第790編「月下の秘めごと」(隠された関係、交わされる視線——夜だけが知る私たちの真実)
月の光が静かに降り注ぐ夜、瑠衣はホテルのスイートルームの窓辺に立ち、東京の夜景を見下ろしていた。
その背後で、静かにドアが閉まる音がする。
「待たせた?」
耳元に囁くような声。声の主は紗季——会社の先輩であり、そして、誰にも言えない関係の恋人。
「ううん。ちょうど今、ワインを開けようと思ってたところ」
瑠衣は振り返り、赤ワインのボトルを傾ける。グラスの中に深いルビー色の液体が満ちていく。
「ねえ、今夜はどんな理由で抜けてきたの?」
瑠衣が訊くと、紗季は少しだけ唇の端を上げた。
「『取引先との会食』。あなたは?」
「『友人とディナー』」
二人はくすりと笑い合う。
本当のことは、誰にも言えない。社内ではただの上司と部下、周囲にはそれぞれ別の人生を歩んでいるふりをしている。でも——。
夜だけは違う。
###
「お疲れさま、瑠衣。今日も頑張ったわね」
紗季がグラスを傾け、ワインを一口飲む。彼女の喉が動くのを、瑠衣はうっとりと見つめた。スーツのジャケットを脱ぎ、シルクのブラウス越しに見える肌のラインが美しい。
「仕事の話はもういいわ。今夜は……」
瑠衣はグラスを置き、紗季に近づく。
「私たちだけの時間でしょう?」
紗季の指先が瑠衣の頬を撫でる。その仕草は、まるで宝石を扱うかのように繊細だった。
「ずっと、こうしていたいわ」
囁くように言って、瑠衣の唇を奪う。深く、ゆっくりと、熱を確かめるように。
香り高いワインの余韻が、唇の間で溶け合う。
###
紗季は瑠衣をベッドへと押し倒し、ゆっくりとボタンを外していく。
「……少し焦らしすぎじゃない?」
「あなたの表情を見ているのが楽しいの」
瑠衣は頬を赤らめながら、紗季の襟元を引き寄せた。
「じゃあ、私にも……あなたの表情を見せて?」
月明かりの下、二人の影が重なり合う。
今だけは、秘密も罪も、すべて忘れて——。




