内緒のお話、ですわ
何時もより少し台詞が長いのでご了承ください。
朝の授業を抜け出したキマイラたち一行は現在、図書館に身を潜めていた。
クロノス中等学院の図書館は以前も説明したように国立図書館に引けを取らない蔵書数を誇っている。つまり、それらを収める本棚の数も膨大なのだ。
学院の図書館は奥へ入って行けば行くほど、本棚に光が遮られ、暗くなる。最奥地に行けば、電気の光はほぼないに等しい。そのため、司書たちは年に一度の蔵書点検の際、態々ランプを持ち歩くはめになるのだ。
学院の図書館はまるで迷路のように入り組んでいた。それは長年学院に仕えている司書たちですら、一度迷ったら出られないと言うほどだ。
あの学院長、マドマリ・クロノスですら図書館内の構造を完全に理解できていないらしい。
そして、そんな図書館と言う名の大迷宮には当然、生徒たちから異名が付く。
ついたあだ名が「ラビュリントス」。かつて、ミノタウロスが閉じ込められていたという迷宮の名を持つ図書館とは何とも壮大だ。
そもそも、館内が大迷宮過ぎて目的の本一冊まともに見つけられない図書館とは一体なんだろう。
迷った人間が生きて帰ってこられないなどと言う噂の立つないような場所を果たして図書館であると言っていいものか。
だが、裏を返せば、図書館内の最奥地に誰かが辿り着くことはまずない。加えて、後を追ってくる者がいたとしても一度中へ入ってしまえば、彼らを見つけることは不可能だ。
だから、キマイラたちは今、ここにいる。
授業を抜けてから、辺りを警戒しつつ、図書館へやって来た三人は兎に角図書館内の奥へ奥へと入って行った。
まるで密林の様に立ち並ぶ本棚の間をすり抜けて、ただ只管に。
そして、初めて見る図書館内の壁に突き当たった所で足を止めた。
無論、彼らも図書館の構造を知るはずもなく。一度迷ったら出られないことは目に見えていた。
しかし、クロノス中等学院の図書館にはただ一人、館内で迷わずに目的の蔵書を見つけることができるスピッツ・ハインツ・ベルンと言う王子が居る。
彼は直観的に館内を歩くだけで目的地に辿り着けるという、恐るべき第六感を持ち合わせていた。それは王子と言うよりもさながら野生動物の様である。
さらに言ってしまえば、彼は毎日授業をサボって図書館内に入り浸っている不登校児だ。
今日も当然、図書館にいた。
そして、リヒトが館内に入ってすぐ。
「えっ、あ、兄上!?何でこんな時間にこんな所に・・・まさか俺様に会いにっ!?べ、別に嬉しくなんか・・・、え?違う?じゃ、じゃあ何しに来たんだよ!!」
キマイラが彼を呼ぶ間もなくスピッツはリヒトの前に飛んできた。
隠しきれないお兄様大好き感を垂れ流しながら。
普段は反発しているが、本当はリヒトが大好きで仕方がないスピッツがリヒトの嫌悪感のダダ漏れした頼みを断るはずもない。
すぐにツンデレの二つ返事でランプを持ってきた。
スピッツを引き入れ、キマイラたちは暗がりの中で明かりを囲んで座り込んだ。
雑に積まれた本の上に腰を下ろしたウィリアムは何故か頭を抱えている。
彼女の口からは最早、溜息とすら言い難い息が霧の様に漏れ出していた。
「はあああああ・・・。」
「どうしたんですの?ウィル。」
「・・・どうした?どうしたかですって?それをあんたが聞くの?」
「め、目が据わってますわよ?最近、随分疲れて帰ってきたましたものね、何か私に出来ることがあればいつでもおっしゃて下さいな!」
「あんた、あの早退理由は一体何かしら。」
「早退理由?ああ!あの私の名演技の事ですわね。見てくださいました?ウィル。私って女優としての才能があったんですのね。ええ、私も本当にあそこまで上手くいくとは思わなくて、皆私の名演技を信じてらっしゃいましたわ!日頃のハインツさんへの嫌がらせの成果がこんな所に!」
