何でいるんですの!?
クロノス中等学院の制服はゲームのキャラクターたちが着るだけあって、かつてキマイラが生きていた世界ではまずあり得ないようなデザインだった。
男女ともに黒を基調としたデザインで、金色に光るボタンには学院の校章が彫り込まれている。
襟やスカートの裾なども金色に縁どられ、黒と言う地味な色には相反する貴族らしい様相だ。
入学式では全員がその制服を身に着け、城下一の職人たちが一つ一つ手作りした木製の椅子に鎮座していた。
学院長であるマドマリ・クロノスの式辞が始まると背筋をまっすぐに伸ばした新入生たちは一切視線を逸らすことなく、その姿を見ていた。
マドマリ・クロノス学院長、またの名をクロノス公爵。
クロノス中等学院をたった一人で建立し、貴族お墨付きの学園にまで引き上げた天才。
かつては王城で王室の教師を務めていた経験もあり、今でも現王とは強い信頼関係を結んでいる。
さらに女性であるにも拘らず、名門クロノス家の現当主である彼女は貴族会でも五本の指に入る公爵でもある。
赤毛をまとめたマドマリはステージの上で凛と佇んでいる。
「皆さん、ようこそ私の学院へ。心から歓迎の言葉を述べます。」
マドマリの声が講堂内に響く。
「ここに入学した誰もがこの学院に通えるだけの地位、教育、礼儀、堅実性をお持ちなことは間違いありません。これから三年間、そんな未来ある皆さんに学問を教えられることを私も大変嬉しく思います。」
にこやかに式辞を述べていたマドマリの表情が唐突に引き締まる。
声音が少々低くなり、彼女が何もせずともその場の空気が一変するのが解った。
まるで電流が走ったように一部参加者の背筋がさらに伸びる。
「しかしながら、お解りの様に。我が学院に落ちこぼれと呼ばれる人間は一切必要ございません。こちらの指定した成績に反した得点を一度でも取れば、その時点で即刻退学となります。ですが、無事卒業できれば、我が学院はその優秀な能力に見合うだけの権利を皆さんに与えることを約束いたしましょう。」
そして、再びにっこりと笑ったマドマリは元の声色で優しく言った。
「それでは、三年間頑張ってください。」
そのまま彼女は壇上から降りて行った。
威圧感溢れるマドマリの見事な式辞。
残された参加者たちは一瞬、静寂し、やがて、一人が拍手を始めるとそれに便乗して拍手喝采を起こした。
パチパチパチパチパチパチ
後方の座席に座っていたキマイラは、式辞など全く聞いていなかった。
学院の生徒らしく制服に身を包み、イエリエリ家の名に恥じぬ姿勢で鎮座している姿は貴族令嬢そのものだ。
しかし、話は全く聞いていない。
よって、マドマリの圧力もキマイラには全くかかっていない。
凛とした貴族女性の力強い立ち振る舞いも一切、見ていない。
周りが拍手を送る中、マドマリの式辞とは関係なく、目を見開いている。
口を開いたまま凍り付いたキマイラは自分の十数列先の席を凝視していた。
キマイラがその事に気づいたのは式辞が始まる5分前。
真っ直ぐに前だけを見据えていた彼女の目に、何故かは解らないが映ってしまったのだ。
そのアクアマリンの様に透き通った美しい髪が。
ま、まさか、そんなはずありませんわ・・・。だって、彼がゲームで登場するのは王立ハインリヒ高等学園のはずですもの。
ゲームの中でもキマイラと彼が同じ中等学院だったなんて記述はありませんでしたし、逆に、彼と同じ学校に通いたかったキマイラが猛勉強したと言うのが事実だったはずですわ・・・!!
人違い!!あの髪色は王族にはよくある色だと言われているではありませんの!心配いりませんわ、大丈夫、大丈夫・・・大丈夫!!
気を取り直して口を閉じた。
しっかりと背筋を伸ばし、令嬢らしく残りの式を聞いて行く。
この際、マドマリの式辞を聞いていなかったことは気にしないことにした。
後の式ではさっきのようなことがないよう、気になる前方席の生徒をなるべく視界から外しながら入学式を終わらせた。
『第22回クロノス中等学院、入学式を終了致します。新入生の皆様は各自、移動してください。』
放送を受けると、予め知らされていたクラスや寮に移動するため、新入生全員が席を立った。
今日はこれから、教室に集合することなく、校内見学や寮生との顔合わせなどを行う。
つまり、ここからは自由時間だ。
講堂内は一気に騒がしくなり、あの髪色をした生徒も席を立った。
その顔を目で追っていたキマイラの目にもはっきりと横顔が見える。
誰かを探しているのか、彼は辺りをきょろきょろ見回している。
少女に見まごうような顔立ちに雪の様に白い肌。彼が顔を左右に動かすたび、肩当たりで切りそろえられた聡明な髪がさらさらと揺れていた。
間違いなく、リヒト・ハインツ・ベルン王子だ。
「・・・。」
幻覚ですわ!間違いありませんわ!!
