2-4.芸術の街②
一行は、建設されたばかりの屋敷にやって来た。
「あそこに描きかけのフレスコ画があるんです」
青年は天井を指さした。
そこには、淡い青色の空を飛ぶ小さな天使が、沢山描かれていた。お茶目だったり殊勝だったり、同じように見えて一つ一つ違うのが、リモナはなんかいいなと思った。
フレスコ画は、青年の言う通り、確かにあと三割ほど天井の地の色がむき出しになっている。
「それで、依頼人から催促されているんですが、先日昇降滑車が壊れてしまいまして」
青年が示したところには、滑車に使っていたであろう足場が、折れて端に寄せられている。部屋の端と端に立つ柱にはそれぞれ滑車がついているが、片側の先端がいびつな形に削れていた。
「街の大工や技師に修理をお願いしようとしたんですが、みんな徴兵されていないか、残った技師は教会の建設に回されていまして」青年はリモナを見た。「修理出来ますか? できれば明日までに……」
「明日?」リモナは目を見開いた。「それは難しいと思う」
「そんな……」青年は蒼白な顔になった。
「うん、だって多分滑車削れてるでしょ?」リモナは柱の先端についた滑車を指さした。「あれ、ちゃんと作らないと」
「とか何とか言って、本当は出来ないんじゃないか?」さっき通りでリモナたちを威嚇してきた男の一人が茶々を入れる。
リモナはむっとするが、男たちは無視する。「あの滑車、他でも使う予定あるの?」
「え? ええまぁ……」青年はそれよりもこの状況をどうするかを心配した。
「それなら他でも使えるように修理するから、その間、アズで我慢してよ」リモナは何でもないように手を叩いた。
「は?」アズラクと青年が同時に声を上げた。
「どういうことですか?」青年は困惑した。
「おい、リモナ」アズラクがリモナをたしなめる。
「この場合、仕方ないじゃん。上手いこと言っておくからさ」リモナは男たちをちらりと見た。
「いや、お前なぁ……」アズラクはため息をついた。「ほらよ」
「え、えええ、わあああ!」青年の身体が浮いた。「どっどっどっどうなってるんですか!?」
「お前、やはり黒魔術師か!?」男たちが一斉に剣に手を掛けるが、やはり剣は抜けない。
リモナは両手を広げて片足を後ろに下げてお辞儀した。「これぞ最新鋭! 透明糸ヨーヨーでござい!」
「はぁ?」男たちは揃って首を傾げた。
「いや、無茶あんだろ」アズラクが冷静に突っ込む。
「ちょっちょっ、これ大丈夫なんですか? 落ち……っ落ち……っ!」青年が足をばたつかせる。
「大丈夫大丈夫! 急に落とすとかそんな怖いこと、アズしないから!」
「いや、どうだかな」アズラクはぼそっと言う。
ひとまずアズラクは青年を地面に下ろした。青年はそのままへたり込む。
「び、びっくりしました……。まさかあんなことが……」
「どうかな、アズでいけそう?」
「お前、俺を何だと思ってんだ……」アズラクはため息をつく。
「ふん、所詮ハッタリの黒魔術に過ぎん」男の一人が言う。「お前もからくり技師なんてどうせ嘘なんだろ?」
「そんなことないもん!」リモナは男に言い返す。
「あ、あの……」
青年が、おずおずと声を上げる。
「さっきはいきなりだったので驚いたのですが、これならいける気がしてきました」
彼はそう言って両手に拳を握った。
リモナたちの話は、瞬く間に街に広まった。
「女のからくり技師だってよ」
「絵描きをイルサーム人が浮かしてたぞ!」
「透明なんちゃらなんちゃらっていう新しいからくりらしいが」
「いや怪しいな。その女、魔女か?」
何人かは実際に作業中の現場を目撃し、やはり危険な黒魔術を疑う者もいた。
ある芸術家はアズラクを見て、新たなインスピレーションを得た。
別のある修道士は、アズラクを見、そしてリモナの右の中指を見ると、意味あり気に目を細めた。
噂は酒場の賭博場まで広まっていた。
「なぁ、聞いたか? 青髪のイルサーム男と女のからくり技師の話」
「黒魔術が使えるってよ」男たちはカードを山に出しながら、ゲラゲラ笑った。
一人が行儀悪くテーブルに足をかけた。「若い女か?」乱暴に酒を飲む。
「さぁな。しかし男はかなりの色男だって聞いたぞ」仲間が言う。
「ふぅん」尋ねた男はつまらなそうに椅子を引いた。
「あぁ、チェザーレ殿。こんなところに」修道士がやってきた。
「おい、修道士がこんなところに来ていいのかぁ?」チェザーレは返した。
「チェザーレ殿こそ。いえ、それよりも、先日弟君に送った贈り物に関して、何か返事はありましたか?」
「ミヒャエルから? 来るわけねぇよ。今頃田舎暮らしでイライラしてんじゃないか?」チェザーレは持ち札を山に置いた。
「そうですか。これはなかなか厄介なことになりそうですね」修道士は親指を噛んだ。「まさか神話が蘇ろうとは……」
「あ? 何言ってるんだ?」
チェザーレは眉を上げた。
この修道士とは古い付き合いだが、最近イルサームの潜入調査から帰ってきてからというもの、変な話をするようになった。まぁ元々変わっているやつなのだが。
「今日、街に出たと噂の青髪のイルサーム、あれはきっと——」
「チェザーレ、こんなところにいたのか」蜂蜜色の髪の若い騎士が現れた。
「ルカ、遅かったな」チェザーレはジョッキを持ち上げた。「お前の叔父さんところに先に世話なってるぜ」
