2-6.からくりとオレンジと賭博③
「えっと、あたしが作ったのはピアノ線がこうなってて、アルファベットがこうなってて」
「それだと確かに文字は印字出来そうだが、どうやって順番を決めるのだろう」学者が尋ねる。
「んーと、それはここの歯車とバネと空圧シリンダで順番を決めてて」リモナは石盤に絵を描き足していく。
「空圧シリ……?」ルカが首を傾げた。「どういう機構のものなのだろう?」
「空気で押す感じのやつなのね、こんな注射器みたいなやつ」リモナは石盤の余白に注射器を足した。
「待ってくれ」ヴェントーリ卿が神妙に言う。「クラヴィコードみたいな鍵盤楽器のような構造だね、これは」
「あ、そうそう!」リモナは両手を叩いた。「ミラージャの役場に置いてあるクラヴィコードを一回中覗いたことがあって、そこから思いついたんです!」
一同はほおーと感心した。
学者は大急ぎで今聞いた話を羊皮紙に書き取る。
「ヴェントーリ卿、これは大革命ですぞ」学者は単眼眼鏡を付けたり外したりした。
「いや、まったく。これで技術工学の教養を受けていないと言うから、驚きだ」ヴェントーリ卿は顎髭を揉みながら言う。
「えへへ。刺繍と水彩画も実はさっぱり」リモナは頭を掻いた。「お琴もやりたくなかったから、ピアノ線抜いて部品にしたりして、へへへ」
一同は目を丸くしてリモナを見た。
外国語の概念も知らない田舎の娘が、一体どうしたらこんなに創造出来るようになったのか、まったく想像がつかない。
「リモナ、本当にすごいよ、素晴らしい」ルカは何度もリモナを称賛した。「君の才能は世界を変える」
「そうなの?」
リモナは首を傾げた。
何が変わるのかさっぱり分からない。
「本当だ! ああ、君が数日しか滞在出来ないのは惜しいなぁ」ルカは焦ったそうに両手を上下した。
「ルカ、あまりそう無理強いしてはいけないよ」ヴェントーリ卿が言う。
「しかし叔父さん……ねぇリモナ、どうしても行かなくてはならないのか? よりにもよってイルサームに……」
「うん、そこはアズに聞かないと」リモナは曖昧に頷いた。「アズの昔の友達に会いに行くんだけど」
「昔の友達?」一同は眉を上げた。「それって一体——」
ぐうぅ。
あ、お腹が鳴った。
「殿方」チェザーレ夫人が談話室の入り口に現れた。「そろそろ晩餐の準備をしなければなりませんので」
「おお、もうそんな時間か」ヴェントーリ卿が窓の外を見る。
「リモナ、食後にまた色々聞かせて欲しい」ルカが言った。
リモナはチェザーレ夫人に従い、談話室を後にした。
「リモナはすっかり人気者ですね」チェザーレ夫人がにこやかに言う。
「そんなそんな。みなさん、優しいので」
リモナはへへへと笑った。
からくりに関してこんなにも誰かと話したのは初めてかもしれない。昔はパパも付き合ってくれたけど最近はあんまり聞いてくれなかったし、神父さまもふんふん快く頷くだけだ。
アズは——……。
そういえば、アズラクはまだ帰って来ていない。どうしたんだろう?
リモナは窓の外に目を向ける。
「そうですか」チェザーレ夫人は静かに返した。「素敵な旅のお供がいて、ルカ卿の注目も浴びて、いいことですわね」
「え、はい」リモナは首を傾げた。「ルカが——ルカ卿が話しやすい方で良かったです!」
「そう」チェザーレ夫人は一段低い声で言う。「ねえ、リモナ。あなたってとても面白い方ですね」
「へへへ、よく言われます」リモナは鼻を揺らした。
「ふふふ。是非あなたをお友達に紹介して良いかしら?」チェザーレ夫人はにこにこ笑顔を向けた。「せっかく滞在されるんですもの。殿方ばかりではつまらないでしょう?」
「わーい、是非!」
リモナは両手を叩いた。
同じ頃、談話室ではルカがかなり興奮していた。
「叔父さん、これは本当に革命級だよ」ルカは談話室を右へ左へ行ったり来たりする。「あの子の知見があれば、あらゆる目詰まりが解決する!」
「いやはや……惜しむらくは、彼女の発想を体系化しにくいところですな」学者は自分が書いたメモをじっくり読み直した。
「リモナに一旦理論を学んでもらうか……」ヴェントーリ卿は頬杖をついて唸った。「しかし理論を仕込んだら、かえって良さを殺してしまうやもしれん」
「技術院に推薦するのは?」ルカは名案とばかりに言う。「今日の昇降滑車も、あの仕組みを転用すれば投石機の石を次々上げられる。いや、リモナならもっと素晴らしい打開策を思いつくだろう」
「しかし私とルカの推薦状だけでは、後ろ盾としては不十分かもしれん」ヴェントーリ卿はサイドテーブルの蝋燭を見た。「何せ出自がな……」
「魔神がいますよ」物陰からぬっと修道士が現れた。
「魔神……」ルカは首を傾げた。青髪のふてぶてしい顔が頭に浮かぶ。「しかし彼だけいたところで。リモナの技術は量産出来るんだ」
