2-6.からくりとオレンジと賭博①
翌朝。
リモナはヴェントーリ卿に案内されて鍛冶屋にやって来た。
アズラクとルカ卿と修道士がぞろぞろ二人についていく。
「へい、どうしました?」鍛冶屋の旦那が表に出る。
「ちょっと来てくれない?」リモナはすっかりいつもの調子で言った。
そうして一行は、エンリコが働く工房に向かった。
絵の具まみれの工房の親方は、ぞろぞろ現れる高貴な面々に目を剥き、ひれ伏した。「これは一体どうしまして——」
「そう畏まらなくて良い」ヴェントーリ卿が手を挙げて制する。「見学みたいなものだ、仕事に戻ってくれ」
「はぁ……」
そうは言われても、こんな状況で集中出来るわけがない。案の定、見習いに来た良家の息子が、色付けの手順を誤った。
一行はエンリコに案内されて、顔料や木の香りが漂う工房をまっすぐ抜けて、裏手の倉庫にやって来た。
昨日運び入れた昇降滑車が、組み立て時の配置のまま分解されて横に並べて置いてある。昨日、アズラクの風を借りて一緒に分解しておいたのだ。
リモナは右の支柱の先端側へ、鍛冶屋を引っ張って行く。「ここのね滑車が削れてて、反対側もちょっといってるから、これくらいの大きさの滑車を六つ作ってほしいのね」
「はぁ」鍛冶屋は気のない返事をする。
リモナは構わず続けた。「あとこの梁が通るようなギアと滑車を二本分」言いながら梁を指で示す。「それからここにハンドルつけたいから、ここの歯車も。ついてきてる?」リモナは鍛冶屋を振り返った。
「へえ、さっぱり」鍛冶屋は首を捻った。
「んもぉ! エンリコ、石盤か要らない紙と鉛筆貸して!」
エンリコはそそくさと羊皮紙と鉛筆を持って来た。リモナはヴェントーリ卿やルカ卿のことも忘れて、床に這いつくばって描き始める。
「完成形はこんな感じで、左右に二本ずつ柱があって、真ん中に梁兼巻き取り部があってー」言いながら歪な線画を描いていく。
その様子をアズラクは魅入られるように眺め、ヴェントーリ卿やルカ卿だけでなく、エンリコや工房の職人までも興味深く見入っていた。
「んで、ここにロープを掛けて」だーっと線を引く。「ここでぐるぐるハンドルを回したら、ここのギアが回って滑車が回って、踏み台を上げ下げするのね」言いながらハンドルを加える。「で、ここでハンドルを固定する、と」
「ふむ……で、強度はどれくらい必要で?」鍛冶屋はようやくまともに尋ねた。
「え、分かんない」リモナは首を傾げた。
ここまで盛大に語っておいてのこの返答に、アズラク以外の一行はガクッとした。天才なんだか無学なんだか。
しかしリモナは構わず並べた支柱を指差した。「とにかく実物がこの大きさで、人が五人くらい乗って、お屋敷の天井まで上げられる感じで!」
「ふむ……」鍛冶屋はリモナの設計図を手に取りながら、並べてある部品を一つ一つ見ていく。「ここに鉄輪みたいな留め具も要るなぁ」
「あ、それ最高!」リモナは手を叩いた。
「リ、リモナ……」エンリコがリモナの服を引っ張った。「元のよりもかなり豪勢になりませんか、それ……」エンリコは不安げに工房の親方を見る。
「いや、心配しなくていい。今回の分は私が出そう」ヴェントーリ卿が言う。
「えええ!」工房の親方が目を剥いた。「そんな、恐れ多い……」
「いいんだ。私も今回の修理には大変興味がある」
「これはなかなか見れない作業だぞ……」ルカ卿が目を輝かせて言う。
「いつくらいまでに部品出来そう?」リモナは鍛冶屋に尋ねる。
「滑車六個にギア五個に、ハンドル、留め具、補強……」鍛冶屋はリモナの設計図の裏に、簡単にメモしていく。「うーむ、五日はかかるかと」
「五日……」
複数の声が重なった。
アズラクは空を仰ぎ、ルカ卿とヴェントーリ卿は目を輝かせた。
「まぁ仕方ないね」リモナは頷いた。「エンリコ、それでも大丈夫?」
エンリコは工房の親方を見た。
親方はへんてこな娘を見、そして目を輝かせる貴族二人と、やや項垂れる青髪のイルサーム人を見た。断れる空気ではない。
親方は頷いた。
「やった!」ルカ卿が嬉しそうにリモナの手を取った。「ねえ、後でさっきの図面、解説してもらえると嬉しい」
リモナはすっかりルカ卿の存在を忘れていたので、突然間近に迫られて目を丸くし顔を赤くした。
背中にチクチクする風が当たった。
***
これは、なかなか危惧すべき事態だ……。
危惧するべきなのが、あの魔神なのかあの娘なのかは分からないが。
修道士は慌ててヴェントーリ卿の屋敷に戻り、与えられた客間に向かった。紙とインクを取り出し、大急ぎで手紙を書く。
一通は、法曹院に向けて。
もう一通は、古文書軍事研究所に向けて。
それから——。
修道士は三羽の鳩の脚にそれぞれ手紙をくくりつけ、窓から放った。
次は……。
ヴェントーリ邸の隠し通路を通っていると、嫌がる女の声がした。
またか。
修道士はため息を吐いてそちらに向かう。
