1-12.暴動
リモナは憤然としながら、転写機の改良作業をしていた。
お姉ちゃんもパパもなんなの。
指輪捨てろとかアズラクにどっか行ってもらえって、そればっかり。神話だか何千年だかよく分からないけれど、ようやく出て来れたのを何で歓迎できないの? アズラクだって町のからくり修理を手伝ってくれてるのに。
アズラクも急にどっか行っちゃうし。
お姉ちゃんが帰った後にリモナはアズラクを探しに行こうとしたが、何故か工房から出られなかった。
「あーもう、腹が立つ!」
リモナはレンチを持つ手を振り上げた。
窓際のぺぺが、「ミャア?」と顔を上げる。魚を捕まえるのは諦めたらしい。
「みんな、いちいち大袈裟なんだよ」リモナはかごからオレンジを取り、雑に剥いて一粒口に放り込んだ。
「ミャア?」
「ちょっと知らない人が来たくらいで大騒ぎ。やんなっちゃうよね」
「ミャーア」
「あーあ。せっかくもらって帰ってきたのに。ぺぺ食べる?」
「ミャ?」ぺぺは立ち上がった。
すると窓からアズラクがぬっと入ってきた。ぺぺが驚いて、工房の中に逃げ込む。
「アズ! どこ行ってたの?」リモナはオレンジを持ったまま、腰に手を当てた。
「ん? まぁちょっと」アズラクは窓の外の魚を見た。「結局あれどうするんだ?」
「お腹空いたから食べよ。ちょっと腹立ったし」
「何だよそれ」
アズラクは指先を動かし、宙に浮かしていた魚をぺぺの前で滑らせた。ぺぺは目を光らせてかぶりつく。
軒下からもう二匹外し手洗い場へ飛ばすと、控えめに扉が叩かれた。
「リモナ?」
「パパ?」
リモナはオレンジを口に入れながら、扉を開けに行く。
パパはそっと中を伺うように工房に入ってきた。
リモナはむっとパパを睨み付ける。「なに、どうしたの?」
パパは部屋の奥に一瞬視線を走らせると、工房を見渡した。「工房、えらい片付けたんだな」
「アズがやってくれたの」
「そうか……」パパは考え込むような目で、リモナとアズラクを交互に見た。やけに歯切れが悪い。
「それで、なに?」リモナは聞いた。
パパは咳払いした。「リモナ、今朝のことは悪かった」
リモナはすぐには返さなかった。
パパは作業台の上に乗っている水車の模型に手を伸ばす。
「お前が町のためにからくりを作ってるのは知ってるし、正直父さんも誇らしい」言いながら水車の歯車を回す。「それに彼もきっと、お前の言うとおりなんだろう。お前の言葉を信じるよ」パパはちらりとアズラクを見た。
リモナは、目の奥が熱くなるのを感じて、ぎゅっと目を閉じた。オレンジの残りを口に入れる。
「ようやく分かってくれた?」
パパは曖昧に頷いた。「しかしリモナ。物事には適切な時機がある」
「どういうこと?」
「どうするのがいいか、父さんは考えてみたんだ」パパは水車の模型に目を落として言う。「ほんの数ヶ月……数週間でいいんだ。彼に指輪に帰ってもらうか、それが嫌なら工房から出ないでもらおう」
「なにそれ! 分かってくれたんじゃないの!?」
「今はみんな過敏になっている。ほとぼりが冷めるまででいいんだ。どうだろう?」
「いいわけないでしょ!」
どうしてこんな話になるのだろう。
リモナは悲しくなった。
パパは口先では分かったようなそぶりを見せて、結局こうだ。目を合わせようとしないし、何にも分かってない。
アズはようやく出て来れたんだよ?
