2-5.ヴェントーリ邸②
リモナは、袖をすらないよう慎重にテーブル中央の大皿に手を伸ばす。
すると隣から皿を掬い取られた。
「無理しないで」
ルカ卿はニッコリ笑顔を向けると、中央の皿から肉料理と野菜料理を取り分け、リモナの前に置いた。
「あ、あ、ありがとうございます」
リモナはぎこちなく頭を下げた。
するとテーブルの下で横から足を蹴られた。
反対側の隣を見上げる。
「アズ、今蹴ったでしょ?」リモナはなるべく小声で言う。
アズラクは肩をすくめて素知らぬ顔をし、酒を飲んでいる。
服装もすっかりいつもの羽織姿だ。
なんでアズはこれで許されるの?
リモナはアズの側だけ頬を膨らませて、料理を口に運んだ。
はわぁ、うまぁ。
「叔父さん」ルカ卿が話しかけた。「僕はこの数日間、西から旅をしてきたんですが、たびたびこの二人の話が噂になっていたんです」
「ほう、どんな?」ヴェントーリ卿が尋ねる。
「森を歩いていた時、一人の猟師がこれを見せたんです」ルカ卿は懐からイタチの毛皮を出した。「この二人はふらりと現れ、この毛皮を作ったそうなんです」
ヴェントーリ卿はイタチの毛皮を手に取り、息を飲んだ。「なんと、これがイタチの毛皮? 素晴らしい出来じゃないか」感心の目をリモナに向ける。
リモナはえへへと頭を掻いた。
「それだけじゃないんです。途中の町では、チーズ削り機をその場で万能細切り機に改造したとか」ルカ卿は熱を込めて言う。
「大したことはないんですけどぉ」リモナは両の人差し指をツンツンしながら言う。
「なんかそれはそれで胡散臭くないか?」チェザーレ卿がぼそっと言う。
「実は私も友人から度々噂を聞いていてな」ヴェントーリ卿が言う。「ミラージャの町に技術革命を起こす娘――なんて友人は言っておったが。他にはどんなからくりを作ったのかな?」
「えっと、網巻き取り機とか」
「網巻き取り機?」ヴェントーリ卿とルカ卿が声を揃えて言う。
リモナは頷いた。「えっと、ミラージャは漁師町なので、漁師さんがいっぱいいるんです。で、漁師網片付けるの大変そうだなと思って、簡単に巻き取れるような機械を作ったり」リモナは身振り手振りで説明した。
「へぇやっぱり田舎なんだな、ミラージャ」チェザーレ卿がぼそっと差し挟む。
ヴェントーリ卿とルカ卿には聞こえていなかった。
二人は目を輝かせて聞く。
「他には?」
「他? えっと、水車で連結できるような串焼き機とか、あ、パパの書類を整理する用のびっくらぽん箱とか」
「びっくらぽん箱?」ルカ卿は目を丸くした。「どんなのか見てみたいな」
「部品さえあれば簡単に作れちゃうんですよ」リモナは緊張も忘れて組み立てる動作を見せた。「あ、それから最近は転写機作ってました!」
「転写機?」これには修道士も混ざって声を上げた。
「もう、パパの写本を作るのが面倒くさくて。でもまだ完成してないんですけど」
リモナは無邪気に皿の料理を口に入れた。
せめてミラージャを出てくる前に試しておけばよかったなぁ。あのときは状況が変わりすぎて、試す間もなく出てきてしまったから。
口に入れた野菜が、なんか嚙み切れない魚の皮みたいな感触がした。
「転写機……それはつまり、記録を複製する機械、ということかな?」ヴェントーリ卿が慎重に尋ねた。
リモナは首を傾げつつ、頷いた。
ヴェントーリ卿とルカ卿と修道士は、しみじみと息を飲んだ。
「完成していないというのは、一体どのような段階なのでしょう?」修道士が尋ねる。
「うーん」リモナは人差し指を顎に当てた。「試作二号機の第一回実験は失敗しちゃって、組み直して第二回実験する直前かな」
「試作二号機……」修道士は考え込んだ。
「おい、リモナ。そんなべらべら喋っていいのか?」アズラクが小声で聞く。
「え、何で?」リモナは首を傾げた。
「だってお前……」それはそんなべらべら喋る内容じゃないぞ。アズラクはこの晩餐室に広がる空気から、それを察した。
「いや、まさかそこまで……」
ルカ卿は驚いた顔を隠さなかった。
彼はリモナの手を両手で握った。
「リモナ、君は素晴らしい!」
「へ?」
