何が何だか分かりません
シリアスしてます。
リヒトへの嫌がらせは駆けつけた教師たちによって迅速に処理された。
一番に現場へ到着したのは、生徒指導のリカルド・ゼネ。
彼は直ぐに周りの生徒たちを帰寮させると、学院の掃除婦を呼びつけて、下足室の片づけを命じ、キマイラたち三人に理事長室へ行くよう促した。
王族に対する前代未聞の嫌がらせ。
それはクロノス中等学院の品位をどん底まで落としかねない事件だ。
理事長室に着くと、三人は理事長であるマドマリ・クロノス本人から聴取を受けることになった。
部屋の長椅子にリヒトを中心として三人で腰かける。
そして、明らかに血色の悪いマドマリはその時の状況を三人から根掘り葉掘り聞きだしていく。
いつ、どのような状況で、どんな風に、犯人の心当たり・・・。
しかし、大体のことを聞き終えても、これと言った手掛かりは得られなかった。
「殿下、この度は大変なご迷惑をお掛け致しました。この件に関しては直ぐに処理をさせます。そして、どうかこの件は国王陛下にはご内密に頂きたく。」
被害にあったにも関わらず、いつも通り平然としているリヒトは無表情で言った。
「分かっています。こちらとしても、大ごとにはしたくありません。」
「感謝いたします。殿下とイエリエリさんはこのまま帰寮されて結構です。ウィリアム、貴方はここに残るように。」
一連のやり取りを終えると、マドマリはリヒトとキマイラを下校させた。
部屋を出る時、残されるウィリアムが如実に不服そうな顔をしていた。
その日、いつものように寮への帰路を共にしたキマイラとリヒトの間に会話はない。ウィリアムもいないため道中には重苦しい沈黙が立ち込めていた。
笑み一つ浮かべずに俯いているキマイラを横目に見たリヒトはいつもの笑顔を浮かべる。
「貴方が気にすることではありませんよ。」
「・・・そんなこと、言わないでくださいな。」
顔を上げたキマイラが怒りをあらわにして顔を歪めていた。今にも泣きだしそうな顔で悔しそうに歯を食いしばりながら。
そして、リヒトが次に何かを言おうとした瞬間、彼女の涙腺は崩壊した。
ぼろぼろと泣き出したキマイラにリヒトはぎょっとする。
キマイラはよくリヒトの前で涙目になるが本当に泣き出したのはこれが初めてだ。
加えて彼は、生まれてこの方、女性を泣かせたことが一度もない。
彼と顔を合わせた女性は基本的に令嬢らしくほほ笑むか、年の近い娘であれば照れるか、時にニヤケるような笑みを浮かべる者もいるが泣き出す者はそうそういない。
涙は女の武器と言う。
王子とは言え、十二歳という若さで女性の涙の止め方まで知っている少年はいないだろう。
ここで下手に甘い言葉など掛ければ、キマイラはリヒトのことを軽蔑するに違いない。
どうすることも出来ないリヒトはキマイラの涙を拭おうと彼女の目元に手を伸ばす。
しかし、それを察したキマイラは彼の手を叩いた。
「!!」
「どうしてっ!何も言ってくださらないんですのっ!?うぅ・・・ぐすっ、」
涙で顔をぐちゃぐちゃにしたキマイラはリヒトを睨みあげる。
しゃくりあげながら必死に言葉を吐き出しているキマイラに掛ける言葉が見つからない。
キマイラがリヒトの制服の裾を握る。
「あんなことされて、当然のような顔をされて。当然じゃないんですのよ!?王族だからって、そんなこと全くこれッぽっちも関係ないんですのよ!?それなのにずっとニコニコ、ヘラヘラ、」
「キーマ、私は」
「私は貴方様のそういう所が大っ嫌いですわっ!!」
「っ、」
「確かに私は貴方様に嫌われたいんですけれど!!今まで色んなことをしてきておいて、こんなこと言える義理はないのですけれど!!それでも、今は、貴方様の婚約者ですわ!嫌なことがあった時、お話を聞くことも、泣きたいときに抱きしめて差し上げることも出来ます!!それが婚約者と言うものでしょう!」
「・・・そう言う、物なんでしょうか。婚約者と言うのは。」
「はい!」
「どうして、貴方は私の為にそこまで怒ってくれるんですか?私が、婚約者だから?」