「そう!信じたのっ!!在り得ないことだけど、信じたのよ!学院内の使用人たちがあと一歩でイエリエリ家にまで連絡がいくところまで!!あの時だけは本気で学院内の使用人の頭を疑ったわ・・・。あんた、王子の嫌がらせを塗り替える騒動起こしかけたのよ?」
「え?実家に連絡って何のことですの?」
「無自覚!!何よあの『実は学院に入学してから発病した持病があって。この持病は授業が近づくと頭痛がして、口の中に大きな口内炎が出来る難病なんですの。誰にも言っていなかったのだけれどもう隠しきれませんわね・・・。ごふっ、ああ!胸が、息が苦しい!!だから今日は授業を早退しますわ。ごっほ、げほっ!!』って!?吐いてもない血反吐まで吐いて、どこの四流大根役者よ!?」
「三流ですらない!?」
「当然でしょう!?この阿呆令嬢、何でもっと簡単な嘘が付けないのよ!?普通に婚約者が嫌がらせに合う様を見て精神的に耐え切れず、体調を壊しましたとかで良いでしょ!?」
「そ、それこそそんな嘘じゃ通じませんわ。第一、そんな事で体調を壊す令嬢なんているわけ、」
「居るわよ!!いい!?貴族のくせに社交界の事を一切知らないあんたに教えてあげる。この世の殆どの令嬢はね、メンタル障子紙並なのよ!吹けば飛ぶような精神状態してんのよ!!ただ失恋した程度で高熱出すような奴もいれば、王子と合っただけで卒倒するような奴もいるの!常に情緒不安定なの!ガラスどころかかき氷みたいなハートなの!寧ろ、あんたみたいな大根令嬢の方がよっぽど珍しいんだからね!?」
「世の令嬢たちをボロッカスに言いますわね!?大根令嬢!?」
「あんたのメンタルが大根並みの極太ってことよ!もおおおお、何で仮病一つまともにつけないのよ、この正面衝突令嬢は!あんたがちゃんとまともなを嘘付けてれば、あたしが『実は丁度薬に関する研究をしていて、たまたま持病を直せる唯一の薬を開発したから一緒に早退して、今日は治療に励みます』なんてありえない嘘つかずに済んだのに・・・全部あんたのせいよ、反省なさいこの猪突猛進娘。」
「くっ!な、何だかどのあだ名も認めざる負えない気がしますわ!」
『ぴったりですね、流石はウィリアム嬢。お嬢様とは大違いです。』
byイエリエリ家 使用人ジーニー
「今何故かどこからかジーニーの声がしましたけれど!?」
「何意味の解らないこと言ってんのよ!日頃からあれだけリヒト王子を騙そうとしてるのに未だに上達してないからこうなるのよ!」
「あうっ、」
「もっとよく演技を学びなさい!質のいい演技をするにはまず、質のいい演技を見ることから始めるの!!舞台の上ではいつも一人なの、誰も御供なんか、」
「ストップ!!流石にぞの台詞はまずいですわ!?」
「周りをよく観察し、身振り手びりにまで常に意識を集中なさい!」
「何かこんな漫画ありましたわね!?あいたっ」
ウィリアムに盛大なデコピンを食らったキマイラが額を押さえる。何時ものようにキマイラを叱りつけた彼女の目は酷く据わっていた。
ここ暫く、リヒトへの嫌がらせの件で毎日マドマリに呼び出されていたウィリアムは大概ストレスが溜まっていたのだろう。いつになく饒舌である上、年相応の口調が目立つ。
特にキマイラの台詞をそのまま覚えている箇所など、普段はそんなことなど覚えもしないウィリアムの天才さが無駄にフル活用されている証拠であった。
そして、これを切っ掛けにキマイラに対する罵詈雑言が吐き出された。
彼女からキマイラへの謎のあだ名の数々にはある意味、ウィリアムの優しさが溢れている。
呼吸音がもろに聞こえる程、大きく深呼吸するとウィリアムは気を取り直すようにリヒトへ向き直った。
「それで、これからどういたしましょうか。図書館に身を潜めたは良いですが、犯人が見つかるまでここに引き籠っているわけにも行きませんわ。」
「ええ、その通りですウィリアム嬢。」
真剣な顔つきをした二人が悩み始めるとそれに割って入るように本棚の上から三人を見下ろしているスピッツがランプの前に飛び降りてきた。
