第821編「ガラスの瞳に映るのは」(指先が触れるたび、あなたと私は永遠になる)
アンティークドール専門店「Écrin de Verre」の扉を開けると、店内には甘い蜜蝋と古い木の香りが漂っていた。棚には19世紀のジュモー、ブリュ、ゴーチェが整然と並び、そのガラスの瞳が静かにこちらを見つめている。
「ほら、見て。今日、新しく入ったブリュ・ジュンがいるわ」
そう言いながら、木崎真白が優しくドールを抱き上げた。ガラスのように透き通った肌、うっすらと微笑む口元、青みがかったペーパーウェイトアイ。
「繊細なブロックアイブロウ、軽く内向きのリップライン……。この子、1878年頃のBreveteモデルじゃない?」
「ええ、さすがね。ジュモーのリプロダクションとは違う、ブリュ特有のロマンスを感じるでしょう?」
店主の天野凛子が、満足そうに微笑んだ。
真白と凛子は、この店で出会った。大学で美術史を専攻していた真白が、論文の資料を探していたとき、偶然この店に立ち寄ったのが始まりだった。
「この時代のビスクは、カオリン含有量が高いから独特の透明感があるのよ」
「ええ、特にジュモーのオリジナル・プレスビスクはライトポーセリン仕上げが多いから、頬の紅潮が自然なのよね」
初めて会った日、二人は専門用語を交えながら数時間も話し込んだ。気がつけば、日を重ねるごとに、ドールを愛する心と同じくらい、お互いを想う気持ちが育っていった。
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「ねえ、真白」
ある日、凛子はヴィクトリアン調の椅子に座りながら、小さなドールの手を撫でていた。
「なあに?」
「私たち、そろそろ一緒に暮らさない?」
ふわりと広がるカーテンの向こう、西陽に照らされた凛子の横顔が美しく映える。ドールのように繊細なその指先が、そっと真白の手に触れた。
「……ドールのレストアルーム、作る?」
「ええ、一緒に。アンティークドールの修復工房を」
言葉を交わすたびに、二人の未来が少しずつ形になっていく。まるで、傷ついたドールを修復し、再び命を吹き込むように。
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一緒に暮らし始めた部屋には、アンティークのキャビネットが並び、その中には二人が愛したドールたちが眠っていた。オリジナルのシルクドレスを纏ったブリュ、繊細なグラスアイを持つジュモー・トリステ。
真白が、慎重にオートクチュールのドレスを縫い上げる。凛子が、ドールのカマルグを調整しながら、オリジナルのジョイントを修復する。
ドールに触れるたび、二人の心は寄り添い、ほどけ、また結ばれる。
「ねえ、真白」
「ん?」
「私たち、ドールみたいに、百年後も一緒にいられるかな?」
真白はそっと凛子の髪を撫でた。その瞳の奥に映るのは、いつまでも変わらない温かな愛。
「大丈夫よ。ガラスの瞳は、ずっとあなたを見つめているもの」
二人はそっと微笑み、そっと唇を重ねた。ビスクドールのように壊れやすく、けれど決して消えない愛を確かめるように。




