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からくり娘と三人の魔神  作者: ふたぎ おっと
タイル2.リモナとポンコツ旅とランプの魔神
29/38

2-7.魅惑の香②

「リモナ」

 円形に並べたソファの中央に座るチェザーレ夫人が、優しく話しかけてきた。「こちらの皆さんに、リモナの素敵な旅のお話を聞かせてやってくださいな」

 リモナは部屋に集まる面々を見た。

 みんな艶やかな髪にヘッドドレスやヴェールを付けて、素敵なドレスを着てにこにこしている。みんな扇子の陰でくすくす笑って、とても楽しそうだ。

「あたしもまだ旅初心者なんですけどね」

 へへへと、リモナはマーマレードを香草湯に垂らして口を付けた。

 わぁ、この飲み方うま!

 ヴェントリー邸に来てからオレンジ天国だ。

「アズと一緒に森で水を飲んでたら」

「森で水」一人が扇子の陰で鼻にしわを寄せた。「それは野性的ですこと」

「そうなんです!」リモナは両手を叩いた。「あたし、それで初めて熊を見て!」

 婦人たちは揃って脅えた声を上げた。「まぁ恐ろしい」

「あ、でもそんなに怖くなかったですよ、アズが話してたし」

 リモナは顎に人差し指を置いて首を傾げた。

 でも確かに、猟師のおじさんは脅えてたな。

「それで森の猟師さんのところで毛皮作ることになってー。あたし、毛皮があんなに臭いって知らなくって」リモナは思い出し笑いした。

 すると婦人方はお互いに目を見合わせた。一人は扇子の上についたうさぎ皮をさりげなく振った。

「でもあたしとアズが作ったイタチの毛皮が思いの外いい出来だったみたいで、ルカ卿が気に入ってくれてるんです。オレンジの匂い付けたのが良かったのかな」

 婦人方は再びお互いに目を見合わせた。空気が少しばかりぴりつくが、リモナは話すのに夢中だった。

「そ……それは是非ともわたくしたちにも見せてほしいですわね」婦人の一人がひきつった声を上げた。

「剥いで乾燥させたての皮があれば、多分再現できます!」リモナは両手を叩いた。「あのジグ、ごく簡単に作った割には、いい働きしてくれたなぁ」

 婦人方は扇子の陰で項垂れた。

 この子、一体何語を話しているのかしら?

 言葉は通じているようなのに、まるで空気を読まない。しかもさらっとルカ卿に気に入られている話を交えたわ。

 一体なんなの、この子。

 婦人方はチェザーレ夫人に目配せした。

 驚くことにチェザーレ夫人は、まったく動じていない。

「ところでリモナ」チェザーレ婦人が言う。「ずっと気になっていたことを聞いても良いですか?」

「はい?」リモナは首を傾げた。

「あなた、ルカ卿をお慕いしているのかしら?」

 婦人方は一斉に扇子の陰に隠れた。

 チェザーレ夫人ったら、遂に聞いてしまったわ。

 リモナはにっこり答えた。「もちろんです」

 瞬間、空気が冷え込んだ。

「ま、まぁ、お慕いする気持ちはどうにもできませんからね」婦人の一人が言う。

「お気持ちと現実はまた別ですから」一人はひきつったように言う。

「儚い夢だわ」一人は目元を拭うふりをした。

 リモナは首を傾げた。「え、だってルカ卿のことは、皆慕いますよね?」

 ご婦人方はお互いに目を見合わせた。

 チェザーレ夫人が咳払いをする。「当然です。あんなに出来たお人はなかなかいませんもの」

 リモナはうんうんと頷いた。

「でしたら、あのイルサームの奴隷とはどういう関係ですの?」婦人の一人が尋ねた。

「奴隷?」リモナは目を丸くした。

「これ、彼は奴隷ではないのですよ」チェザーレ夫人が扇子の陰から言う。「なんでも魔神なのだとか」

 まぁと、婦人方は扇子の後ろから声を上げた。

「あぁ、アズのこと?」リモナは首を反対側に傾げた。「アズは指輪の魔神で、うーん」リモナは唸った。「あたしが主人で親方だから、アズは見習いで弟子で――」

 婦人方は再度、扇子の裏で目配せし合った。

 やはりこの娘、どこかがおかしいのではないの?