「そう思いませんか、叔父さん」ルカ卿はリモナの手を握ったままヴェントーリ卿を振り返った。
ヴェントーリ卿は大きく頷いた。
「是非とも色々詳しく聞きたい。あ、そうだ。このあたりの学者を呼んでもいいかね? 君の話はきっと参考になる」
「待ってくれ」リモナが何か言う前にアズラクが遮った。「俺たちは旅してるんだ。この街に長居するつもりはない」
「そうなのか?」
ルカ卿とヴェントーリ卿が、肩を落とした。
アズラクは肩をすくめた。人間側の事情なんぞ、知ったことではない。
しかしリモナは、落胆するルカ卿とヴェントーリ卿を見ると、アズラクを見上げた。
「ねえねえ、アズ。あたしらも数日は動けないよ?」
「は?」アズラクは目を丸くした。
「だってエンリコの昇降滑車やらなきゃだし」
「え……」アズラクは言葉が出なかった。
「そうだ。あの、ヴェントーリ卿」リモナはヴェントーリ卿に顔を向けた。「この街の鍛冶屋さん、教えてくれませんか?」
「ああ、構わないが……」ヴェントーリ卿は甥と顔を見合わせた。
ルカ卿が尋ねる。「リモナ、数日は滞在するんだね?」
リモナはルカ卿の目を見て頷いた。
「しかもからくりの修理をする」ルカ卿は更に尋ねた。
リモナは再び頷いた。
ルカ卿とヴェントーリ卿は、再び嬉しそうに笑った。
「素晴らしい! 是非とも作業を見せてほしいし、色々ご教授願いたい!」
二人に熱く迫られ、リモナは人差し指で頭をついてえへへと身体を揺らした。
隣でアズラクがつま先を何度も踏みしめていた。
***
リモナとルカ卿とヴェントーリ卿のからくり談義は、晩餐後も続いた。
「あ、この場合はここをこうすると良くて」リモナは石盤に雑に絵を描いた。
「え、どうしてそうなる? ここをこうした方がいいんじゃないの?」ルカ卿が石盤に線を足した。
「いやいや、ルカ。それは違うな。私ならこうする」ヴェントーリ卿も線を足した。
「あー違うんですそれは!」
リモナは石盤の前で身振り手振りで説明した。
「はぁ、いつまで話してるんだ、あいつらは」
チェザーレ卿が居間のソファに斜めに座り、酒を煽った。その隣で夫人が静かに刺繍をしている。
アズラクは途中までリモナたちの会話を聞いていたが、途中でついていけなくなった。ソファの端でちびちび酒を飲む。
なんだよ、あいつ。
さっきまであんなにがちがちに緊張してたのに、すっかりいつも通りじゃねえか。
嬉しそうに顔を輝かせながら話すリモナを見ると、安心するやらもやもやするやら。昨日密輸売人から頂戴したオレンジを剥いて、口に入れる。
やっぱり酸っぱい。
「アズラク殿」
修道士が気配を消して――いるつもりで、アズラクの隣に座った。
アズラクは無言で修道士を見る。
頭頂部を剃り痩せ細った顔は、やや狡猾そうに見える。この男の纏う空気は、やはり妙に怪しい。
「あなたとあのお嬢さんは、どのように知り合ったのですか?」修道士は尋ねた。
アズラクは目を細めた。「何故そんなことを聞く?」
「いえ、ただ少し気になりまして」
修道士はリモナに目を向けた。
正確には、石盤に何かを描こうとしているリモナの右手を。右の中指には、サファイアの指輪が嵌っている。
アズラクは肩をすくめた。「海の中を流れていたところを、たまたまリモナに拾われた。それだけだ」
「海の中を流れていた……」修道士は小さな声で復唱した。
「俺もお前に聞きたいんだが」アズラクは修道士を値踏みするように眺めた。「最近までイルサームに行っていたって?」
「ええまぁ」修道士はアズラクに顔を戻した。
「俺たちもイルサームに行こうと思っている。今の情勢を教えてくれ」
修道士は目を見開いた。「なぜ今、イルサームに? 戦争中ですよ」そこで修道士はアズラクとリモナを交互に見た。「からくり技師と魔神……。まさかあなたたち、向こう側に――」
「んな下らねえ憶測してんじゃねえよ。俺は今更人間の争いに巻き込まれるつもりはねえし、リモナも巻き込まねえよ」
「では一体なぜ……」修道士は眉をひそめた。
「いいから教えろ」アズラクは一段声を落とし、サイドテーブルに置いてあるクリスタルキャンドルを小刻みに揺らした。
修道士はつばを飲み、佇まいを正した。