キマイラは記憶をねつ造した。
自分が直面した現実から逃れるため、自分で記憶を歪めた。
しかし、記憶はねつ造されてもキマイラの本能が叫んでいる。
「な、何故ですの?ただの幻覚のはずなのに、嫌な予感しかしませんわ・・・。」
記憶をねつ造したところで現実が変わる訳ではない。
奇妙な寒気を感じたキマイラが席を立つと同時にリヒトが彼女の姿を捕えた。
キマイラとリヒトの視線が見事にぶつかり、嬉しそうに笑ったリヒトが歩み寄ってくる。
こっちに来ましたわ!?幻覚なのに、幻覚なのに!?
これ以上の現実逃避などただ自分の首を絞める行為でしかない。
今すぐに逃げ出そうと考えたキマイラだったが、距離が近すぎるため彼から逃げ切るには走るしかない。
しかし、入学早々公爵令嬢であるキマイラが学院の廊下を爆走して王子から逃げるなど、言語道断。
人混みに紛れようにも道は新入生で溢れ返り、紛れ込むことすら困難だ。
どうしようもなくなったキマイラは兎に角胸を張った。
な、なにを焦っているんですの私は?
別に逃げる必要なんてないではありませんの。寧ろ平常心ですわ。
挨拶をした瞬間、こっ酷く毒でも吐いてやれば良いんですのよ!
こっちはこの世界の悪役令嬢!王子なんてすぐに追い返してやりますわ。
そう!令嬢らしく、令嬢らしく・・・。
暗示の様に何度も頭の中で唱えていると目の前に立ったリヒトがにこりと笑ってキマイラに挨拶した。
「御機嫌よう、キーマ。」
「ご機嫌麗しゅうございますわ、リヒト王子。女性に断りもなく行き成り愛称を付けるなんて、失礼ではありませんの?」
「何を言うんです、僕たちは婚約者なのですから。ああ、そう言えば貴方は僕に一方的な行動をとられるのが嫌いでしたね。では、貴方も僕を愛称で呼んでください。」
「お断りしますわ。」
「どうして?」
「言ったでしょう?私、貴方様とは仲良くしたくないと。」
「そうやってまた子供のようなことを仰るんですね?」
「なっ!!」
子供だと言われ、キマイラがリヒトに何か言い返してやろうと彼の方を向くとリヒトはその天使のような顔で楽しそうに笑っていた。
にこにこしているにも拘らず、自分の挑発にあっさりと引っかかったキマイラをからかっていたるようだ。
目を細め、小さく首を傾げたリヒトは何も言わないキマイラを見ている。
また私で遊んでますわ!?
後で気づきましたけど、この間も上手く掌に乗せられて・・・今日は絶対引っかかりませんわよ!!
そのことに気づいたキマイラは開いていた口を閉じると鼻を鳴らしてリヒトから顔を背けた。
それを見て、リヒトも小さく笑う。
「残念、今日は引っかかりませんでしたね?」
「何のことですの?それよりも貴方様はどうしてここにいらっしゃるんですの?」
「見ての通り、僕もここに入学しました。」
「そんな話、全く伺ってませんでしたわ。」
「ええ、貴方と婚約を結んだ翌日に決めたことでしたので。お伝えする時間がなく、申し訳ありません。」
「翌日?前々からお決まりになっていたことではありませんの?」
「はい。貴方がここに入学すると聞いて、入学を決めましたので。」
「は?」
驚きの表情を浮かべたキマイラを見て、リヒトが満足そうに笑う。
一方で何を言われたのかよく解っていないキマイラはもう一度リヒトに聞き返す。
「それは、どういうことですの?私が入学すると聞いたからここに入学したんですの?」
「はい。」
「何故!?」
「言ったでしょう?僕は貴方に興味を持ちました。だから、この学院に入学を。」
「さらによく解りませんわ!!つ、つまり?」
「どうせどこかの学院に入学しなければいけないと言うのなら、僕は貴方と一緒に学園生活を送りたい。そう思ったんです。」
「入学の理由は私であると!?」
「はい!」
他の女性となら卒倒しそうなリヒトの笑みにキマイラは目眩を覚えた。
キマイラは学院に入れば、リヒトと関わることもなくなるだろうと考えていた。
そして王立ハインリヒ高等学園への入学権を放棄し、そのまま別の高等学園に入学すれば、リヒトはチーズと出会い恋に落ちる。
別の高等学園に通っているキマイラはそんな二人のことなど気にもせず、自分の将来の為勉学に励む。予定だった。
