第788編「ローズマリーとベルガモット」(三段のティースタンドに、私たちの愛を込めて)
ティーポットから立ちのぼる湯気に、ベルガモットの香りがふわりと混ざる。琥珀色の液体がポットの中で揺れ、透き通るカップへと注がれていく。その様子をじっと見つめながら、カトリーヌはそっとため息をついた。
「温度はぴったり95度。蒸らし時間は4分半……うん、完璧ね」
彼女の向かいでは、クロエが楽しげに紅茶を見つめていた。柔らかな栗色の髪をふわりと揺らし、指先で繊細なティーカップの縁をなぞる。
「ダージリン・ファーストフラッシュね?春摘み特有の、青みがかったフルーティーな香り……」
「そう。今日はリッジウェイ農園のシングルエステートを選んだの。シトラスのニュアンスが強くて、爽やかでしょう?」
「うん、とても好き」
クロエは微笑み、銀のティースプーンでゆっくりと紅茶をかき混ぜた。かすかに波紋が広がり、カップの縁を静かに撫でる。カトリーヌはその仕草を眺めながら、ティースタンドに目を向けた。
三段のティースタンドには、芸術品のようなティーフーズが並んでいる。一番下の段には、しっとりと焼き上げられたスコーンと、クロテッドクリームにストロベリージャム。中段には、きゅうりとクリームチーズのフィンガーサンドイッチ、スモークサーモンとディルのブリニ。最上段には、エルダーフラワーのジュレがのったタルトレットや、バラの花びらをあしらったマカロンが、まるで宝石のように並んでいた。
「今日のスコーン、少しバターを増やしてみたの。生地の風味がよりリッチになってるはずよ」
「へえ、じゃあ、まずはスコーンから試してみようかしら?」
クロエはスコーンを一つ取り上げ、ナイフで半分に割った。中から立ちのぼるほのかなバニラの香りに、自然と頬が緩む。たっぷりのクロテッドクリームをのせ、その上にストロベリージャムを重ねる。
「クリームを先に塗る派なのね」
「ええ。カトリーヌは?」
「私はジャムが先よ。クリームのなめらかさを最後に楽しみたいの」
二人は小さく笑い合いながら、それぞれの食べ方でスコーンを口に運んだ。外はほろりと崩れ、中はしっとりとした食感。濃厚なクロテッドクリームと甘酸っぱいジャムが、バターの風味と絶妙に調和する。
「ん……美味しい」
クロエは目を細め、うっとりとした表情を浮かべた。カトリーヌは満足げに微笑み、次にティーサンドイッチへと手を伸ばす。
「サーモンとディル、香りが素晴らしいわね」
「ええ、サワークリームに少しレモンのゼストを加えて、爽やかさを出したの」
カトリーヌの紅茶へのこだわりと同じくらい、クロエはティーフーズに情熱を注いでいた。彼女の作るアフタヌーンティーは、どんなホテルのものよりも洗練され、心を満たしてくれる。
「ねえ、次のアフタヌーンティーはテーマを決めてみない?」
「テーマ?」
「たとえば、季節ごとのフレーバーを楽しむの。春なら桜とピーチ、夏はレモンとラベンダー、秋は栗と洋梨……」
「それ、素敵ね」
カトリーヌはティーカップを置き、クロエの指にそっと触れた。
「……クロエが作るティーフーズは、いつも私の心を満たしてくれるの。だから、もっと色々な組み合わせを楽しみたいわ」
「ふふ、じゃあ、あなたの紅茶のセレクトにもこだわらなくちゃね」
二人は笑い合い、次の計画を立てる。まるで、未来を紅茶の香りと共に紡いでいくかのように。
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夜が更け、食器を片付け終えた二人は、リビングのソファで並んでいた。カトリーヌはクロエの髪を梳きながら、ぽつりと呟いた。
「アフタヌーンティーって、ただの食事じゃないわよね」
「そうね。時間を愛おしむための儀式、って感じかしら」
「ええ。あなたとこうして過ごす時間が、何よりも贅沢なの」
クロエは微笑み、カトリーヌの頬にそっと触れた。
「私もよ。あなたと一緒にいると、どんな紅茶も、どんなスイーツも、特別なものに感じるの」
その言葉とともに、カトリーヌの唇がクロエのものに重なった。ほのかにベルガモットの香りが残る、甘くて温かなキスだった。
(完)