オルテンザ――今リモナたちがいる国――と海の向こうの国イルサームは、この数十年間、戦争状態にある。最初は海運と水上都市の権益を巡る争いだったのが、近年はイルサームがオルテンザの海岸都市に対し攻撃を仕掛けているとか。
しかし膠着状態が長く続き、断続的に交戦しては停戦し、を繰り返している。
「ですから、あなたたちのような存在がイルサーム側に知られると、非常にまずいのです」修道士は言い聞かせるように言う。
「なら、知られないようにすればいいのか?」アズラクは修道士を値踏みする。
「そういうことを言っているのではなく――」
「なあリモナ」アズラクはからくり談義中のリモナに声をかけた。「お前、オルテンザ語以外話せるか?」
リモナは目を丸くした。
ルカ卿とヴェントーリ卿も目を丸くしている。
「どういうこと?」リモナは首を左右に傾けた。「オルテンザ語以外の言葉なんてあるの?」
「えっ」修道士とルカ卿とヴェントーリ卿が一斉に声を上げた。
チェザーレ卿はいびきをかいて寝、夫人は黙々と刺繍をしている。
「ありがとう。もうそっちの話戻ってくれ」アズラクは雑に手を払い、修道士を見る。「な、これで大丈夫だろ?」
修道士は絶句していた。「はぁ……」
「リモナ、こんなに素晴らしい知識と技術があるのに……」ルカ卿が息を飲んでリモナを眺める。
「へへへ、ありがとうございます」
リモナはへらへら笑って頭を掻いた。
その拍子に小花柄の白いレースがずれた。
***
「ふーわぁ! おっきい部屋におっきいベッド!」
リモナは黄色のカーテンが引かれた天蓋付きベッドに寝転んだ。
窮屈なコルセットからもようやく解放された。美味しいレモン酒も飲んでふわふわ気持ちいいし、ヴェントーリ卿とルカ卿とのからくり談義も楽しかったし。
リモナはベッドにごろごろした。
この部屋にも色鮮やかなクリスタルのキャンドルが、壁に掛けられている。天井には白とオレンジの花が大理石で彫られ、大きなタペストリーが壁の一面を埋めていた。
そういえばアズはどこの部屋なんだろう。
ここのところずっと一緒にいたから、部屋が離れてるのは少し違和感があった。
それに、今日はこの屋敷に来てからずっと不機嫌だったな。
リモナはぼんやりと右の中指の指輪を見た。
こすったら現れるんだっけ?
特に深く考えずに表面のサファイアをこすってみた。
するとカーテンが激しく揺れ出し、窓が閉じたり開いたりする。
そして次の瞬間には、ベッドの天井にアズラクがいた。
「わあ、本当に現れた」リモナは寝ころんだまま、天井を見上げて言う。
「なんだよそれ」アズラクは意味不明そうに顔を歪めた。
「しかも先週よりも登場地味じゃない?」
「はぁ」
「前はほら、波がざっぷんざっぷん、竜巻ぐるぐるしてたじゃん」
「あれは海だったからじゃねえの?」アズラクは天井から降りてリモナの横に座った。「どうしたんだよ、珍しく指輪で呼んだりして」
「んふふふ。ちょっと実験してみたの」リモナはごろんと寝返りを打ってアズラクの羽織を掴んだ。
「はぁ、お前なぁ」
「アズ、今日ちょっと怒ってた?」リモナはアズラクを見上げた。
「どうしたんだ、急に」
アズラクはリモナをまじまじと見た。
窓は閉じているのに、風があっちへこっちへうごめいている。
「ううん、ちょっと気になって。そうだ」
リモナはベッドから飛び上がった。
裸足で丸テーブルまで歩き、かごのマンダリンを手に取ってベッドに戻る。
「それ、昨日のオレンジじゃないな」
「うん、ヴェントーリ卿がくれたマンダリン。あたしも初めて食べるんだ」言いながら剥き、半分アズラクに渡した。
アズラクは一気に口に入れる。「いつもの味と違う」
「うん、あんまり酸っぱくないね」リモナも一粒食べた。「もう一個食べる?」
アズラクは頷いた。
風でかごごとベッドに持ってくる。
リモナはマンダリンを剝きながら、へへっと笑った。
「なんだよ」
「アズ、オレンジ好きだよね」リモナはマンダリンを口に放り込んだ。
アズラクは一瞬息を飲み、気まずそうに目を逸らした。「うん、まぁ」
かごのマンダリンは一瞬でなくなった。