 まったく意味が分からない。

「でもリモナ」チェザーレ夫人がリモナの思考を遮った。「いくら気心知れた間柄だとしても、朝から起き抜けに二人で部屋にいるのは、あまりよろしくないことなのですよ」

「そうなんですか?」リモナはマーマレードを塗った焼き菓子を大口を開けて食べようとしたところで首を傾げた。

「当然でしょう」

「何を言っているのかしら」

 婦人方が小声で囁いた。

「それとも——本当はそういう関係なのかしら」チェザーレ夫人は困った猫に向き合うように、頰に手を当てて首を傾げた。

 婦人方は扇子の裏からリモナの反応を待った。

 リモナは——堪え切れなくて焼き菓子を口に入れた。

「アズとは毎日オレンジ食べてますよ」リモナはテーブルの上の焼き菓子を見つめて言う。

 チェザーレ夫人と婦人方は、揃って扇子の裏でガクッとした。

「リモナ、そういうことではなくて」

「あ、それか、あれか」リモナはやっぱりもうひとつ、焼き菓子を取った。「アズはお願いしたらいつも飛ばせてくれるんです」

「ねぇ、どういう意味? そういう意味?」扇子の陰で婦人がひそひそ確認する。

「分からないわ。もう、あの子が同じ言語放ってるとは思えないもの」

「えへへっ。でも流石に昨夜は驚きましたね、あんなにいっぱいのオレンジ」リモナは昨日、部屋に帰ったときのことを思い出してくすくす笑った。「アズってば、本当にオレンジ好きなんですよね」

 婦人方は項垂れた。

 もうこの会話の行方が分からない。

 チェザーレ夫人は扇子の陰でしばらく目を閉じ、ため息をついた。

 もう、埒が開かない。

「そうそうリモナ」チェザーレ夫人は再び笑顔を貼り付けた。「あなた、オレンジ好きでしたよね?」

「はい」リモナは元気よく答えた。

「あなたに試してもらいたい飲み物がありまして。いかがかしら?」

 リモナは両手を上げて喜んだ。


 ソファで天井を向いて大口を開けて寝る娘を、婦人方は末恐ろしい目で眺めた。

「もう、なんなのこの娘。頭がおかしいわ」

「どうしてヴェントーリ卿とルカ卿のお気に入りなのかさっぱりだわ」

「恐ろしいほどはしたないですし」

 婦人方は口々に罵った。

「この娘は恐ろしい悪影響を振り撒いています」チェザーレ夫人が言う。「身の程知らずな田舎娘。膿はきれいに取り除かなければ」

 夫人は呼び鈴を鳴らした。

 侍女がすぐに応対する。

「例の男をこちらへ」夫人は手短に指示を出した。

 すると間もなくして、男が現れた。「へい」

「あなた、それがお望みのものですよ」チェザーレ夫人は顎でリモナを示した。

 男はソファで豪快に寝る娘を見た。彼女の右の中指に指輪がはまっているのを確認すると、男はにんまりした。


***


 リモナがふわふわシナモン色の三つ編みを揺らして飛んでくる。

 アズ、オレンジぃ。

 そう言って、オレンジの果肉を指ごとアズラクの口に突っ込んだ。

 アズラクはぺろりと舐めた。

 リモナはくすぐったそうに声を上げた。そばかすだらけのほっぺたが、オレンジ色に艶やかに染まる。

 どんな味がするのか気になって、アズラクはそれも舐めた。

 リモナはくすくす笑った。

 本当にオレンジ好きだよね。

 そう言って、新たに剥いたオレンジの片側を咥えると、反対側をアズラクに押し付けて来た。口の端から漏れる息が、オレンジ越しに伝わった。

 お前、こんなこと出来たんだな。

 アズラクは押し付けられた果肉を噛んで、食べ進めた。

 リモナは茶色のまんまる目でじっとこちらを見たまま動かない。このまま食べ進めて良いのか? アズラクは果汁を滴らせながら果肉を食んだ。

 あと少し。

 もう鼻がぶつかりそう——というときになって、リモナはオレンジから口を離した。顎に果汁を垂らしながら、無邪気に笑う。

 お前、ガキなのかあざといのか分からねえな。

 へへへ、とリモナは笑う。

 アズは嫌い?

