2-2.毛皮猟師となめし作業②
その日はおじさんの小屋に泊めてもらえることになった。
「しっかし、よくよく考えたらお嬢ちゃんも兄ちゃんも旅する格好じゃねぇなぁ。その靴じゃあ、山歩きにはしんどいだろ」
おじさんは大釜をかき混ぜながら言う。
大釜からは鹿肉と猪肉が混ざった匂いが漂い、釜の近くでリモナが猟犬と一緒に座って待っている。
「まぁしんどくなったら飛べばいいし」アズラクは何も考えずに伸びをした。
「はぁ? 兄ちゃんら時々意味不明だよな」おじさんは眉を顰めた。
「ねぇねぇ、おじさん。このスープに魚混ぜたら——」
「それはやめろ。ゲテモン作る気か」おじさんは声を低くした。
「ちぇっ。これはこれで焼くかあ」
リモナは昨日の一夜干しの魚を串に刺し、釜の火のそばに置いた。猟犬が涎を垂らしている。
「それにしてもお嬢ちゃん、本当にからくり好きなんだな」おじさんはスープを味見して反射的に顔を顰めた。熱かったらしい。
「そうだよ。ミラージャ出てくる前は転写機作ってたし」
「転写機? なんだそれ」
「写本作るのを短縮する機械」リモナは恨めしそうにおじさんの柄杓を眺める。
「へぇ、よく分からんが……」おじさんは首を捻った。「しかしお陰でテンとかオコジョの皮もだいぶ進んだぜ。鹿は傷もんになっちまったがよ」
小屋の外には、ヤニと油を染み込ませた大小様々な皮が干されている。小さいのは、リモナのジグで裏皮を剥いだイタチやテンなどだ。
「鹿とイタチで皮厚違うなんて知らなかったんだもん。鹿に合わせたジグ作ろうか?」
「いや、それよりももうちょい手伝って欲しくてよ」
「俺ら旅してんだけど」アズラクが返す。
「まぁまぁそう言うなよ」おじさんは器にスープを盛り、リモナに渡す。「森暮らしも悪くねえぞ?」
リモナはスープを一口飲んだ。「うま! 鹿猪スープってこんな濃いうまなの!?」肉を口に放り込む。「うわー幸せ」
「海暮らしじゃあこんなのないだろ? 毎日事欠かないぜ?」
おじさんはニヤリと笑い、リモナは目をキラキラさせた。
アズラクは天井を仰いだ。
翌朝工房に行くとおじさんは、裏皮をまだ削いでいない中小動物の皮をどっさり、リモナに渡した。
「昼はウサギとキジの肉焼きな」
おじさんは打算的に笑った。
リモナもニヤリと笑った。
おじさんは朝の猟に行くからと、出かけて行った。
「おい、リモナ。このまま革作りやるのか?」アズラクが尋ねた。
「うん、お肉食べられるし」
リモナはブラックベリーを口に放り込んだ。昨夜魚を二匹おじさんにあげたら、お返しにくれた。
「アズはいや?」
「いやって言うか、俺ら街に行くんじゃなかったか?」
リモナはアズラクを見て、瞬きをいくつか。「そうだった」
「まぁ別に急いでないからいいけどさ」
「うん、でもちゃっちゃと終わらせて、街に行こう」リモナは腕まくりした。
黙々とジグを使って裏皮のぶつぶつザラザラを削いで行く。
リモナの横に、一枚、また一枚と処理済みの皮が重なっていく。それらにヤニと油を風で叩いて瞬間乾燥させるのがアズラクの役割だ。ついでにリモナが残して取っておいたオレンジの皮を、皮の上で絞って叩く。