「いや、そういえばイルサームへは彼の友達を訪ねるとリモナが言っていたな」ヴェントーリ卿が差し挟んだ。
修道士の目が鋭く光る。
指輪の魔神の友達……。
なるほど。
あの娘、なかなかいい口の軽さだ。
「ヴェントーリ卿、ルカ卿。あの娘は更なる掘り出し物を見つけるやもしれません」
ルカとヴェントーリ卿は、目を丸くして修道士を見た。
***
チェザーレご自慢の毛皮のマントを羽織ってみて、アズラクは顔をしかめた。
「お前ら、揃いも揃って鼻がいかれてるんじゃねえのか?」
チェザーレと取り巻きは、奥歯を噛んで唸った。アズラクを睨み付けることしか出来ない。
アズラクは、巻き上げた金といまいち効力の不明な借用書、彼ら自慢の装飾品を手の上で浮かした。借用書には家族や領地を担保にしたものも含まれる。他にも馬も頂戴した。文字通り丸裸にしてやることも考えたが、こいつらの裸など見たところで目が腐りそうだったから、まだやってない。
「さあ、どうする? まだやるか?」
アズラクが指を動かすと、カードがぐるぐる渦を巻いて浮き上がった。
酒場にいた人たちは、こちらのテーブルからなるべく離れてこちらを見ている。チェザーレたちも最初は驚いていたが、今となってはそんな余裕もないらしい。汚い声で唸るだけだ。
「お兄さん、びっくりするほど強いのね」
先ほどチェザーレに抱かれていた給仕女が、後ろから手を回し、身を乗り出してアズラクに顔を近付けた。この女も羊の口元みたいな臭いがするが、アズラクは求められるまま女の口付けを受けた。ちらりとチェザーレに視線を流せば、案の定顔を赤くして獰猛に顔を歪めている。
アズラクは薄く笑った。
女を遠ざけ、立ち上がる。
「あんまり無様だから、これは返してやるよ」
アズラクは装飾品と臭い毛皮のマントを、雑に床に放った。がしゃんと音を立てて床に落ちる装飾品に、取り巻きたちは顔を青くしてさっと拾う。
アズラクはそれを冷たく見下ろすと、チェザーレの前で借用書を振った。
「お前の妻も弟もいらねえが、あいにく俺はオルテンザ語を読めないからな。こっちは一式もらっていくぜ」
アズラクは虫けらを見る目でチェザーレを見ると、酒場を出た。
指を動かして、馬を繋いである綱を解いた。その一頭に飛び乗る。
「お前、なかなか良い馬だな」
「ヒッフフン<お前もなかなか見る目があるな>」
アズラクはニッと笑った。
手綱を操る必要もなく、馬はヴェントーリ邸に向かう。
しかし、このままお貴族共の場に混ざるのも億劫だな。リモナの部屋に向かうか。
そう思ったところで自分が臭い気がした。
アズラクは馬をヴェントーリ邸に繋ぐと、近くのきれいそうな川までひとっ飛びして水浴びした。その付近に充満している柑橘類の匂いを嗅ぎ分けると、そこにはオレンジやレモンがたくさん木に為っていた。アズラクはオレンジをもぎ取り鼻に近づける。清々しい爽やかな香りに、荒んだ気持ちが洗い流される。
そうだ。
あいつの部屋をこれでいっぱいにしてやろう。
アズラクはこの一帯の柑橘類を洗いざらい風でもぎ取り、一緒にリモナの部屋に向かった。
翌日農家が青ざめたのは、また別の話。
***
一方、チェザーレは酒場の椅子に座り込んだまま、立ち上がれなかった。
失笑と憐れみが混ざる中、取り巻きたちは一人、二人と退散して行った。給仕女は鼻で笑いながら、チェザーレの肩を撫でる。
「今日はツイてなかったのね。ふふ、残念」
女は再び膝に上がり、チェザーレをからかった。
「次はさっきの彼も交えて三人でしてみない?」
チェザーレはぎりっと奥歯を鳴らすと、給仕女をテーブルに押し付け、後ろから乱暴に抱いた。
腹が立って仕方がない。
この俺が、あんな得体の知れない化け物にこんな目に遭わされるなど。
この俺に、こんな恥をかかせるなど。
女の中で果て抱き潰すと、チェザーレは横柄に椅子に座った。「酒を持って来い」
別の給仕が、慌てて酒を持ってくる。
チェザーレは乱暴にそれを煽った。
「——もしもし、旦那」
一人の男に話しかけられる。
長衣を着た見たこともない顔の男。
男はすっとチェザーレの隣に座った。
「旦那、大変お怒りのご様子で」
「見ての通りだ。俺は無性に腹が立っている」
男は頷いた。「先ほどのイルサーム人——」
「あ? 死にたいか?」チェザーレは短剣を抜いた。
「いえいえ!」男は慌てて両手を上げる。「聞いてくだされ、旦那。あなたはあのイルサーム人に仕返しをしてやりたいはず」
チェザーレは男を睨んだ。「お前は何者だ?」
「あたしはしがない商人でさぁ」男は両手を揉みしだく。「で、今の旦那にとっておきのものがございます」
「ほう」チェザーレは短剣を収めた。しかし顔を歪める。「しかし仕返しするにも、あいつは化け物だぞ?」良い方法でもあるのか?
「ええ、見ておりましたから」
商人はにんまり笑った。