「なぁ、君はどうかな? 娘の——指輪の主人のためだ」パパはリモナを見ないまま、アズラクへ視線を向けた。
「パパ!」
「俺は——」アズラクはリモナとパパを両方見て答える。「リモナが望むなら、指輪でも工房でも」
「望まないよ! 何でそうなるの!」
リモナはパパとアズラクの間に入った。
不安そうなパパと目が合う。
「リモナ、永久にって言っているんじゃないんだ。町の騒ぎが収まるまで、家族のためだと——」
「意味分かんない! 何でみんなの誤解を先に解かない——」
「——なぁ、二人とも静かにしろ」
アズラクが低い声で突然言った。
窓の外を見て、耳をひくつかせる。
アズラクはパパを振り返った。「なぁこの時代、恐怖に駆られた民衆はどうなる?」
「どう……とは?」パパは困惑した。
アズラクは眉間に皺を寄せた。
鼻がぴくぴく動く。「火のにおい……」
「え?」パパとリモナは目を丸くした。
「大勢が向かって来ている」
パパは息を飲んだ。
見る見る青ざめる。
「まさか……そんな」
パパはリモナを抱き寄せた。
激しく鳴る鼓動と身体の震えが伝わって来て、リモナも不安になってきた。
「は、早くここを出よう」パパが震える声で言う。「うちに帰れば——」
「いや、やめた方がいい。帰る方が危険だ」
アズラクは二人をまっすぐ見た。
「俺がお前たちを守る」
間もなくして、工房は町民に囲まれた。
片手に松明、反対側には斧や鋤や鍬。
みんな、よく知る人たちだ。
パパは唾を飲み、前に立つアズラクの隣に並ぶ。
「ハ、ハリル、リモナ。そこから離れろ」群衆の一人——リモナが魚網巻き取り機を入れた漁師が言う。「その工房ごと悪魔を燃やす」
パパとリモナは息を飲んだ。
「なんでそうなるの!」リモナは前に出ようとして、風の壁に押し戻された。
「待ってくれ、工房はやめてくれ!」パパも叫ぶ。
「ハリル、ここが全ての元凶だ!」別の一人——いつもタコ串を焼いてくれる店主が、こちらに鍬を向けた。「からくりがなければ悪魔も出ていく」
「そうだそうだ!」「それでリモナの目も覚める!」
「なんだその下らない理屈は」
アズラクは群衆を睨みつけた。
強気で罵っていた連中が、一歩引いた。
「意味が分かんない! 何で工房焼かれなきゃなんないの! アズは何もしてないし、あたしの機械、みんな使ってるじゃん!」
「壊したよ、あんな悪魔の道具!」
「壊した……?」
リモナは言った人に顔を向けた。
ああ、暗くて松明の灯りだけじゃ分からない。
あたしの機械、壊されたの?
「リモナ、今日船が転覆した」別の一人が話しかけた。もう誰か分からない。
「アズは、やってない……」リモナはいつもの通る声が出なかった。
「いや、あいつだろう」「イルサームの魔物」そんな声が聞こえる。
「皆さん、大事なことをお知らせしないと」
別の人物が、後ろからやって来た。
艶のある黒髪を撫で付け、寸分の汚れもない黒色の平服姿の男。
ミヒャエル神父だ。
彼は胸元の十字架に触れながら、リモナを冷たく見据えた。
リモナはミヒャエル神父を睨み返す。あの人のことは、前から嫌いだ。
「あいつ、懲りなかったのかよ」アズラクが呟いた。
「ミヒャエル神父様……」パパは首を横に振った。
「ハリル、娘のがらくた作りが何になったかを直視する必要がありますよ」
「な、何を……」
「パパ! この人の言うこと間に受けないで! 技術も自然原理も知らないでたらめ男なんだから!」リモナはハエに向けるような顔で言った。
「秩序に反する小娘がぬけぬけと」ミヒャエル神父は顔を歪めるが、咳払いして取り繕った。「リモナ、あなたのからくりが人を殺しそうになったのですよ」
リモナは息を飲んだ。
群衆に動揺が走る。
