2-8.誘拐船①
ふわふわ、ぷかぷか。
カモメと一緒に飛んでる。
へへへ、アズの方が断然早いや。
あ、アズ、ずるい! オレンジのクッションなんて作って。
あたしにも、あたしにも。
うわっ。オレンジの海に飲まれる。
うへへへ、がぶ飲み放題。食べる方のが好きだけど、これはこれでしあわせ。
あれ、アズは海に入らないんだねぇ。もしかして泳げないの?
お、魚がいる。
このまま食べちゃうぞー。
うわあ! タコのスミ!
ええい、かぶり付いてやる!
ペペ、やっておしまい!
「うへへ、うへへへ」
リモナはよだれを垂らして寝返りを打った。
男たちはけげんな目でそれを見下ろした。
「こいつ、拉致されてきてんのに、何でこんなに幸せそうに寝てるんだ?」
「はにゃあ、ちがうちがう。タコの足をネジ締めるのはこっち。こっちはスパニャニャニャ」
「おい、これなんて言ったんだ?」男たちは部屋の隅に向かって尋ねた。
隅には、両手両足を拘束された身なりのいい少年少女らが、肩を寄せ合い座っている。
「タコの足がどうたらと言っています……」一人がイルサーム語で答えた。
「タコの足……?」
男たちは眉をひそめて顔を見合わせた。
オルテンザでそんなのが流行っているのか?
「おい、進捗はどうなっている?」
別の男が階段を下りてきた。
長衣を着た男だ。
「全然だめだ。まったく外れねえ」
男の一人が答える。
頭に白いターバンを巻き、簡素な白い合わせ羽織。腰には三日月状の剣――イルサームによくある格好だ。
長衣の男は煩わしくため息をつく。「仕方ない。指を切り落とせ」
イルサームの男たちが一斉に息を飲んだ。「そんなことをしたらこの娘。使いものにならなくなる」
「ふん、女など指の一本や二本なくても足を開けば生きていける」長衣の男は冷たく言い放つ。「それが嫌なら叩き起こして外させろ」
「血も涙もねぇなぁ」イルサームの男は身震いした。「おい、女。起きろ」リモナの頬をぺちぺち叩く。
「はむはむ、カワハギの味ぃ」リモナは男の手を食んだ。そしてペッと口を離して舌を出した。「うえぇ、腐ってるぅ」
見ていた男たちは思わず笑った。オルテンザ語は分からないが、娘の表情で何を言ったかは想像できる。
リモナを叩いていた男は顔を赤らめて、思いっきり腕を振り上げた。
「ぅわわあ!」
思いっきり頬を叩かれて、リモナは飛び起きた。頬がジンジンする。
しかし上体を起こそうにも両手が動かなかった。
薄暗い部屋。潮の香りがする。
目を上げると、白いターバンを巻いた男が、リモナを覗き込んでいた。「おじさん、誰?」
「~~~」おじさんは何か話すが、何言っているか全くわからない。
「え、なんて言ったの?」リモナは寝返りを打って耳を上に向けた。「ちょっともう、分かる言葉で話してよー」
「~~~」おじさんは相変わらず何言っているか分からない。
リモナはふと、地面が上下に揺れているのに気が付いた。
え、なんだろうこれ。
まるで船に乗っているような――。
「指輪を外せって……言ってるよ」
小さな声で誰かが言った。
声のした方を向くと、リモナよりも幼い少年少女が、身を寄せ合って座っていた。
「へ、どういうこと?」リモナは目を丸くした。
「は、早くしないと、指切られちゃうよ」さっきの子が脅えた声で言う。
「指切られちゃう? へ、このおじさんと何の約束もしてないけど?」
「そ、そういうことじゃなくて――あ、危ない!」
「え?」
リモナは目を上げた。
白いターバンの男が、剣を振り上げていた。
「い、いやいやいやいやいや!」
リモナは床を転がった。
男の剣が、さっきまでリモナがいたところに突き刺さる。
「ちょっちょっちょっとおじさん! いきなりそういうのは良くないって!」リモナは身体を捻りながら上体を起こした。「いや、いきなりじゃなくてもダメなんだけど!」
「~~~~!」
男は相変わらず通じない言葉で向かってきた。
再び剣を振り上げる。
「いや、待って待って!」リモナは首を振った。「ねえ! この人に何か言ってよ!」さっきの子に訴えかける。
「<指輪を外すって言ってます!>」少年がイルサーム語で叫んだ。
何を言ったのかさっぱりだが、男の手が止まった。「<本当か?>」男は少年を見る。
少年は蒼白な顔で頷いた。「ほら、指輪を外して」リモナの方を向いて言う。
「ゆ、指輪?」さっきもそう言ってたけれど。「アズの指輪のこと?」
「~~~」
男は何か言ってリモナに手を出した。
指輪を寄こせって言ってるの?