犬のような犬歯を光らせ、ニヤリと笑うとリヒトにぐんと顔を近づける。
「俺様は構わねぇぜ?本当は嫌だけど、兄上がどーしてもっていうならその嫌がらせしてる奴が見つかるまでここにさせてやるよ!!」
「お前は黙っていてくださいスピッツ。こんな所に何日も引き籠っているなんて御免です、それに学院の図書館はお前の所有物じゃないんですよ。」
「な、何だよ!その言い草っ!!お前ら、俺が居なきゃここから出ることも出来ねぇんだぞ!?」
「好きでお前なんかの手を借りている訳ではありません。」
言い争い始めたリヒトとスピッツに割って入るようにウィリアムが咳払いする。
「しかし、学院側がここまで総力を挙げて探しているにもかかわらず、未だに何の情報も得られていないというのはあまりに不自然です。現在、学院内には早朝から深夜まで一日中警備が巡回していますし、誰にも見られることなく、教室であそこまでの作業をすることは不可能です。それに研究室への落書きだって、アルカナ先生の目を盗んで忍び込むなんて、生徒には到底できるはずがありません。」
「ええ、私もそう思います。」
「おいおい、待てよ。それってつまり犯人は学院側の人間かもしれないってことか?」
「ええ、そうなりますわね。」
「そりゃ、有り得ない話だろ。」
「どうして?」
断言したスピッツにウィリアムが首を傾げる。
先程まで笑っていたスピッツが唐突に真顔になった。
「簡単だ。ここまで来てまでやる理由がねぇんだよ。もしも、学院側に犯人がいるとすれば、それは兄上が気に入らない連中ってことだろ。でも、王族が気に入らない貴族なんてのは、居てもそうそう本性を現さない。寧ろ、利用してやろうって奴が大半だ。或いは現在、実権を握っている貴族たちが兄上が王座に就くことを危惧しての行動とも考えられるが、それはまずない。何せ兄上には大兄上がいるからな。あの人の能力を見ただけでも誰が王様になるかなんて目に見えてるんだよ。血筋のこともあるし、こいつは王座から最も遠い存在なんだぜ。俺様の方が近いくらいだからな。」
「大兄上?」
「私の兄の事です。」
「となると考えられるのは城で兄上に嫌がらせをしていた連中だ。でも、今まで兄上が王宮内で嫌がらせを受けていたのは兄上の血筋が真っ当な流れじゃないからだ。ようは、母親が卑しい身分の人間が王宮にいることが気に入らねぇ連中からの嫌がらせばかりだったってことな!実際、兄上が城を開けている時に嫌がらせをされることなんてなかったんだ。でも、城を出た今、兄上を追い出したいと思っていたそいつらの願望は見事成就した訳だろ?じゃあもう嫌がらせをする必要もないってことじゃねぇか。それこそ態々学院に忍び込んでまでなんて考えもしないだろうぜ。」
「失礼を承知で言わせていただきますと、この学院には王家に恨みがある者も中には居りましょう。その者たちの仕業と言うことは?」
「もっとないな。それ程王族を恨んでるならこんな中途半端な悪戯しねぇよ。ウィリアム・クロノスだっけ?お前は知らないだろうけど、本当に殺意に駆られた人間ってぇのは自分の命捨てて襲い掛かってくんだよ。もし、犯人が本気で王族を恨んでるなら兄上は今頃、ギッタギタに殺されてるよ。」
会話の終盤を迎えた時、スピッツの目つきが唐突に変わった。
言葉尻が強くなり、子犬のようなコロコロした目が一瞬で細められる。
その目にウィリアムが一瞬、怯んだ。
細められた彼の目にはランプの光が揺らめいている。
それはリヒトがかつての話をする時の目とは違っていて。虚ろでなく、ただ真っ直ぐに誰かを睨みつけているような。
彼の言ったことが全て当て嵌まっていたのか、リヒトは何も言わない。
いつもなら論破された相手から視線を逸らすような、負けを認める行為をしないウィリアムがこの時だけは本能的に目を逸らしていた。
彼女の肌は気づけば、恐怖心を顕にするように泡立っている。
何、今の目・・・?
