2-2.毛皮猟師となめし作業①
「そうか、ミラージャから」
おじさんは目を丸くしてリモナとアズラクを見た。おじさんの足元には、熊に遭遇してから行方不明だったらしい猟犬が、尻尾を振って歩いている。
「そんな大荷物で大変だったな」
おじさんはアズラクの手を見て言う。
先ほどまで浮かしていた食料のかごと工具箱を、アズラクは両手に下げていた——と言っても、実際は魔法で浮かしているのだが。
「うん、放浪するって言ったらママと神父さまが持たせてくれたの」リモナは猟犬とステップし合いながら森を歩く。
「なんだそりゃ」おじさんは不思議そうに二人を見た。「町公認の駆け落ちなのか?」
「かけおち?」リモナはおじさんを斜めに見上げた。「ちょっとちょっとおじさん、誤解してもらっちゃあ困るよ?」
「違うのか?」
おじさんはリモナとアズラクをまじまじと見た。
アズラクがやや呆れた顔を向ける中、リモナは腰に手をやり鼻を揺らした。
「あたしはアズのご主人さまなの」
よく分からないけど、リモナはだんだんこの響きが気に入ってきた。
「おい、リモナ」
「へぇーご主人……」おじさんはアズラクの両手に下げている——ように見える——大量のかごと工具箱に目をやった。リモナに顔を戻す。「嬢ちゃん、そんなに偉い人なのか?」
リモナは得意げに鼻を揺らした。「ミラージャで町一番のからくり技師と言ったら、あたしなんだよ」誰にも言われたことはないけれど。
おじさんは目を丸くすると、バカにしたように口角を片方吊り上げた。「へぇ、じゃあ兄ちゃんは弟子か見習いってか?」ちらりとアズラクを見る。
「弟子……」口に出してみてリモナは満面の笑みを浮かべた。「そうそう、アズはあたしの弟子。で、あたしが親方」
アズラクは青い目をぐるりと回した。
やれやれ。
おじさんは喉の奥でクックと笑う。「まぁ言うのはタダだな」
「なにそれ。信じてないでしょ」リモナはおじさんを睨んだ。
「そういう設定ってことにしといてやるよ」
どうせ駆け落ちには違いねえんだろうが。
おじさんは肩をすくめて、後ろの男を見た。
男でもドキッとするほどの色男。この辺では見ない浅黒い肌に、変わった羽織を着ている。
異国人か?
「ところでおじさん」リモナは構わず話しかけた。
「なんだ?」
「おじさん、なんでそんな臭いの?」
「あ?」おじさんは顔をしかめた。「失礼な小娘だな、兄ちゃんちゃんと躾けとけよな」
アズラクは肩をすくめた。「しゃあねぇよ。臭えし」
「なんていうんだろう。雨に降られた後のぺぺみたいな据えたにおい……」リモナは鼻に皺を寄せた。「あ、多分獣蝋だ。蜜蝋切れたときにママが買ってくるんだよねー」
「獣蝋?」おじさんは眉を上げた。「そりゃあそうだろうよ、獣の毛皮運んでんだからよ」おじさんはさっきの血だらけの鹿皮を肩に担いでいた。「ミラージャには毛皮出回ってないのか?」
「なくはないけど、あんまり見ないかな。あ、でもミヒャエル神父がこれ見よがしにイタチの毛皮肩につけてたことある。毛皮の触り方、気持ち悪かったな」
リモナは顔を歪めた。
リモナとアズラクがミラージャにいられなくなった元凶の大ホラ吹き。工房を壊そうとまでした。
あの高慢な顔は当分思い出したくもない。
「でもおじさん、前に見た毛皮はもっときれいだったよ」
リモナはおじさんの肩の毛皮を見た。
血は洗えば良さそうだけど、なんか黄色のでろんでろんがついてる。絨毯にするにしても置きたくない。
「嬢ちゃん、からくり技師を名乗る割に知らねぇんだな」おじさんは呆れたように言う。「これからなめしてきれいにするんだよ」
リモナはちょっとむっとしつつも、目をきらめかした。「どうやってやるの?」