しかし枚数がかさむと、腕の曲げ伸ばし運動がキツくなってきたので、ジグの操作も途中からアズラクの風に任せた。
イタチが五枚、ウサギが十枚、テンが三枚、オコジョ一枚。
「まだこんなにもあるよ」リモナはジグ二号機を作りながら、まだ高く積まれた未処理の皮の山を見た。
「これ終わるのか?」アズラクはさして疲れてもいないのに、肩を回した。
「帰ったぞー」おじさんが顔を覗かせた。「おぉ、作業早えなぁ。だいぶ進んで——オレンジが飛んでる!」宙で動くオレンジの皮を見て、ドアに背中をつけた。
アズラクはオレンジの皮を絞る風と、ジグを動かす風を止めた。「疲れてるんじゃないか?」オレンジの皮は乾燥中の皮にぺたっと落ちる。
「おじさん、もうこんなにやったよ。乾燥もしたし」リモナは出来上がった一枚をおじさんに渡した。
「おいおい、削るのはともかくそんなすぐ乾くわけ……なんだこの質感」
おじさんはウサギの毛皮に触れて、目を閉じた。
柔らかく滑らか。生のウサギに触れているような質感。それにいい匂いだ。
おじさんはリモナとアズラクを見た。
身寄りのない二人。
「おじさん、お腹空いた」リモナは二号機を組み上げ、スパナを持つ手を振り上げた。
「ああ、昼にしよう」
おじさんは昼飯の準備に向かいながら、薄く笑った。
使えるぞ、これは。
猟師の欲の空気が、昨夜よりも強い気がする。
アズラクは肉を焼く男と、旨そうに頬張るリモナを見比べた。
「こんなに色んな種類のお肉食べれるの、幸せ。放浪生活ってこんなに贅沢なんだぁ」
リモナは焼き上がったキジ肉を大事に食べる。リモナの母親が持たせた瓶の野菜も付け合わせる。とにかく幸せそうだ。
「森暮らしもいいだろ? まだまだあるぜ」猟師が狩ってきたばかりのウサギを焼く。
「はぐはぐはぐはぐ<あいつも胃袋掴まれたわん>」猟犬は骨に齧り付きながら言う。
アズラクは一夜干しの魚を猟犬の前に一匹置き、自分も一匹食べる。一昨日ミラージャで押し付けられるようにして沢山もらった魚も、このままでは腐る。
というか、俺たちいつまでここにいるんだ?
「ところでおじさん」リモナは猟犬と肉を取り合いながら聞く。「ここから近い街ってどうやって行くの?」
「あ?」猟師はウサギ肉を回した。「お嬢ちゃん、街に行くとこんな肉食えなくなるぞ?」
「そうなの? 街にはどんなご飯があるの?」
「もっと酷いぞ。まずラードだろ」
「うげぇ」リモナは顔を歪めた。
「それに腐った魚だろ」
「それは冒涜だね」リモナは眉間に皺を寄せた。
「それから腐った乳」
「でももっと凝ったからくり」——があるはず。アズラクはぼそっと挟んだ。
「からくり……」
リモナは肉を片手にアズラクを見た。
猟師が剣呑な目でアズラクを睨む。
「はぐはぐはぐはぐ<あいつもご主人様に従うわん>」アズラクは猟犬の口元から肉を浮かせた。「ワンっワンっ!<肉っ肉っ>」
「仕方ねぇなあ」猟師は頭をかいた。「お嬢ちゃんがもう少し手伝ってくれたら、おじさんが街に連れてってやるよ。肉も食わせてやるしよ」
「ほんと? だってアズ!」リモナは嬉しそうにアズを叩いた。「これこそ一石二鳥だね」
本当か?