勿論、その計画は今の現状で全て台無しになった訳だが。
加えてリヒトは、キマイラと学園生活を送るためにクロノス中等学院に入学を決めたと言った。要するに彼は学院内でもキマイラと関わりを持つことが前提でここに来ているのである。
「逃げ場がないではありませんの!!」
思わず本音で叫んでいた。
「逃げ場とは何のことでしょう?」
「貴方様解っていて仰ってますわね!?」
「さあ、僕には理解しかねます。」
「嘘仰いな!?目が完全に残念でしたって言ってるんですのよこの腹黒王子!!」
「腹黒?初めて聞く単語ですね?それはどういう意味ですか?」
「もう嫌ですわこの人!」
「僕は貴方のことが好きですよ?」
「観察対象としてでしょう!?」
「キーマ、これから時間はありますか?」
「ありませんわ!」
「それは良かった。お互い折角同じ学院に入学した訳ですし、一緒に中を回りませんか?この時期は中庭がきれいだと学院長が言っていました。」
「ねえ、私の言葉聞いてまして?ありませんわと言ったんですわよ!!」
「エスコートはお任せください。」
「完全無視ですわ!!それでも一国の王子で、むぐ!」
言いかけたキマイラの口をリヒトの人差し指が塞ぐ。
一瞬、何をされたのか解らなかったキマイラは硬直したままリヒトの曇り一つない目を直視した。
吸い込まれそうなほど聡明な彼の目に間近で覗き込まれ、流石のキマイラも言葉を失う。
「ここでは王子であることを伏せています。あくまでも僕は、ただの王族血縁者。他の学友たちに知られないことを条件に、この学院への入学を許してもらいました。なので、ここでは出来る限り、リヒトと呼んでください。良いですか?」
「~~っ!!」
「キーマ?」
「い、嫌ですわ!!」
顔を真っ赤にしたキマイラがリヒトの手を払いのけた。
キマイラは怒ったように眉を吊り上げる。
「今日からハインツ・ベルンさんとお呼びしますわ!だれが名前でなんて呼ぶものですか!!貴方様はあくまでも学友のハインツ・ベルンさんですわ!!」
リヒトを警戒してか、二三歩離れた所から威嚇してくるキマイラに彼は噴き出した。
「ふふ、貴方は中々強情ですね。」
「大体、それならそうともっと早く仰ってくれればいいのに。私、さっき貴方様のことを何度か王子と呼んでしまいましたわ。誰かに聞かれていたらどうしましょう。」
本当は最初に言わなかったリヒトに責任を押し付けても可笑しくはない。
しかし、キマイラは落ち込んでいた。
人が多く集まっている講堂で何度もリヒトのことを王子と呼んでしまったことに。
申し訳なく感じているキマイラにリヒトは驚いた。
「悪いと思っているんですか?」
「だって私が言ったんですもの。」
そう言って悩むキマイラにリヒトは言った。
「そう思っているなら、代わりに僕と校内を回ってくれますか?それで今回のことはなしにします。」
「え?」
「大丈夫ですよ、いざとなれば僕が誤魔化します。そんなことより、僕はもっとあなたと話がしたいんです。ダメですか?」
「・・・解りましたわ。でも、本当に大丈夫なんですの?」
「はい、お任せを。」
心配そうな視線を向けるキマイラにリヒトは全く気にしていな様子で笑いかけた。
笑って、そのまま言った。
「貴方の驚く顔が見たくて、敢えて隠していた僕の責任ですから。」
「敢えて!?」
「ああ、口が滑りました。」
「じゃあやっぱり伝えようと思えば伝えられたんじゃありませんの!?」
「さあ、どうでしょう?」
「騙しましたわね!?」
「約束は約束です。イエリエリ家の令嬢がまさか学友との約束を破ることはないでしょう。」
「ひ、卑怯ですわ!!」
「では、行きましょうか?」
そう言って、また微笑んだリヒトが手を差し出してくる。
顔を真っ赤にしたキマイラはその手を無視して歩き出す。
彼女の足取りの向かう方向が中庭であるのを見て、リヒトは嬉しそうにキマイラの横に並んだ。
「もう!心配して損しましたわ!!」
「僕は嬉しかったですよ?貴方に心配されるのは何故か良い気分です。」
「腹黒どころか人格が歪んでるんではありませんの!!」
最っ低ですわ!!
見事に彼から嵌められ、キマイラはもう二度とリヒトの心配などしてやるまいと思った。