「まぁ、ついてきな」
おじさんは二人を案内した。
やがて森を抜け開けた平野に出ると、間もなくして小さな小屋に到着した。
小屋の外には熊や鹿などの皮が、裏返して干してある。表面をつついてみると、結構ぶつぶつしてざらざらしていた。
「なんか固そう」リモナは首を傾げた。
アズラクも真似して毛皮の裏をつつく。「偉いやつらがよく着てたが、これのどこがいいんだ?」
「それはまだ加工途中だからな。これから裏皮を削いで柔らかくしていくんだよ」おじさんは運んでいた鹿の皮を小屋の奥へ持っていく。
「へえ、やすりとかナイフで削ぐの?」
「まぁそうだな」おじさんの声が小屋の奥でくぐもった。「あ、やべぇ。塩ないわ」
「塩? 何でそんなのいるの?」リモナは小屋の奥へ向かい、顔をしかめた。「うわ! めっちゃハエたかってる! 気持ち悪!」
「仕方ないだろ、脂とか残ってるからさ」ハエがたかる中、おじさんは小屋の棚をくまなく確認した。「いや、ねぇなぁ塩」
リモナは隣のアズラクの袖を引っ張った。「アズ、あれどうにかして」
「まぁ、キモいしな。リモナしゃがんでろ」
リモナは言われた通りに頭を抱えてしゃがみこんだ。
アズラクが二、三手を振ると、ハエが風で外に出されていく。
おじさんは、あれ、と顔を上げた。「あんなにたかってたのに、すっかり消えてらぁ」
「うん、これで入れるようになった」リモナは満足しておじさんに近寄る。「塩がいるの?」
「まぁな。なめしの初手なんだが、量が足りねぇな」おじさんは頭を搔いた。「町に行くっきゃねぇかあ?」
「作ればいいじゃん。海水ないの?」リモナはおじさんを見上げた。
おじさんは顔をしかめた。「これだから海育ちは話が合わねえ」
「岩塩とかじゃダメなのか?」アズラクも尋ねる。
おじさんは天井を仰いだ。「森の神よ、こいつらを食ってください」
仕方がないので、おじさんは血だらけの鹿皮と、塩不足でハエがたかっていた別の猪皮を一旦洗い流すと、内皮を土漬けにし、それぞれ樽にしまった。
次に外で干していた皮を、別の部屋に持っていく。
「おじさんの工房、広いんだね。いいなー」
どの部屋にも壁に毛皮や剥製が掛けられているが、リモナが気になったのは工具の種類だ。ナイフの種類も色々ある。
「これってどう使い分けるの?」リモナは一丁手に取った。
「肉削ぐのと、裏皮削ぐのと、動物そのまま狩ってきたときは骨切ったり捌いたり」おじさんは作業台に鹿皮を広げた。「こっからが面倒なんだよなあ」
おじさんは、ぶつぶつざらざらの面を、丁寧にナイフで削いでいく。
リモナとアズラクは息を飲んでそれを見守る。
手のひらくらいの範囲を削ぐのに、砂時計一往復。
果てしない作業に思えた。
「それ腰痛くならないの?」
おじさんはずっと前屈みで作業している。
何時間もこの体勢なのかな。
「仕方ないだろ、仕事だ仕事」おじさんは真剣な顔で刃を入れていく。「お前らもやってみるか?」
「いいの?」リモナは目をキラキラさせた。「やるやる!」
「そこにイタチのやりかけがあるからよ、やっていいぞ」
おじさんは作業部屋の端に積まれたかぴかぴの皮の山を示した。
リモナは一枚手に取ってみた。「うげぇ、獣蝋のにおい」
「上手いことできたら、それやるよ。大して儲けにもならねえし」おじさんが言う。
「ほんと?」
リモナは作業部屋を見渡した。
かぴかぴの皮の山の横には、いびつな形の木材が積まれている。
「おじさん、これ廃材?」
「ああ?」おじさんは手元から顔を上げた。「そうだけど」
「使っていい?」
おじさんはけげんな顔でリモナを見た。
あの小娘、何する気だ?