アズラクは、無邪気なリモナと、悪巧みの空気のする猟師を何とも言えない気持ちで眺めた。
「お、お嬢ちゃん仕事早いなあ」猟師は新たな未処理皮を作業台に積んだ。「今晩はカワウソのソテーだ」
「おー鹿までやり始めたか。流石からくり技師」猟師はまた新たな大型獣の未処理皮を作業台に広げた。「これやってくれたら、木の実とキノコと鹿の蒸し焼きにするぞ」
「お前ら、作業速度どうなってんだ? 人間技じゃあねえなぁ」猟師は出来上がった熊皮を広げた。「お前ら、立派な革職人だな」
「いやっおっかしーい!」
リモナはスパナとネジ巻き工具を持つ手を振り上げた。
横では大小さまざまな裏皮剥ぎジグが、風で勝手に動いている。猟師の作業部屋は、リモナのからくり置き場と化し始めていた。
「何であたしらこんなに皮の処理ばっかりやってんの?」
「ようやく気が付いたか」
アズラクは、ヤニと油を馴染ませて瞬間乾燥させた毛皮や革を、しばらく森の空気にさらした。老神父が持たせてくれたオレンジもあと数個だけなので、オレンジの香りつけは途中から断念している。
「おじさん、全然街に連れてってくれないじゃん」
もう三日目だ。
なのに猟師は今日も猟犬と一緒に狩りに出かけている。昼時に帰ってきてはまた猟。
それの繰り返しだ。
「お前が肉につられるからだろ」アズラクは森の空気にさらした毛皮や革を風でパンパンはたき、完成品棚に並べていく。
「だって食べたことなかったんだもん、鹿も猪もキジもカワウソもウサギも熊も――」
「まぁ、森だしな。お前は海育ちだしな」アズラクはさして疲れてもいないが、両腕を伸ばした。「あのおっさん、多分連れて行く気ないぞ。完成品積み上がるごとによだれ垂らしてるし」
「なんで? 皮食べたくて?」リモナは気持ち悪そうに顔をしかめた。
「違ぇよ。金儲けだろ多分」
「えぇ、そうなの?」リモナは更に微妙な顔をした。「それはあたしらの腕がいいってこと?」
「お前のからくりと、俺の腕な」
「でもあたしら別に、革職人目指してないよ。お肉もだんだん飽きて来たし」
「お前、あんなに食いたそうにしてたのに」この小屋に来たばかりのときは、肉と聞くだけで目を輝かせていたやつが。
「うん。なんか口の中脂っこくて、もういいかな」リモナは口を膨らませて頬を左右に揺らした。「そういえばアズ、気が付いてたのに何で言ってくれなかったの?」
アズラクは肩をすくめた。
なかなか気ままなご主人様だな。
「で、どうする? そろそろここを出るか?」
「うん」リモナは頷いた。「おじさん来たら話すよ。荷物だけまとめておこ」
へっへ。この鹿を持って帰ったら、ぼろもうけだぜ。
猟師は猟犬と一緒に森の中を歩きながら、ほくそ笑んだ。
異国人の男と世間知らずの小娘。明らかに怪しげな駆け落ち二人組だが、ちょうどいい拾いもんだったぜ。手際いいし、簡単に肉で吊られるしよ。
猟師は思わず漏れたよだれを、手袋の端でふき取った。
金が出来たらこんな生活ともおさらばするか?
いやもう少しあいつら使って品を作るか?