そんなことをしたらアズラクに怒られるのでは……。
あ、そういえばアズはどこ?
指輪こすったら来るんだっけ。
リモナは手の中でサファイアをこすった。
すると船が大きく左右に傾いた。
「わわわ」
男たちがバランスを崩して横に倒れる。リモナと少年少女たちは、船の傾きにつられて転がった。
上から別の男たちがやってくる。
「<おい! 波がいきなりやべえぞ! 急いで帆をたため!>」
「<こ、これは、もしや……>」部屋の端にいた長衣の男が、息を飲んだ。
もくもくと煙が立ち込める。
誰かの泣く声が聞こえる。「僕たち死んじゃうのかな」
「だ、大丈夫! アズだから!」
「——お前、呼ぶの遅えんだよ」
急に耳元で言われて、リモナはわっと飛び上がった——ように転がった。
見上げるとアズラクの狼のような青い瞳と目が合った。
「あ、アズだ」
「アズだ、じゃねえよお前。どんだけ心配したと思ってんだ」
「だ、だって、あたしもよく分からないんだけど——」リモナはごろごろ転がった。
「<あ、あいつ……どこから現れたんだ?>」
「<あれが指輪の魔神……>」
アズラクは声のした方を向いた。
白い衣装の男共に、長衣の男。白い方は手に三日月型の剣を持っている。
「<何だったんだ、さっきの波。急に収まったぞ>」階段の上から、同じような白衣装が降りて来た。
隅から聞こえるすすり泣く子供の声。
そして縛られたリモナ。
リモナは茶色のまんまる目を丸くしたまま、床をごろごろ転がっている。
船が再び大きく傾き出した。
「わわわ!」リモナは傾いた方に転がっていく。
「リモナ、こいつらに何された?」アズラクは低い声で言う。
「へ? 分かんないけど、指切られそうになった! あわわ!」
船は反対側に大きく傾いた。
リモナは傾きに合わせて転がっていく。
「他には?」
「他? 覚えてないけど、なんか思いっきり叩かれたような……ほわぁ!」
船は上下に大きく波打った。
リモナの身体は一瞬浮いて、地面に叩きつけられた。
「お前たち、ここで捻り殺されるのとシャチに食われるの、どっちがいい?」アズラクは低い声で言う。
「<しゃ、シャチ?>」男の一人が言う。「<何言ってんだよ、この海峡にそんなのいるわけ——>」
「見せてやるよ」
アズラクは不敵に笑った。
白いやつも長衣のやつも含めて宙に浮かし、船倉から連れ出していく。
上下左右に揺れる船倉の床を、リモナは浮いたり転がったり、止まっている余裕がなかった。ひっくひっくと泣く声があたりに響く。
「私たち、どうなっちゃうの?」
「うぇぇ、気持ち悪い……」
酸っぱい生臭いにおいが、船倉に充満する。
うえぇ。
この匂いはリモナも流石にきつい。
「み、みんな。船は波に乗れば酔わない——ほわわわぁ!」
ごろごろ転がる先が、地獄だった。
いやいや、流石にそっちは無理!
リモナは身体を捩って軌道修正する。
ほっ。なんとか吐瀉物に塗れずに済んだ。
と思ったら、こっちに流れてくる。
「こんなの、タコの墨のが全然いいよぉ!」
リモナはごろごろ転がって吐瀉物の襲来と戦った。
……う。回り過ぎて気持ち悪い。
すると外から絶叫が聞こえてきた。船はいっそう激しく揺れる。
うえぇ。何が起こってんの?
もう限界——。
「うわ、なんだここ。くっせえな」アズラクが降りてきた。
「あ、あ、アズ、う……」
アズラクは目を見開くと、勢いよくリモナを甲板へ上げた。
え、ちょお、待って!
この状態で動かされたら——!
アズラクはリモナを下向きに海の上に上げた。




