来た。
吐瀉物に塗れて臭かった彼らは、アズラクの海風旋風で、だいぶマシになった。
「僕たち、どうなるんですか……?」少年が尋ねた。
「ひっく、お願いだからシャチの餌には……ひっく」
「やらねえよ。一体俺をどんな獰猛な生き物だと思ってんだか」アズラクはため息まじりに言う。
いや、時々結構獰猛で豪快じゃん。
リモナは半目でアズラクを見た。
「もう大丈夫なの?」
リモナはごろんと寝返りを打って、さっき酔い潰れていた女の子を見た。女の子は恥ずかしそうに顔を赤らめて下を向いていた。
「アズ、風の魔法使うなら、せめて船の揺れはなんとかしてよね。ダメな子はダメなんだから」リモナはアズラクを見上げて言う。
アズラクはぶすっとリモナを見下ろし、リモナの顔に大量の冷風を吹き付けた。
「あば、あばあばっ」
「お前たち、どこから連れて来られたんだ?」アズラクは少年少女に尋ねた。
彼らはお互いに目を見合わせた。
「私は起きたら薄暗い倉庫にいて……」
「僕は狩りの途中で」
「僕は珍しい鷹がいるからって」
「そのおじさんが、天国のママに会わせてくれるって……」一番小さな女の子が泣き出した。「ママに会いたいよぉ」
アズラクはマストを見上げた。「おい、どんな風に死ぬ?」
「い、いや、勘弁を」長衣の男は声を引き攣らせた。「ガキ共が退屈そうだったから、冒険を与えてやったんじゃないか」
「嘘だ! お前、急に森に現れて僕を捕まえたじゃないか!」少年が強気に声を上げる。イルサーム語を通訳してくれた子だ。
「黙れガキが。お前のはとこが俺に依頼したんだよ」長衣の男が言い返す。
「私たちどうなるの? もう帰れないの?」
少女が両手で顔を覆ってうずくまった。それを見て、一番小さな女の子が更に泣いた。
少年の片方は強気に奮い立たせているが、もう一人は泣きそうな顔を必死に堪えている。
そうだよね。
いきなりこんな知ってる人のいない海の上に連れて来られたら、不安だよね。
「アズ」リモナは少年少女に目を向けたまま言う。
「なんだ?」
「この子たち、お家に帰せないかな?」
アズラクは少年少女を見た。「それは、命令か?」
「うん?」リモナは一瞬アズラクを見上げると、再び少年少女に目を戻した。「うん、命令」
アズラクは狼のような青い目をきらめかせた。
「承った」
オオワシに乗って、少年少女が遠ざかっていく。
「あれでちゃんと帰れるの?」リモナは船の手すりにつかまって眺めた。
「帰れるよ。あいつのが土地勘あるし、オオワシってのは昔から話が分かるやつだし」
「ふーん。そんなもんなんだね」
アズラクの世界は時々不思議でよく分からない。熊と話したり呼んだらオオワシが飛んできたり。指輪から出てくるのも、いまだに謎だ。
「なぁ、俺はいつ下ろしてくれるんだ?」長衣の男が言う。
「あ、あの人まだいたんだ」
「忘れてた」
二人はマストを見上げた。
男は潮風にずっと晒されて、顔がしょぼしょぼしている。
「お前、何でリモナを攫ったんだ?」
アズラクは甲板に腰掛けて聞いた。
隣でリモナは、船倉にあったグレープフルーツをナイフで剥いた。「んんーすっぱ!」
長衣の男はぐっと唸ったまま何も言わない。
「おい、もう一回シャチ呼ぶか?」アズラクは甲板に仰向けに横になった。リモナの手からグレープフルーツをひと粒横取りする。
「……お前だよ」長衣の男はぼそりと言った。
「あ?」アズラクは眉を上げた。
「風を操る指輪の魔神、イルサームの軍神だ。在るべき場所に戻るべきだろう」
アズラクは首を傾げて男を見上げた。「お前、イルサームの人間か?」
「え、そうなの?」リモナは目を丸くしてアズラクと長衣の男を見比べた。「アズのが外国人ぽいよ?」あの人はそんなに肌黒くないし。
「色々混ざってんだろ、知らねえけど」アズラクは面倒臭そうに首を回した。「で、どうなんだ?」
「そうだ……俺はイルサームだ。オルテンザには、たびたび仕入れに行く」
「人間をか?」
長衣の男は黙った。
「で、リモナを見つけて指輪を奪おうとした。そうだろう?」
「え、そうなの?」
リモナは目と口をぎゅっと顔の中心に寄せた。
確かに指輪を外せって言われたような。ああ、酸っぱい。
「在るべき場所とか高尚なことほざいて、お前が使役したかっただけじゃないのか?」アズラクは嘲笑った。たかが人攫いが国のために働くとは思えない。
長衣の男は唸ったまま、何も言わない。
「ところでこの船、どこに向かってるの?」今更リモナは気になった。前方をじっと見る。「なんか丘が見えて来たよ」
「<ああ、助かった……>」長衣の男がイルサーム語でぼそっと言う。
アズラクは身体を起こして前方の丘を見た。
「あれはどこだ?」長衣の男に尋ねる。
長衣の男は、マストにぐるぐる巻きにされたままの締まらない格好で言う。
「|アハラン・ワ・サハラン《ようこそ》、イルサームへ」
流れてくる匂いに、アズラクは懐かしさを覚えた。