 そう言って、首を傾げた。

 ああ。たまらない。

 嫌いなものか。

 むしろ俺は——。

 するとリモナはアズラクを押し倒した。魅惑的に笑い、羽織をはだけさせる。

 どうしたんだ、急に。

 やけに積極的だな。

 リモナは何も言わずにアズラクの首に頭を寄せた。

 その瞬間、ふわっと鼻腔をよぎった匂いに、アズラクは眉を顰めた。

——臭い。

 据えた汗と草の匂い。

 違う、リモナはこんな匂いじゃない。

 誰だ?

 押し除けたいのに、くらくらして身体が動けない。

 誰かの手が、羽織の中に入り込んで、肌を弄った。

 やめろ。

 その臭い手で俺に触れるな。

 俺が欲しいのは、こんな薄汚れた欲じゃない。

 蠢く手は、やがて腰から下へ降りていく。

 やめろ。やめろ——。

「——っ!」

 背中を引き裂くような鋭い衝撃が走った。

 ピシィッ!

「——うっ!」

「どうしたどうした! 昨日の傲慢な魔神様はどこに消えたんだ?」

 ひゅうっと風が一瞬持っていかれると、次の瞬間、再び焼けるような衝撃が走った。

 くそっ。

 何がどうなっている?

 何で俺が人間如きに鞭を打たれているんだ?