ハリルは蒼白な顔で首を振り続け、アズラクはミヒャエル神父を獰猛に睨みつけた。
「どういうこと……?」リモナは弱々しく尋ねた。
ミヒャエル神父は薄く口角を上げた。
「今日船が転覆したことは知っていますね? 何人かの船乗りは救出出来ましたが、一人網に絡まって意識不明の重体だそうですよ。神父様が今も彼に付き添いお祈りを捧げていますが」ミヒャエル神父は、リモナに流し目を寄越す。「そういえばリモナ、漁船にもからくりを入れていたそうですね?」
群衆がざわめいた。「まさか、あの巻き取り機のせいで……」
「なんてことだ、俺たちはずっと前から……」
「ち、違う!」ハリルが声を上げる。「転覆した船の網は、そもそも操れないだろう……!」
リモナもそう言いたかった。
でも、巻き取り機による網のよれが悪さしたら……。
「もういい! やっちまおうぜ!」
一人が声を張り上げた。
他の町民も松明と鋤や斧を振り上げ、踏み出した。
しかし彼らは一歩も前に進めなかった。
「な……なんだこれは!」
「これが悪魔の力か……?」
群衆に恐怖が走る。
ミヒャエル神父は胸の前で十字を切った。「イルサームの魔物め……」
アズラクは彼らを風で押し戻した。
工房は、壊させねぇ。
「おい! 松明を投げろ!」一人が叫ぶ。
「しかしリモナとハリルが……」
「知るか! さっさと燃やせ!」
誰かが工房に向かって松明を振り上げた。
しかし松明は凄まじい勢いで下から吹かれ上げられる。人々の手から松明が離れ、宙を舞った。
「ひっひぃぃ!」
「なんてことだ……!」
ミヒャエル神父と町民は、その光景に恐れ慄く。
空を飛ぶ松明が、この世の終わりのように見えるのだ。
アズラクは松明を海に飛ばす。
これで火は使えなくなった。
「ば……っ化け物!」
群衆の一人が叫び、石が飛んでくる。
アズラクはそれを風で別の方向に飛ばした。次々飛んでくる石や斧とかも同様に。
リモナは、この光景が信じられなかった。
いつも笑ってリモナに機械の修理を頼み、ご飯を恵んでくれる町の人たちが、怖い形相で工房を叩き潰そうとする。
「パパ……あたしたち、どうなるの?」
リモナはしゃがんで、腰を抜かしたパパを支えた。
パパは恐怖に青ざめている。
これ、今この場を凌げても、あたしたち大丈夫なの?
「しゃらくせぇ」アズラクは唸った。「今更あんな奴ら配慮する必要あるのか?」
「や……やめてくれ、乱暴は」ハリルはアズラクに縋った。「生きていけなくなる……!」
アズラクは小さく舌打ちすると、腕飾りをじゃらじゃら鳴らして手を振った。人々の手から、斧や鍬や鋤を風で奪い上げる。
「な……っなんだ!」
アズラクが手をもう一振りすると、斧や鍬や鋤の柄が空中でポキっと折れた。
群衆から悲鳴が上がる。
折れた武器が、彼らの上で渦を巻く。
——よく聞け、人間ども。
アズラクは風に自分の声を乗せて言う。
——リモナとこの工房に何かしてみろ。これがお前たちの末路だ。
竜巻の中で、斧や鍬の先が粉々に砕け散る。
町民は震え上がった。
一人、二人と大急ぎでこの場を走って行く。
「まっ待ちなさい!」次々離脱する町民を、ミヒャエル神父は必死で止めた。「異端の魔物をこのまま——」
——お前にもう一度分からせてやろうか?
ミヒャエル神父は声を引き攣らせて、工房を見た。
狼のような青い瞳が、獰猛な光を放っている。
「こ……っこれで済むものか!」ミヒャエル神父は後退りながら言う。「お前たち一家は破滅だ! 後悔するがいい」
そう言って、ミヒャエル神父は走って行く。
あいつを本気で黙らせるか。
そう思って一歩踏み出すと、リモナがアズラクの袖を引いた。
「中に入ろ」
リモナは弱々しく言って、ハリルを助け起こした。
風向きは、変わりそうになかった。