リヒト王子がいつもあの子に見せているものとはまるで違ってた・・・。
行き成り彼の周りの空気が変わって。
思わず目を逸らしたけど、あれってまるで
獣だ。
スピッツ・ハインツ・ベルン。
リヒトがそうであるように彼もまた、王族なのである。
もしかしたら、スピッツにも人には言えないような過去があるのかもしれない。
反射的に目線を逸らしたウィリアムに気づいたスピッツが彼女に顔を近づけて、リヒトに向けたのとはまた違う無邪気な笑みで笑う。
「なーんてな!そんなビビんなよ、弱っちいなあ。」
「ひっ、」
自分の喉から漏れた声にウィリアムは驚いた。
一瞬、自分が発した音だということが解らなかったほどに。
ウィリアムにはそのことが酷く堪えがたかった。
彼女の顔は羞恥心で真っ赤にそまりかけ。
そして、止まった。何故かウィリアムの真っ赤になりかけた顔は直ぐに元の色白な肌へと戻ってしまった。
そんなウィリアムを見た時、ほんの一瞬、スピッツの目が寂しそうに揺らいだのをウィリアムは見逃さなかったからだ。
「あ、いや、その、べ、別にビビってなんか!」
「・・・。どこがだよ!完全にビビってんじゃん!あはは」
「ば、馬鹿にしないで!」
「寮に戻らなければ、できるんじゃありませんの?」
さっきまで黙り込んでいたキマイラが呟いた。
三人の目線が一斉に彼女へ向けられる。
考え込むように口元に人差し指を当てていたキマイラは目線を上げるとウィリアムの方を見て続けた。
「朝、教室で教科書を切り裂いたり、机に落書きすることは出来なくてもずっと教室に残っていて深夜にやれば、出来ますわよね?以前、私が寮へ戻らなかった時もウィル以外は誰も気づかなかった訳ですし。」
「まあ、そうだな。でも、そんな時間になるまで校舎内にいたら不自然に思われるんじゃね?それに教室は毎日、担任が施錠して、鍵は職員室で保管されてるんだろ?ここ暫くは窓なんかの鍵にもかなり気を使っているはずだし、仮にどこかに隠れて校舎内に残れても教室には入れないだろ。」
「合鍵を作るとか!」
「鍵は常に教師が管理してんのにいつ作るんだよ。」
「あ、確かに・・・。」
キマイラが項垂れ、その場は再び沈黙しそうになった。
しかし、キマイラの言葉にリヒトが大きく目を見開いた。
「いや、矢張り犯人は学園側の人間でしょう。」
「あ?」
自分の定義を否定されたスピッツが不満の声を上げる。
しかし、何かを考えていたらしいウィリアムがリヒトの後を追って、零した。
「・・・そうよ。寮に帰らなければいいだけのことだわ。」
「これで犯人はかなり絞られましたね。」
「え?えぇ!?もう犯人が分かってしまったんですの!?」
「お!誰なんだよ?」
「誰もいない校舎で作業が可能で、かつ寮に帰る必要がない。校舎内に遅くまでいても怪しまれなくて、警備の巡回時間を把握している。これだけの条件がそろっている人間なんて一人しかいないじゃない。」
「もったいぶってないで早く教えろよ!!赤トマト!」
「だ、誰が赤トマトよ!!」
「アルカナ先生です。」
「は?」
すっかり敬語が抜け落ちたウィリアムが怒りながら補足にする。
「教師だからって犯人じゃないなんて、どこの誰が言った訳でもないんだから。十分あり得る話よ!」
どうやら、赤トマトと言うあだ名が相当気に入らなかったらしい。
先程までの凍り付いた空気はどこへやら。それっきり彼女はスッピツと目を合わせなかった。
ウィリアムの口から叫ばれた名前にキマイラは硬直した。
「あ、アルカナ先生が・・・犯人?」
「はい、我々の担任であるアルカナ先生ならあれらの悪戯を仕掛けることも可能でしょう。ホワイトボードのことも自らの研究室に落書きをするなど造作もないことです。」