「——っ!」

「へっやけにしおらしいな。女にタマ握られたら、かの魔神様も大人しくなるのかねぇ?」

 チェザーレは再び鞭を振った。

 くそ。風が言うことを聞かないせいで、チェザーレの鞭が身体に直接響く。

 しかしおかげで頭が冴えてきた。

 アズラクは目を開ける。

 何処だ、ここは。

 石造りの壁に囲まれた薄暗い空間。アズラクは両手を枷に繋がれ吊るされていた。

「おお、ようやく魔神様のお目覚めだ」

 チェザーレが鞭を手でしならせながら、アズラクの周りをゆったり回る。壁側には昨夜の取り巻き共や給仕女もいて、女は胸元をはだけて男らの好きにさせていた。

「化け物もあっさり捕まるもんなんだな。随分気持ちよさそうに寝ていたぜ、お前」

 チェザーレははだけたアズラクの胸に、撫でるようにして鞭を這わせた。

 アズラクは顔を歪めた。

「しかし相当溜まってるみたいだなぁ。あのからくり娘では足りないか」

 チェザーレはアズラクの顎を掴んだ。値踏みするように眺め、舌舐めずりする。

「どうだ? 俺に泣いて跪けば、可愛がってやっても良い」チェザーレは鞭の先で尻を撫でて言う。

「閣下」給仕女が惜しみなく胸を晒して近寄った。「あたしも混ぜて下さいよ。さっきは悶えちゃって、可愛いからさぁ」

 女は後ろからチェザーレに抱き付くと、舌を出してチェザーレの口を吸った。

「お前も物好きだな」チェザーレは片手で女を抱き寄せ、舌を入れて深く口付けする。

 据えた汗と草と——糞が混ざった匂い。

 臭え匂いだ。

 チェザーレは女から顔を離すと、アズラクに顔を向けた。

「さぁ、分かるよな?」

 アズラクに向けて手の甲を向けた。

 ゴツゴツした汚い指。

 そんなものを俺に向けるんじゃねえ。

「どうした? 怖くて声も——ぅぁあああ!」チェザーレの悲鳴が響き渡る。

「閣下、どうしたの?」

「チェザーレ?」

 手を宙に上げながら見苦しく悶えるチェザーレを、取り巻きと給仕女が目を丸くして眺める。状況の分かっていない彼らは、半分笑っている。

「指が、指がっ!」チェザーレは腰を折った。「お前、何をした!」

 アズラクは何も答えずチェザーレが落とした鞭を浮かせ、大きくしならせる。

 チェザーレが目を見開く。「何を! やめろ!」

 やめてやる理由があるとでも思っているのか。

 鞭は勢いよくチェザーレに向かった。

「あぁぁああ!」

 激しい音を立てて、チェザーレに打ち付けられる。取り巻き共の間から、笑いが消えていく。

 鞭は再び宙で大きくしなる。

 女はいち早く入り口に向かった。しかし風で壁に打ち付けられる。女の服が一瞬にして引き裂かれた。

 そんなに男が欲しいならくれてやる。

 女の足を開かせ、チェザーレの腰から剣を抜いた。

「いや……いや! やめて!」

 女が絶叫した。

 腐った血の匂いが広がる。

 腰を抜かす者、おぼつかない足で入り口に向かう者。

 取り巻き共は怯えた目でアズラクを見る。

「や、やめてくれ……! ば、ば、化け物!」無様に足元から垂れ流しながら懇願する。

 虫ケラ以下の無様な連中だ。

 見るに耐えん。

 アズラクは取り巻き共から視線を外した。男たちは今のうちにと入り口に向かう。

 しかし向かったのは身体だけだった。

 ごろりと転がる無機質な目を見て、チェザーレは震え上がった。恐怖に見開く目を、イルサームの化け物に向ける。

 化け物は——鞭を片手にチェザーレを見下ろしていた。繋いでいた手枷は、地面に粉々に割れている。

 アズラクは鞭を振り上げた。

 チェザーレは跪いて地面に額をつけた。

「わ、わ、悪かった! 悪かった、謝るよ!」

 チェザーレは変な角度に向いた指を守りながら、媚びるようにアズラクを見上げた。

「ほら、少し悪ふざけが過ぎただけなんだ、分かるだろう? そうだ! そんな下っ端の女じゃなくて、もっと極上の女を用意するよ。それで許してくれるよな」

 化け物は何も返さなかった。

 空気が冷え込み、血の匂いが鋭く鼻を刺す。

「お、おお俺の領地もやるよ! 嫁も弟も! 領地は鉱山付きだ! どうだ?」

 化け物からは反応がない。

 チェザーレは涙声で笑った。

「な、なあ、なんか言ってくれよ! 許してくれるんだよな? ああ、そうだ。なんなら俺の爵位もやるよ! 望むなら靴でもケツでも舐めてやる!」

 アズラクは手を下ろした。

 興が醒めた。

 チェザーレは息を吐く。

「は、はは話が分かってた、たた助かるよ」言いながら、アズラクの靴に顔を近付ける。

 しかしぐえぇと汚い声を上げて、チェザーレは壁に打ち付けられた。首に鞭が巻き付けられていた。

 アズラクは血だらけのチェザーレの剣を浮かす。

 チェザーレは赤黒い顔を醜く歪ませ、失神した。

 アズラクは鞭の端を、剣で壁に固定する。

「お前など生きる価値も死ぬ価値もない」

 アズラクは羽織を整え、この石造りの空間からさっと出た。チェザーレに打たれた鞭の傷は、もうすっかり癒えている。

 どうやら酒場の裏手の地下だったようだ。

 付近から酒の匂いがぷんぷんする。

 アズラクは近くに置いてある樽で、地下の入り口を塞いだ。

 外はすっかり暗くなっている。

 俺は一体どれくらい寝ていたんだ?

 というか、何で寝ていたんだ?

 まったく覚えていない。

 アズラクは顔を歪めた。

 血生臭いし、人臭い。

 オレンジが無性に恋しくなった。

 いや、オレンジもいいけど、今はあいつの匂いを嗅ぎたい。

 そろそろ女の集いとやらも終わっているだろうか。

 先ほど見た夢を思い出して、アズラクは立ち眩みした。

 身体がひどく疼く。

 いや、まずはこの臭いにおいを洗い流すか。

 アズラクは昨日行った川までひとっ飛びして水を浴びた。清潔な木の匂いに癒される。昨夜洗いざらい持ち帰ったせいで、オレンジとレモンは一つも残っていなかった。

 少しくらい残しておくんだったな。

 アズラクはさっと水を乾かすと、リモナに付けた風の護衛に意識を向けた。

 何も感じなかった。

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