第818編「純潔の輪郭」(この想いは、誰にも汚されたくない——あなた以外には)
薄曇りの午後、校舎裏の桜の木の下で、千景はノートを閉じた。風に乗って花びらが舞い、制服のスカートの上にそっと落ちる。
「……もうすぐ卒業ね」
隣に座る梓は、ふっと微笑んだ。
「うん。でも、まだ時間はある」
千景は膝の上に手を置いたまま、梓の横顔を盗み見る。彼女の長い髪が風に揺れて、ほんのりとシャンプーの香りがした。
「ねえ……卒業したら、私たち、どうなるのかな?」
問いかける声は、どこか不安げだった。
梓は桜の木を見上げながら、ゆっくりと口を開いた。
「どうなるって……私たちは、私たちのままだよ」
「……でも、環境は変わるし、出会う人も増えるし」
千景はスカートの裾をぎゅっと握った。
「……いつか、私たち、誰か別の人を好きになったり、そういうことも……あるのかな」
梓は少しだけ目を細め、千景の手にそっと触れた。
「そんなこと、考えてるの?」
「だって……」
千景は言い淀む。胸の奥にあるこの気持ちが、言葉にすると途端に脆くなる気がして。
梓はその不安を察したように、ゆっくりと千景の手を握り返した。
「私はね、千景」
桜の花びらがふたりの手の上にふわりと落ちる。
「私たちの関係は、誰にも触れられたくない。汚されたくない。純粋なまま、ふたりだけのものにしておきたい」
千景は梓の瞳をじっと見つめた。
「……それって」
「うん、私たち、ずっとこのままでいよう」
はっきりとした言葉に、千景は息を呑んだ。
「変かな?」
梓が微笑む。
「ううん、変じゃない……」
千景は、小さく首を振った。
「だって……私も、同じことを考えてたから」
「そっか」
梓はそっと千景の頬を撫でる。
「ねえ、千景。私たちは誰よりもお互いを知ってるし、これからもずっと一緒にいる。だけど……私たちの関係は、誰のものでもなく、私たちだけのもの。そうでしょ?」
千景は少しだけ頬を染め、静かに頷いた。
「うん……」
ふたりの影が、桜の木の根元で寄り添うように重なる。
千景はゆっくりと目を閉じ、梓の温もりを感じながら、そっと囁いた。
「私……梓となら、ずっとこのままでいられる」
梓は嬉しそうに微笑み、千景の唇に優しく触れた。
——この想いは、まだ誰にも触れられていない。
だからこそ、美しいままで。
純潔の輪郭をなぞるように、ふたりの時間は静かに流れていった。




