今日から彼女と暮らすんですのね
これから寮で生活するキマイラは自分の部屋を探していた。
五階建ての学生寮。
校舎ほどではないが、クロノス中等学院の寮には王国中から集まった子息令嬢たちが三年と言う月日を過ごすだけの大きさがある。
まず第一にここで暮らす生徒たちは希望制で寮室を決める。
一つは一人部屋。もう一つは最大人数二人の共同部屋だ。
一人部屋には備え付けのバスルーム、トイレ、キッチン、衣裳部屋が取り付けられ、さらに部屋は寝室、応接室の二つがある。
共同部屋は上記の備え付けに加えて、衣裳部屋、寝室と応接室がなく、部屋の中には一人一つずつのベッドと机がある。
この共同部屋を使用するのは貴族であっても生計が厳しい生徒たちだ。特に成り上がりの貴族などは貿易や仕事での交渉が上手く行かず、その子息令嬢たちは共同部屋に入ることが多い。
彼らのお付きとしてついて来た従者たちは二三名ずつの共同部屋だが、その部屋にもに彼らが十分寝泊まりできるだけの余裕があった。従者の部屋にもキッチンとトイレは備え付けられており、風呂だけが共同の浴場だ。
幾ら従者でも、爵位ある家の使用人である以上はそれ相応の扱いをしなければならない。
基本的にほとんどの生徒が一人部屋を志願し、使用している。
しかし、今日からキマイラが生活するのは共同部屋だ。
無論、イエリエリ家の公爵令嬢であるキマイラの生活が厳しいことなど在り得ない。
両親も元々はキマイラに一人部屋を使わせるつもりで手続きしていた。
しかし、キマイラ本人から共同部屋が良いとの申し出を受け、いつもの感嘆の声と共に彼女の願いを了承した。
入学早々一人と言うのもなんだか退屈ですもの。
寧ろ、誰かと一緒の方が楽しいはずですわ。
さっき、入口受付の寮母から怪訝そうな目で鍵を渡されたキマイラは、階段をどんどん上り、最上階の廊下で部屋を探している。
部屋番号は221
階段から部屋までは暫くの距離があった。
キマイラが足を止めるとそこには部屋番号のプレートが付いた木製のドアがある。
「ここですわね。」
鍵穴に鍵を差し込んで右に回す。
がちゃ
扉を押すと部屋の中から明かりが溢れだした。
中にはもう同室の生徒がいるらしい。
キマイラが中に入ると、入口から少し離れた所に広々とした部屋があった。
生計的に厳しい子息令嬢が使う部屋とは言え、部屋は三十二畳と十分な大きさだ。そこにキッチンとトイレとバスルームがあるのだから生活に不自由することは何一つないだろう。
左右の壁際にはセミダブルベッドが一つずつ。
部屋の両角にも机が一つずつある。
キマイラが部屋を歩いて行くとその内左側のベッドに一人の少女が腰を下ろしていた。
足を組んで本を読んでいた少女はキマイラの姿に気づいた。
「あら。」
とても明るい色の赤髪が首筋あたりまで伸びている少女。
白い肌に形の良い鼻、まさしく美少女だった。
目つきは多少きついがキマイラほどではなく、凛とした顔立ちに寧ろその目つきはよくあっている。
キマイラはその容姿に少し驚いた。
世間でいう所の子息令嬢はキマイラがプレイしていたゲームなどでは全員が美男美女だ。
しかし、そのゲームの世界にいざ転生してみると、周りの貴族は普通な顔が殆どである。
実際、生まれてから今に至るまで、キマイラは母以外の美女など出会ったことがなかった。
美少年も、この間リヒトに会ったのが初めてだ。
絵にかいたような美少女ですわ。
でもこんなキャラクター、ゲームにはいなかったはずですし。
実際の美少女って実在するものなんですわねえ。
少女が本を畳んで立ち上がるとキマイラはスカートの裾を掴んで軽く会釈した。
「初めまして。私はキマイラ・イエリエリと申しますわ。今日から宜しくお願い致します。」
「ええ、どうぞよろしく。」
そう言って、少女はそのままキマイラの隣をすり抜けて行く。
微笑んで自己紹介をするキマイラに対して、少女は笑みも浮かべずに奥のバスルームへ向かっている。
彼女の姿を追うように振り返ったキマイラが聞いた。
「貴方のお名前は?」
視線だけを向けてキマイラを見た少女は赤い目を細めた。
「・・・ウィリアムよ。」
「ウィリアム。そうで、」
「ウィリアム・クロノス。家名で呼ばれるのは嫌いよ。でも、名前で呼ばれるほどなれ合う気もないから。」
「クロノス?」
キマイラの言葉を遮った家名に彼女は首を傾げる。
学院と同じ名前の家名。
クロノス家と何らかの関係がある家の令嬢なのだろうか。
目の前で仁王立ちになっているウィリアムは腕を組んで続けた。
「あんたのせいよ。」
「は?」
ウィリアムは淡々と言った。
「あたし、元々は一人部屋に入る予定だったの。でも公爵令嬢のくせに、あんたが共同部屋に入りたいなんて言ったからあたしはこの部屋に入ることになったの。」
「それはどういうことですの?」