うん、もう少しあいつら使う方がいいだろう。
それに猟師はずっと気になっていたことがあった。
あの嬢ちゃん、やたらいい指輪付けているんだよな。
ラズベリー酒で酔わせて見せてもらおうか。
そしてそのまま――。
すると小屋に近づいてきたところで、大きな熊が急に襲ってきた。
「うわあああ!」猟師は腰を抜かす。
「ワンワンワンッ」猟犬も吠える。
しかし熊はそこから動かない。
というかよく見ると、襲ってきたのは熊ではなかった。
熊の皮だった。
猟師は両手で目をこする――が、汚れた手袋でこすったので目が開けられなくなってしまった。「くそっ何なんだっ」
「あれっおじさん。そんなところで何してるの? お腹痛いの?」小娘がやって来た。
「おい、お前、あの熊の皮……っ」猟師はなんとか片目をこじ開け熊の皮を指さした。
「熊の皮?」リモナは小屋の方を振り返った。「熊の皮ならもう処理したよ」
「あ……あれ?」
両目を開くと、さっきの熊の皮が消えていた。
小娘の後ろには青頭の異国の兄ちゃん。
よく見ると、二人とも出かける格好をしている。
「お前ら、どこに行くんだ?」
「あ、そうそう。それを伝えたかったんだよね。あたしらそろそろ出ようかと思って」
「は?」猟師は固まった。「いや、俺が連れて行くって」
「うん、でもおじさん全然連れってくれないじゃん」リモナは据わった目で猟師を睨んだ。「あたしら革職人目指してるわけじゃないからね、そろそろ行くよ。いっぱい作ったし」
「いや、でもお前ら……二人だけで」
「うん。おじさんめっちゃお世話になった、ありがとう!」リモナはマントを翻した。「あ、お礼にいくつか干物置いといたよ。あとイタチの皮二枚だけもらってくね」
「いや、待って……」
小娘と異国の青頭は、あっけなく出て行った。
いや、何だこの展開は。
猟師は大急ぎで小屋に戻り、作業部屋を確認した。
完成品棚には、大小さまざまな獣の毛皮が、きれいにたたまれて置かれていた。
やはり、どれもいい手触りでいい匂いだった。
これは――逃がすわけにはいかねえ。
猟師は大慌てで二人が消えた方へ向かったが、二人の姿はもう見えなかった。
「あれだけたらふく食わしてやったのに、なんて恩知らずなやつらだ」
だんだん腹が立ってきた。どこかでまたあいつらを見たら、あいつらの皮を剝いでやろうか。
すると、蹄の足音が聞こえてきた。
振り返ると、いい身なりの若い男が、いい毛並みの葦毛の馬に乗って現れた。
「なあお偉いさん!」猟師は馬の前を遮った。若い男が渋い顔をする中、猟師は両手を合わせて懇願する。「悪い二人組に騙されたんです」
「悪い二人組?」若い男は邪険ながらも丁寧に返した。「どんな?」
「イルサーム風の格好をした青い髪の色男と、明るい茶色のみつあみの娘。娘はそばかすだらけで、からくり技師を名乗っています」
「イルサーム風の格好をした青い髪の男に、からくり技師を名乗る娘」若い男は顔をしかめつつも、考え込むように首を傾げた。「それでお前は何を騙されたんだ?」
「これです」猟師は二人が作ったきれいなイタチの毛皮とクロテンの毛皮を出した。「あいつら、からくりできれいな毛皮を作るとか言って、クロテンの毛皮を全部イタチに変えやがったんです。商売あがったりですよ」
騎乗の男は猟師の手からイタチの毛皮とクロテンの毛皮を受け取り、手袋を外して表面に触れた。「これはその二人が作ったのか?」男は目を見開き猟師を見た。
「クロテンの方は、ええ」
よし、いい流れだぞ。
猟師は両手を揉んだ。
「いや、イタチの方だ。その二人組が作ったのか?」男はイタチの毛皮を三往復撫でた。
「えぇ、まぁ……」猟師は曖昧に頷きながら上目遣いで男を見上げた。
「大変良い出来だ。これで足りるか?」男は懐の袋から銅貨を五枚取り出し、猟師に差し出す。
「しかしクロテンの方がいいのでは」猟師は困惑した。
「いや、イタチで十分だ」男はイタチの毛皮をマントに巻き付ける。「イルサーム風の格好をした青い髪の男に、からくり技師を名乗る娘。怪しいのだろうが、技術は素晴らしいらしい。覚えておこう」
そう言って、騎乗の男は去っていった。
くそぅっ。これだったらイタチの毛皮をもっとふんだくるんだった!
猟師は石を蹴飛ばしてから、作業場に戻った。
作業場は娘が大量にこしらえた裏皮剥ぎのからくりだらけだった。
そうだ。これがあるなら、俺の商売もまだまだ捨てたもんじゃない。
猟師は一台の適当な裏皮剥ぎのからくりの下に、鹿皮を敷いた。
見事に失敗した。