まぁいいか。
おじさんは手元に目を戻した。
リモナは廃材の山から、いくつか木材を取った。中にはちょうどいいサイズの丸棒もある。
「リモナ、皮やるんじゃないのか?」アズラクが目を丸くした。
「やるよ。いい方法思いついたんだ」
リモナは持ってきた工具箱からのこぎりとネジ穴開けドリルを取り出した。
角形の木材に穴をくりぬき始めたところで、アズラクは狼のような青い目を光らせた。
「からくり作るのか?」
リモナはにやりと笑った。
おじさんが横でガリガリやすりで裏皮を削いでいる横で、リモナは木材を組み合わせた小さなやぐらを組み始める。微妙に安定しないので、勝手に釘とネジを借りて足場を固定した。
アズラクはその工程を興味深そうに眺める。
「お前ら、何しに来たんだ?」おじさんが呆れたように顔を上げた。
「ジグないと腰と手痛めちゃうじゃん」リモナはそう言いながら、加工した木材を変な姿勢でビス止めする。「おじさん、ナイフ一個借りるよ」
裏皮削ぎ用のナイフを、切り込みの入った角棒に差し込み固定する。やぐらの底に向けて刃が飛び出た状態だ。これで丸棒が回るように角棒を固定すれば――完成だ。
「よし! 削ぐぞ!」
「皮剥ぎ舐めてんだろ……」
おじさんは呆れたように眺める中、リモナはやぐらの下にイタチの皮を敷いた。やぐらから飛び出た丸棒の両側を手で転がす。
ザリ……ザリ……。
「いけたかな?」リモナはやぐらを少し浮かせた。「うわ! えぐれてる! 穴も開いてるし」
「そんなもんで解決するわけねえよ」おじさんは笑った。
「力が強すぎたんじゃねえの?」アズラクがやぐらジグを覗き込む。
「あれかなぁ、ナイフの高さを少し調整するかぁ」
リモナは角棒からナイフを一旦外すと、角棒の切込みを少しだけ深くした。ナイフを戻して固定する。
「実験第二弾を始めます」
リモナは両手を合わせた。
アズラクも真似した。
「いや、普通に手で削げよ」
ガラクタに手を合わせる二人に、おじさんが言う。
先ほどと同じ要領で、リモナは丸棒の両側を手で転がす。
サリ……サリ……。
「あ、いい感じに削れてない?」リモナはイタチの皮を覗き込んだ
「穴も開いてないしな。ぶつぶつがとれてる」アズラクが削り上がりを確認した。「微妙にざらざらも残ってるが、使えなくはなさそう」
「おいおいおい」おじさんがため息交じりに言う。「そんなんで削げたら苦労しねえよ」言いながら鹿皮の作業を続ける。まだ半分以上残っている。
「おじさん! イタチの皮ならいくらでも使っていいの?」
「ああ? 二、三枚ならいいけどよ」
「よし、アズ! いっぱい作ってカバンにしよ!」
リモナは次のイタチ皮をやぐらの下に置くと、同じ要領で丸棒を何往復かさせた。裏皮はサリサリ言いながら削れていく。
その様子をアズラクは目をきらめかせながら眺めた。
こんな即席なからくりでも、こんなに変わるんだな。俺なら風使えば更に一瞬で終わりそうだが。
一枚終わると、次のイタチ皮。
さくさくと三枚あっという間に裏皮を削り終わった。
「おじさん! 終わったよ。見て見て!」リモナはイタチ皮を持上げて見せた。
「おいおいおい、俺らの仕事をなめてんじゃねえぞ。そんなんでいい感じに――」
おじさんはイタチ皮を一枚手に取り、目を見開いた。
いや、これは……。
リモナは鼻を揺らした。
「からくり技師のリモナ親方と呼ばせてあげよう」