「言葉のままの意味よ。イエリエリ公爵の令嬢を爵位の低い他の令嬢と同室にして、不満でもあったらいけないからって、あたしがここに入れられたの。」
「不満なんて言いませんわ。ここに入りたいと言い出したのは私ですし、それがどんな結果になっても文句は言えませんもの。」
つまり、キマイラの身を案じたマドマリが、丁度入学してきた自分の親族を同室にしたと言うことだろう。
「兎に角、解ったらあたしに関わらないでね。」
そう言って、ウィリアムはキマイラの横をすり抜けてバスルームに入って行った。
残されたキマイラは暫く彼女の居た場所を眺めていた。
見た目は美少女でも中身はかなりツンとしている。
少し、申し訳ないことをしてしまいましたわ。
でも、折角同じ部屋になった訳ですし、仲良くなりたいですわねえ。
立ったまま考えていたキマイラは取り敢えず、運び込まれていた荷物を開けることにした。
キマイラが使用するのであろう右側のベッドの傍に彼女のトランクが置かれていた。
それをベッドの上に乗せて開くと、持ってきた本を取り出す。
「あら、そう言えばこの部屋、衣装ダンスがありませんわね?どこに荷物をしまうんですの?」
辺りには戸棚も本棚もない。
共同部屋でも、その位は完備していていいはずだ。
しかし、それらはどこにも見当たらない。
くるりと一回転して周囲を見回したキマイラは背中からベッドに倒れた。
高級なベッドは彼女の体重を受けて深く沈み込む。
そのまま目を閉じると、キマイラの口からは疲労を感じさせる深いため息が出た。
今日は一日中リヒトに振り回された。
中庭を見るだけだと思っていたのに予想以上に話し込んでしまったのだ。気づけば二人は日が暮れるまで校舎内を散策して回っていた。
不覚ですわ。また良いように乗せられて、こんな時間まで話し込むなんて。
あの人、本当に王子ですの?実はどこかの策士とかなんじゃないですの?
いいや。
キマイラが引っかかりやすいだけである。
確かにリヒトは十二歳とは思えない程、言葉を巧みに操るがそれが誰にでも通用するほど口が回ると言う訳ではない。
ただ、今まで蝶よ花よと育てられ、人に騙されることを知らずに育ってきたキマイラ。その育ちの良いのか悪いのか解らない部分がここに来て王子に利用され始めたと言うだけの話だ。
折角父様に頼んで共同部屋に入っても、彼女のここにいる理由が私のせいではすぐには仲良くなれないでしょうし。
せめて、何か切っ掛けでもないかしら・・・。
目を閉じていると、段々睡魔が襲ってくきた。
今日は風呂にも入らず、このまま寝てしまおうか。香水でも付ければ、一日くらいならバレたりしないだろう。
そんなことを考えていた時、
「きゃああああああああ!!」
「!?」
ドゴン
バスルームからウィリアムの悲鳴と何か鈍い大きな音が響いて来た。
咄嗟にはね起きたキマイラは考えるより早くバスルームに走り込む。
バスルームの扉を開くとそこには脱衣所があった。茶色の籠にはウィリアムの服が入っており、真っ白な部屋は清潔感に溢れている。
脱衣所のさらに先、曇りガラスの貼られたドアに手をかけ、躊躇なく開けた。
「何事ですの!?」
キマイラが飛び込むと浴場の中は湯気で真っ白だった。
しかし、バスタブを見てもウィリアムの姿はない。
「あ、あんた!何勝手に入ってきてんのよ!?」
ウィリアムは何故か床の上に座り込んでいた。
頭には薄桃色のタオルを巻き、その今にも折れそうな裸体を露わにして顔を真っ赤にしている。
どうして床に転がって・・・あ。
不思議に思ったキマイラが湯気の中で辺りを見回す。すると、転がったウィリアムの足先から少し離れた所に石鹸が転がっている。
恐らく、あれを誤って踏んでしまったのだろう。
「ああ、踏んでしまったんですの?」
「ち、違うわよ!!あたしがそんなドジ踏むわけないじゃない!!これはその、ゆ、床の強度と断熱性を確かめて頂けよ!!」
ウィリアムは赤面が止まらないらしい。
そんな彼女の姿を見て、キマイラは妙な感覚に襲われた。
きゅん
ん?何ですの今の?
きゅんってなりましたわ。
・・・もしかして、彼女の恥ずかしがる姿を見て?
いやいや、そんな性質も趣味も持ち合わせていませんわ!!
じゃあ、罵倒され・・・それこそもっとありませんわね!!
気のせいかと思ったキマイラはウィリアムの手を差し伸べた。
「大丈夫ですの?」
「だ、大丈夫に決まってるでしょ!?あんたの手なんか借りなくたって自分一人で立て・・・あれ?」
「どうかなさいましたの?」
床についていた手に力を入れているウィリアムは暫く手を動かし、力を込めては体を起こそうとしていた。
しかし、一向に立ち上がる気配がない。
湯気の中で沈黙したウィリアムは赤かった顔を青くして言った。
「た、立てない・・・。」
滑った勢いで腰が抜けたらしい。
しかし、青ざめているウィリアムとは裏腹に、現状に感ずいたキマイラには電撃が走った。
な、なんと言うご都合主義な展開!!