「怒るのは当然ですわ。ハインツさんは大切な学友でもあるんです。大切な友人があんなことをされて、怒らない友人はいませんわ。婚約者かどうかは二の次です!!」
支離滅裂になりながら訴える。
嫌いなんて、言われたのは始めたです・・・。
こんなに苦しくなるものなんですね、人に嫌われるというのは。
息が詰まる。
あの嫌がらせに対して、本当に何かを思った訳ではない。
幼い頃、王宮内でのリヒトに対する嫌がらせは少なくなかった。
卑しい身分の女王の息子。才能のない王子。
その行いに対する感情の押さえ方も幼い頃からずっと知っている。強いられてきた。
兄がそのことに気づいてから城内での嫌がらせは消えたが今更、リヒトが何かを思うことはない。
しかし、自分の身に何かが起こることでこんなにも誰かを心配させてしまうものだということは初めて知った。
周りからの嫌がらせには慣れている。
ああ、でも、これは嫌だ。
彼女が泣いてしまう。大切な人が、悲しんでしまう。
気が付けば、リヒトはキマイラを抱きしめていた。
腕の中のキマイラは一瞬、目を見開いて、すぐにリヒトを抱きしめ返す。
「私は、本当に悲しくはないんですよ。もうこういったことには慣れてしまいましたから。でも、貴方がそうやって泣いているのを見るのは何故か酷く苦しいんです。だから、もう少し、このままでいてもいいですか?」
「ぐすっ・・・ええ、勿論ですわ。」
リヒトの言葉にキマイラが彼を抱きしめる力が強くなる。
ああ、温かい。
かつて、兄が自分を抱きしめてくれた時と同じくらい温かいとリヒトは感じた。
キマイラの髪に顔をうずめるとふわふわした感触と柔らかな香りが心地よかった。
「あー、お取込み中の所悪いんだけど。誰もいないからってちょっと大胆過ぎない?」
唐突に背後から聞こえてきた声に二人は咄嗟に体を放す。
「ウィリアム!?あっ、えっと、違うんですのよ?これは、」
「はいはい。分かってるわよ。やましいことはないんでしょ?」
「そ、そうですわ!!やましいことなんて何もありませんわ!!」
「なら、そんなに慌てなくていいじゃない。道端で抱き合っている男女なんて、やましいことは何にもない光景なんだから?」
「うっ!」
「野暮なことして悪いけど、ここ一応公道だからね?」
「うぅ。」
「ウィリアム嬢、校長とのお話は終わられたのですか?」
「ええ。こちらで早急に片づけることになりましたわ。早いうちに犯人も見つかるでしょう。本当、どこの馬鹿だか知りませんけど、面倒なことになりましたわね。」
「申し訳ありません。」
「王子のせいではありませんわ。お気になさらず。」
しかし、嫌がらせはそれだけで終わらなかった。
翌日の朝には、男子寮にあるリヒトの自室の扉が開かなくなった。
外側から接着剤のようなもので固められたのだろう。扉が開いたのは第一学年の授業が二限目を過ぎたころだ。
更にその三日後、教室移動をしていたリヒトの頭上からバケツと水が降って来る。
水に直撃したリヒトはその日の授業を早退した。
最初の事件から五日を過ぎた頃、移動教室先の伝統文化学教授 アルカナの研究室にあるホワイトボードに『婚約を破棄しろ 王族の成りそこない』と落書きがされていた。これにはリヒトよりもアルカナが激怒した。
それから似たような嫌がらせが続くこと一週間。
その日もクラスAの教室は静まり返っていた。
早朝、ホームルーム前の教室はいつも生徒たちの話し声で賑わっている。
しかし、この日だけは誰もが生唾を飲み、どうすることも出来ずに立ち尽くしている。
彼は自分の机の前に立ったまま、座ることもなく溜息をついた。
机の上にはチョークの粉が大量にばら撒かれている。
その表面には態々上靴で踏んだような靴跡が幾つも付けられ、散乱するのはバラバラに引きちぎられた花と根についていたらしい土。
白い粉の下には黒い線のようなものが見えた。
リヒトが上に乗っている花びらを払い、粉を手で落としていくと文字が浮かび上がる。
『才能のない王子 王族の恥さらし』
どうやら、絵の具で描かれているらしい文字は水拭き程度では取れそうにない。
才能のない王子、ですか。
随分、私のことを知っているようですね?