「どうぞ、歓迎するよ」ルカは礼儀正しくお辞儀した。「しかし日も暮れないうちから賭博とは。奥方が待っているのではないか?」
「いいんだよ、たまには」チェザーレは椅子の背もたれにのけぞった。「あーあ、何であんなつまらねえ女と結婚したんだか」
ルカは肩をすくめた。
修道士を振り返る。
「ところで興味深い話をしていたね? 青髪のイルサームとからくり技師とか」
修道士はチェザーレをちらりと見てから頷いた。
「本当に助かりました」
絵描きの青年——エンリコが、深々とリモナとアズラクにお辞儀した。
「まさか今日で仕上がるとは……」エンリコは涙目になって言う。
「もう、大袈裟だなぁ」リモナはエンリコの肩を叩いた。
「いや、お前が言うか?」アズラクは呆れて言う。
二人は、エンリコに案内されて老神父の友人宅へ向かった。外はすっかり日が落ちていた。
「昇降滑車は多分、数日かかると思うんだよね」リモナはエンリコに言う。
「いえ、修理頂くだけでもありがたいです」エンリコは両手を合わせた。
昇降滑車を修理するのにもアズラクの力が必要だったため、ひとまずエンリコの工房に運び入れて、明日から手をつけることになった。
「本当に、こんな道案内以外にお礼出来ることがあればいいんですが……」
リモナはアズラクと顔を見合わせた。
オレンジは今のところ困ってないしなぁ。
あ、そうだ。
リモナは手を叩いた。
「エンリコは風景画とかも描くの?」
「風景画、ですか?」エンリコは目を丸くした。「練習では描きますが、仕事では描いたことないですね」
「そうなんだ」リモナは首を傾げた。「あのね、いつかミラージャの町並みを描いて欲しいんだよね」
「ミラージャ……? どこですか、それは」
「あたしの生まれ育った町なの。漁師町でね、洗濯物の横に魚が吊ってあったりして、ごちゃごちゃしてるんだけど、空から見るとすごく素敵でね」
話しながら、オレンジと磯の香りが漂う赤い屋根がたくさん並んだ町並みが、頭の中に広がる。石畳の坂を駆け上がったり、水車が点々と立ってて、夕陽に照らされたミラージャはとてもきれいだった。
町から飛び出て一週間。
あの馴染み深い空気が、リモナは少し恋しかった。
「あの、もしミラージャに行く機会があったら、せっかくなので二枚描きますね」エンリコが言う。
「二枚?」リモナは首を傾げた。
「ええ。普通の銅版画と、青色のタイル画と」エンリコが少し気恥ずかしげに言う。「実は最近、プライベートでタイル画にはまってるんです」
「へえ、そんなのあるんだ」リモナはアズラクを見上げた。「青いタイル画だって! アズーだね」
アズラクは何とも言えない顔でリモナを見下ろすと、エンリコに顔を向けて言った。「そこに俺とリモナも入れといてくれよな」
エンリコはにっこり笑った。
やがて、そこそこ大きな屋敷に到着した。
リモナは口を開けて屋敷を見上げた。
「凄いですね、お二人とも。こんな立派なお家に招待されるなんて」エンリコは小さく手を叩いた。「では僕はこれで。明日、工房でお待ちしていますね」
エンリコは市街地に戻って行った。
リモナは口を開けたまま、動けなかった。
「どうしたんだ? さっさと行くぞ」アズラクはいつも通りの様子で門に向かう。
リモナはアズラクの服を引っ張った。
アズラクは眉をひそめてリモナを見る。「どうしたんだ?」
「アズ、ここで本当に合ってるのかなぁ?」
「なんだいきなり。エンリコが案内してくれたんだろ?」
「うん、そうなんだけど、その……」
リモナは意味がないと知りつつ、旅汚れだらけの服とぼろぼろのブーツを手で払った。シナモン色のボサボサの三つ編みを、急いで結い直す。
「何してんだ?」アズラクは不思議そうにリモナを見た。
「だ、だって、ここ、明らかにあたしらが来るようなところじゃない気がして」
アズラクは肩をすくめてオレンジの木箱にもたれかかった。「お前もそんなの気にする時あるんだな」
「だ……だって……」
すると馬の蹄の音が聞こえてきた。
あれ、もしかしてこの状況、やばい?
「そこの怪しい二人組、叔父の屋敷の前で何している——ってあれ?」
現れたのは、芦毛の馬に乗った蜂蜜色の髪の若い男性。彼の後ろには、他に数騎の騎士と修道士がいた。
修道士が胸の前で十字を切る。「まさかこのような好機が巡るとは」
蜂蜜色の若い騎士は、二人を興味深そうに見ると、馬から飛び降りた。
「青い髪のイルサーム人」アズラクをまじまじと見る。
アズラクは木箱に腰掛けたまま、鬱陶しそうに目を細めた。
「君はからくり技師の娘だね?」蜂蜜色の騎士は、リモナを見て目をきらめかせた。
リモナは曖昧に頷いた。
騎士は嬉しそうに笑顔を広げた。
「ああ、ようやく会えた! 話してみたかったんだ!」騎士はマントをまさぐり、イタチの毛皮を見せた。「これ、君たちが作ったんだって?」
リモナは騎士からイタチの毛皮を受け取り、アズラクと顔を見合わせた。
確かにリモナたちが森で作った毛皮の感触だ。
「あの、どうしてこれを?」リモナは小さな声で尋ねた。
蜂蜜色の騎士はくすりと笑った。
「まずは自己紹介しよう。僕はルカ・ヴェントーリ。ここの屋敷の主人の甥だ」
彼は礼儀正しく二人に礼をした。