アルカナはクロノス学院第一学年クラスAの担任であった。
普段の彼は真面目で気の良い中年男性である。そのため、生徒からの評判も良く、キマイラたちの質問にもよく答えてくれる人気の教員だ。
だからこそ、キマイラの頭が追いつかない。
「どうして、先生がこんなことするんですの?理由がありませんわ。」
「それは本人に聞いてみないことには何とも。しかし、今の字状況で最も疑わしいのは彼だけです。」
「・・・。」
疑心暗鬼に落ち込みそうになるキマイラにウィリアムは言う。
「そんな暗い顔するんじゃないわよ、証拠もないんだし、まだ確定じゃないんだから。ただ今、一番怪しいのがあの人ってだけ。まあ、何はともあれ今夜、全部解るわ。」
「今夜ですの?」
「今夜、寮を抜け出して校舎に忍び込むわよ。」
「ええ!?」
「当たり前じゃない。犯人の手口が解った以上、早々に捕まえたいじゃない。もし仮に本当に犯人がアルカナだった時のことを考えて、このことを学院側に言う訳にはいかないし。リヒト王子は兎も角、あたしとあんたは同室なんだから、抜け出したところで言いつける奴はいないでしょ?」
「で、でも校舎は下校時間を過ぎたら完全に施錠されてしまいますわ、どうやって中に、」
「はいこれ、あの女のマスターキー。」
「嘘でしょ!?」
「こういうのって案外ちょろいのね。辞書のページを切り抜いた中に隠すなんて、まだまだやり方が未熟なのよ。当然、あの女はまだ気づいてないでしょうけど?」
「目が怖いッ!!な、なんて恐ろしい子なのかしら、モリアーティー教授顔負けですわね!?」
「誰よそれ?」
話を聞いていたスピッツが目をキラキラ輝かせ始める。
「何だそれ!?面白そうだな!俺様も行く!」
「お前は来なくていい。」
「何でだよ!?」
「それでは、目星がついたところで一度、寮に戻りましょうか寮母に顔を見せていないと一、度も帰っていないことがばれてしまいますからね。」
「ええ、では今夜十二時丁度に校舎の入り口前でお会いしましょう。」
そうして四人の密談は終わりを告げた。
もう帰るのかよ、と文句を言っているスピッツを他所に機嫌を損ねたウィリアムは帰り道が解らないにもかかわらず、どんどん本棚の中へと戻っていく。
流石にまずいと思ったのか、慌てたスピッツが彼女の後を追う。
残されたキマイラがランプを手に取り、二人を追いかけようとしたが、そんなキマイラの腕をリヒトが掴んだ。
「どうかしましたの?ハインツさん。」
「今朝、貴方は何をしていましたか?」
「今朝?いつも通り、ウィリアムと一緒に登校しましたけど。」
「ここ暫く、学校に早朝から来たりは?」
「?してませんわ。」
「・・・そうですか、なら良いんです。」
「それがどうかしたんですの?」
「いいえ、何でもありません。忘れてください。さあ、私たちも行きましょうか。」
「はい!」
笑顔で返事をしたキマイラがリヒトの手をそっと取った。
行き成りのことにリヒトが目を見開く。
しかし、照れくさそうにはにかむキマイラを見て、彼もまた嬉しそうにほほ笑んだ。
やがて、図書館の外へ出て、スピッツに別れを告げた三人は各々寮への帰路を急ぐ。
公道でリヒトと別れる時、キマイラは女子寮へ向かっていた足を止めた。そして、彼が完全に寮内へ入って行くのを確認すると申し訳なさそうに俯く。
小さな唇をキュッと結んで声を潜め、息を吐き出すように言った。
「ごめんなさい、ハインツさん・・・。」
「なーにやってんのよ。早くくわよー!」
「・・・はーい!すぐ行きますわ!!」
誰にも聞こえることなく呟かれたその声はウィリアムの呼び声にかき消された。
これが、キマイラがリヒトに初めてついた本当の嘘になった。