殴るように書かれているため、筆跡から犯人を捜すことは不可能だろう。
呆れたようにもう一度溜息をついたリヒトが身を翻して、今度は教室に置かれた自分のロッカーに手をかける。
すぐにドアは開いた。
ドサドサドサッ
溢れ出してきたのはページを切り裂かれた教材だった。
机に使われたものと同じであろう絵の具で落書きまでされているものもある。
この様子だとすべての教材がダメになっているだろう。読むことは勿論、最早教材として使うことも出来まい。
ロッカーの中を見ていると奥で何かが光った。
光を受けず、僅かに色めいているそれを引きずり出す。
じゃらり、と金属音を鳴らした。どうやら、何かのチェーンらしい。
彼の身に覚えのない物が一つだけ、あった。
薄らと目を細めたリヒトは強引に引きちぎったような跡の残るチェーンを観察していた。
「あ、あの!」
背後で一人の生徒が声を上げた。
扉付近に立っている生徒。
朱色のボブヘアーにカチューシャを付けた少女にクラス中の視線が集まる。
「あたくし、見て、しまったんです。」
「見た?何をです?」
「それは・・・、」
胸元で手を握りしめた彼女が言いづらそうに俯く。
しかし、唐突に顔を上げたかと思うと涙目で言った。
「今朝・・・、まだ誰もいない時間にイエリエリ様が、教室に入って行くのを。」
少女の一言で教室内が一気に騒々しくなった。
それを聞いたリヒトの目が細まる。
さっきよりも明らかに下がった口角に、少女が一瞬怯んだ。
しかし、彼女は意を決するように拳を握りしめて、続ける。
「それだけじゃないんです!ここ暫く、イエリエリ様は誰よりも早く校舎にいらしておいでなんです。でも、何故かもう教室にいるはずのイエリエリ様があとでもう一度、クロノス様と登校していらしたりして・・・。イエリエリ様が校舎に早くいらっしゃるようになったのは、あの下駄箱の一件以来。今日だって今朝お見掛けしたのに、今は教室にいらっしゃらない。どう考えても不自然に見えてしまって。」
「じ、実はわたくしも!!」
少女に同調して彼女の横にいた黒い長髪の女子生徒も声を上げた。
彼女たちは確か・・・
声を発した少女の両方にリヒトは見覚えがあった。
それは教室での顔見知りと言う意味ではない。
クロノス中等学院に入学する以前からという意味だ。
「この間、移動教室の時にイエリエリ様が次の授業は西棟で行われるはずなのに一人だけ違う場所に向かっているのを見たんです!!それは丁度、ハインツ・ベルン様がバケツの水を掛けられた日でした!!それにずっとおかしいと思っていたんです!!イエリエリ様ってハインツ・ベルン様の婚約者なのに彼のことをずっと家名で呼んでるし、いつも何故か貴方様に対して怒ってらっしゃいます。もしかしたら、彼女、本当はハインツ・ベルン様との婚約が納得いっていないんじゃないかって。それでハインツ・ベルン様にこんな嫌がらせを、」
「もう結構です。」
取り乱したように饒舌になる女子生徒の言葉をリヒトが遮った。
辺りの騒々しい声も、少女を制止していた生徒の声も、女子生徒の言葉と同時に消え失せる。
感じたことのない、感覚が込み上げてきた。
それはリヒトが生まれてからというもの、抱いたことのない、いや、抱くことの許されなかった感覚の一つ。
胸の内が熱くなる。
それにも関わらず、頭は酷く冷静で、自分の中で静かに理性を沈めている。
女子生徒の向けられていたリヒトの視線が少女に移った。
彼と目を合わせた少女が身震いしたがその理由がリヒトには解らなかった。
「貴方は確か、シェシェ・ファントム嬢でしたね?」
「はっ、はいっ。」
「貴方はさっき、キマイラが生徒の誰も来ていないような早朝に校舎へ来ていたのを見たといいましたね?では、どうして貴方はそのような早い時間に登校を?」