案の定、起き抜けのチェザーレ卿が、屋敷の下働き女を後ろから襲っていた。
「しゅ……修道士様、お助けを……あっ」
「なんだ? 俺に用か?」チェザーレ卿は構わず腰を振る。
修道士は冷めた目で二人を見た。「まったく、あなたにお願いしたいことがあったのに、これでは」
「で、なんだ?」チェザーレ卿は尋ねた。
修道士はやれやれと肩をすくめた。「どうせ欲を満たすなら、もう少し上玉を選びませんか?」
「ハッ貴族の女は何かと面倒だぞ」言いながら、下働き女を壁に押し付ける。
「誰も貴族とは言ってませんよ」
「はぁ?」チェザーレ卿は眉を上げる。「あっちはルカが囲ってんだろ。第一好みじゃねぇ」
「ならほんの少し右手を握るだけでもいいんです」
修道士は低い声で言った。
***
「見て見てアズ! オレンジの形のランタン!」
リモナはアズラクを引っ張り、クリスタル工房を覗いた。
お皿にグラス、人形など、工房には色んな形や色のガラス細工が並んでいる。工房の奥では、職人が長い鉄の棒を火窯に突っ込み、膨らましたガラスを回している。
「へぇえぇ、ああやって作るんだぁ」
リモナはぎゅっとアズラクの羽織を掴んで、目をキラキラさせた。
アズラクは隣のリモナを見下ろした。
エンリコの工房を出た後、ロープと締結部品の手配を早々に済ませ、リモナとアズラクは街をぶらぶらしていた。ルカ卿とヴェントーリ卿はそれぞれ用事があるからと、どこかへ消えていった。
街には絵画や彫刻が溢れ、ガラス細工やタイル焼きの工房も随所にあり、更にはところどころにからくりが仕込まれている。路地を曲がるごとにリモナとアズラクは感嘆した。
しかし、リモナがすべてにいちいち反応しているのが、アズラクには意外だった。
「てっきりリモナは食い物とからくりにしか興味がないと思ってたよ」
「なんかそう言われると食い気だけの野生児みたい」リモナはアズラクを斜めに見上げた。
「だってそうだろ」リモナと言えばからくりいじってるか、飯食ってるかしか浮かばない。
「まぁそうだけど、ご飯は正直ミラージャの方がおいしかったかなぁ」
リモナは何でもないように言った。
アズラクは少し、申し訳ない気持ちになった。
一緒に旅に出てから一週間。リモナは毎日楽しそうに過ごしていて、腹減ったこととからくり絡み以外に関しては特に文句も言っていない。
しかし心の奥底では、きっとミラージャを恋しく思っている。
そうでなければ、昨日エンリコにミラージャの街並みを描いてほしいなんて頼まないだろうし、昨夜も指輪に呼ばれて向かえば、リモナはむにゃむにゃ気持ちよさそうに寝ながらパパだのペペだの寝言を言っていた。
アズラクがリモナの前に現れなければ、リモナはミラージャから出る必要もなかったのではと思うと、正直やり切れない。
いや、リモナが付いてきたんだし。
だが、このままアズラクの旅にリモナを付き合わせていいんだろうか。
「あ、ねえねえアズ! 青いタイルだ! 昨日エンリコが言ってたやつだよね」
リモナはアズラクを引っ張って、タイル焼き工房を覗いた。
白いタイルに青色の顔料で花や動物が描かれている。奥には小さなタイルがいくつも並んで出来た、大きな一つのタイル絵が、飾られてあった。森を歩く男女を描いた牧歌的な絵だった。
「へっへ、こんな感じでミラージャ描いたらどうなるんだろう」
アズラクはリモナを覗き込んだ。「なぁリモナ」
「うん? なに?」リモナは楽しそうな顔でアズラクを見上げた。
「お前――」
帰りたいか?
そう聞きかけて、アズラクはやめた。
リモナの楽しそうな雰囲気に水を差すのもなんだったし、この時間をあんまり早く終わらせたくもなかった。
代わりにアズラクは工房の職人をつかまえた。「なあ」
工房の職人はアズラクを見ると、あからさまに眉をひそめた。「イルサーム人が何の用でい」
「大したことじゃないんだが」アズラクは適当なタイル絵を指さした。「なぁこのタイル絵、オレンジの顔料も使えるのか?」
「オレンジ? そりゃまたどうして」職人は目を丸くした。
「アズってば、本当に好きだねオレンジ」リモナは肘でぐいぐいアズラクをついた。
「んまぁ、そういうことでいいよ」アズラクは肩をすくめた。「で、どうなんだ?」
「顔料さえあれば出来なくないですが……」
ぐうぅぅぅ。
アズラクと職人は目を丸くした。
「あ、ごめん」リモナが恥ずかしそうにお腹を押さえた。「なんかエビっぽい匂いがして」
やれやれ。やっぱり食い気か。
アズラクは肩をすくめた。
「また来る」
職人にそう言うと、アズラクはリモナに引っ張られていった。
石畳の細い路地を曲がっていくオルテンザの町娘と、青い髪のイルサーム男。
あれが昨日から噂になっている二人組だろうか。
男は昨日、絵描きを浮かせていたという。
娘の方の右手には、青い石の付いた指輪がはめられていた。
これはもしやして。
男は路地の陰から、じっと二人を眺めていた。