何かきっかけでもあればと思っていた矢先の事故にキマイラは驚愕した。
雷に打たれたような衝撃だった。
流石はゲーム!!本編関係なくこういったことが本当にあるんですのね!?
これを逃す手はないですわ!!彼女とお近づきにならなければ!
キマイラは転がっているウィリアムの脇に腕を回し、彼女を抱え上げた。
自分の制服が濡れるのも気にせずに。
一方で背後からいきなり抱えられたウィリアムは驚きと戸惑いを隠せずにいる。
「な、何するのよ!?」
「一人じゃ立てませんでしょう?お手伝いしますわ!!」
「い、いらないわよそんなの!!」
「そんなこと仰らずに!私、貴方と仲良くなりたいんですわ!!」
「この状況で言うことじゃないでしょ!?離してよ!!」
「ああ、そう言えば伺おうと思っていたんですけど名前でも家名でも呼ぶなって言われましたけど、なんてお呼びすれば良いんですの?」
「それ今聞く必要ないわよね!?」
「あ、私のことは気軽にキマイラと呼んでくださいな。」
「どうでも良いわよそんな事!!良いから早く離してよ!!」
「うーん、でも折角入った訳ですし、このまま上がってしまうの勿体ないですわね?」
「ねえ、聞いてるの!?」
「このままお背中御流ししましょうか?」
「聞いてないわね!?人の話を完全に受け流してるわね!?無視しているの!?それともそういう性格なの!?」
「ごめんなさい、うちの一家は従者を含めて人の話をまともに聞かないんですの。」
「あのイエリエリ家が!?あんたみたいなのばっかりって何なのよ!?あほ一家だって言うの!?」
「あら、失礼ですわね?父様も母様も侍従も皆、腕と仕事力はピカイチですのよ?」
「つまり話を聞かない上に馬鹿なのはあんただけってこと!?」
「はい!!」
「胸張って返事した!!」
「頭の悪さに関しては無類の自信を持っていますわ!!」
「何でドヤ顔なのよ!?くしゅんっ!」
「ああ!寒かったですわね、ごめんなさい!!すぐ湯船に。」
「当たり前でしょ!?早くしてよ!!」
身長はあまり変わらないが細いウィリアムの体はキマイラでも苦労することなく運ぶことが出来た。
ウィリアムを湯船に入れる。
満足そうにウィリアムを見ているキマイラと、対照的に彼女を睨みあげているウィリアム。
そのままの状態でしばらく沈黙していた。
湯船にお湯を足す為、キマイラが蛇口をひねると、バスルーム内の湯気はさらに立ち込めた。
ぬるま湯だったお湯が段々暖かくなる。
顔を赤くしたウィリアムは湯船に沈みながらキマイラから目を逸らす。
「・・・別に、助けてくれなんて、頼んでないんだからね。」
「はい!」
「あんたが勝手にしたことなのよ!!」
「そうですわよ?」
「あんたが居なければあたしはこんな共同部屋なんかに住まなくて済んだ訳だし。」
「そのことに関しては少し不可抗力な気も。でも、私にも多少、非がありますわね。ごめんなさい。」
「な、何であんたが謝るのよ!?ま、まあ、あんたも悪いけど、その、半分はあいつが勝手にやった訳だし?」
「あいつ?」
「マドマリ・クロノス。」
「ああ。」
「・・・だから!その、」
赤くなってくウィリアムが言いずらそうに湯へ沈んでいく。
ぶくぶくと泡を吐き出しながら、目も合わせずに言った。
「ありがとう。」
ズキュン
キマイラの心臓が貫かれる音が、キマイラの中で盛大に響いた。
ツ、ツンデレですわ!!
この時、キマイラは思い出した。
そう言えば、自分は前世でツンデレ萌えだったなと。
リアルツンデレを目にしたキマイラはバスタブにしがみ付くと嬉しそうな満面の笑みで言った。
「そうですわ!!私、前世ではツンデレ萌えでしたわ!!」
「は!?」
「あ!そうですわ、今日から貴方をウィルとお呼びしますわね?」
「な、何で行き成り愛称なのよ!?」
「私も先日出来たばかりの婚約者に行き成り愛称を付けられたばかりですわ!!」
「あたしを巻き添えにする気!?」
「ああ!!そうですわそうですわ!この際ですから、私もこのまま一緒に入ってしまいましょう!」
「はあ!?」
「では、服を脱いできますわ!」
「ちょ、勝手に決めないでよ!?待ちなさいって、イエリエリ!?イエリエリー!!」
221号室にはキマイラの鼻歌とウィリアムの怒声だけが響いている。
この時、キマイラは初めて何となくリヒトの気持ちが解ったと、後に日記に綴るのだった。