「それは、あたくしは環境委員ですので毎朝、教室のお花の水を入れ替えているんです。」
「ほう。それは何故、態々早朝に?」
「え?」
「水の入れ替え位であれば、通常通り登校してからでも可能なのでは?」
「それは、」
「あら、今日は朝からやけに静かですわね?」
緊迫した空気を断ち切るようにキマイラの声が教室に響いた。
生徒たちの視線がドアの前に立つ彼女に集まる。
背後から唐突に表れたキマイラを見て、少女は凍り付き、女子生徒は歯ぎしりした。
「な、何ですの?どうかなさったんですの?」
「ちょっと、そんな所に突っ立たないでよ。」
キマイラの後ろに立っていたウィリアムが抗議の声を上げる。
先に教室へ足を踏み入れたウィリアムが周囲を見回し、リヒトの机に目を止めた。
そして、そのまま流れるようにリヒトに目を向けた時、彼女の背中に冷ややかなものが走る。
普段、どんな嫌がらせを受けても平然としているリヒト。
しかし、この日の表情はあまりにも冷たく凍り付き、目からは光が消えている。
一体、何をやらかしたのよ?こいつら。
はあ、朝から勘弁してほしいわ。
ウィリアムは深々と溜息をつくと、近くにいた生徒に声をかけた。
「もう教員には伝えているのですか?」
「はい。一応。」
「なら、我々のするべきことはここで突っ立って状況を傍観することではないはずです。もう直ぐ予鈴がなりますわ。早く移動しないと一限目の授業に間に合いませんわよ?さあさあ、動いて下さい。あとは教員と学院側の仕事です!」
ウィリアムが二度、手を叩く。
暫くの静寂が訪れた。
やがて、一人の生徒が動き出すと、周りの生徒も次々と教材を抱え、教室を後にした。
それを機にシェシェ・ファントムと女子生徒も逃げるように去っていく。
残されたのはリヒトとキマイラ、そしてウィリアム。
いつも通りの三人だ。
「は、ハインツ・ベルン様?」
「ああ、おはようございます。ウィリアム嬢。」
ウィリアムが名前を呼ぶとリヒトが振り返った。
しかし、今日の彼は無表情のまま笑うこともしない。
教室に足を踏み入れたキマイラはウィリアム同様、リヒトの机に目を向けると眉を顰め。
次にリヒトを見て、何も言わずに彼に近づいた。
「?」
ポケットの中からハンカチを取り出す。
そして、リヒトの手を取ると彼の手に着いた粉や土を拭っていく。
丁寧に丁寧に。
シルクのような柔らかい感触がリヒトの手を包む。
手の汚れが取れて行くにつれて、自分の中に溜まっていた何かも抜け落ちて行く。
ハンカチが汚れてしまう、とキマイラを止めようとしたが何故か言葉が出なかった。
桜色のハンカチは直ぐに真っ白になった。
キマイラがハンカチを畳み直し、ポケットにしまう。
顔を上げた彼女と目が合うとさっきのとはまた違う、ふわふわとした感覚がリヒトの胸に広がった。
彼の表情が緩んでいくのを見て、ウィリアムが胸を撫で下ろしている。
「はい、綺麗になりましたわ。」
「ありがとうございます。ハンカチが汚れてしまいましたね、今度、新しい物を。」
「あら、良いんですのよ。洗えばまた使えますわ。それよりハインツさん、大丈夫でしたか?」
「・・・はい、大丈夫ですよ。ご心配、お掛けしました。」
キマイラは微笑んでリヒトを見た。
リヒトが微笑み返すとほっとしたような表情を浮かべる。
ここ一週間続いているリヒトへの嫌がらせを見て、キマイラは彼に嫌われようとすることを一旦止めた。
子の嫌がらせが止むまではただ一人の友人として彼を支えよう。そう決めたのだ。
「しかし、今日は何事です?いつにも増して異様な空気が立ち込めていましたが。」
「ああ、実は―――――。」
リヒトから事の成り行きを聞き、どんどん悪化していく嫌がらせの状況を見た三人はその後、適当な理由を付けて教員が来る前に授業を早退した。




