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第三十六話 隙間産業(前半)

 昼。今日も旦那様《だんなさま》と一緒《いっしょ》に昼食を食べた私は、ボーッとしていた。なぜなら昨日《きのう》旦那様に、好きだと言われたからだ。私は今まで旦那様に、『スキ』と言わせようとしてきた。そうして本当に私のことを好きになってもらって、白い結婚から抜《ぬ》け出すためだ。


 でも昨日は旦那様に、ハッキリと好きだと言われた。これは、今までになかったことだ。なので私は、動揺《どうよう》している。なので私はボーッとして、昼食を食べた。でも旦那様はいつものように、平然《へいぜん》と昼食を食べていた。そしてもう旦那様は、この食堂にはいない。おそらく午後からの仕事の準備をするために、執務室《しつむしつ》に行ったのだろう。


 そう考えると私は、旦那様に軽い怒りを覚《おぼ》えた。全《まった》く、旦那様のせいで私はこんなに悩《なや》んでいるというのに。その旦那様が、いつも通り平然としていることに……。でもここで、旦那様に怒りをぶつけても仕方《しかた》が無いような気がする。いや、それはしてはいけないことだ。


 とにもかくにも旦那様は、私を好きだと言ってくれた。これはもちろん、良い傾向《けいこう》だ。白い結婚から、抜け出すために。そして私は、考えている。私はもっと旦那様と、距離《きょり》を縮めたい。具体的《ぐたいてき》には、もっと普通にキスができる関係になりたい。私はもっと旦那様に、キスしてもらいたい。そのためには一体《いったい》、どうすればいいのか?……。

 

 そのためには、アレか? 私も、言っちゃうか? 私も旦那様が、好きだと。いやいやいやいや、それは恥《は》ずかしい。恥ずかしすぎる! でも私は、考えた。そんなに、恥ずかしがらなくても良いのではないかと。なぜなら私と旦那様は、すでに二回もキスをしている。普通の夫婦のように。だから、そんなに恥ずかしがる必要はないのではないか?


 とそこで私は、気づいた。いや、気づいてしまった。私と旦那様は、まだ二回しかキスをしていないことに! 普通の夫婦なら、それこそ毎日のようにキスをしているだろう。なのに私と旦那様は、まだ二回だけ……。 


 いけない、これではいけない! 毎日のようにキスしなければ、本当の夫婦とはいえない! うんうん、きっとそうだ。それに私は、毎日でも旦那様にキスしてもらいたい! そのためには一体、どうすれば良いのか?……。


 ここは、アレか? ストレートに、言ってみるか? 私に、キスをしてくださいと。うーん、やはりそれは無理だ。もし私が勇気を出して旦那様に、キスをして下さいと言ったとしよう。でも今は忙《いそが》しいから無理です、とか言われて断《ことわ》られたら私はもう立ち直れないからだ! うん、きっと立ち直れない。私はまだそう言ったことはないし、なのでもちろん断られたことは無い。でも断られたら私はきっと、立ち直れない。そんな予感が、ビンビンする……。


 と私が悩んでいると、もうすぐ午後三時近くになった。なので取りあえず紅茶セットを左手に載《の》せて、私は旦那様の執務室に行くことにした。そしてキスのことは、一旦《いったん》置いておくことにした。こういうことは、焦《あせ》らない方が良いと思うからだ。何しろ私と旦那様は、すでに二回もキスをしている。これはもちろん、良い傾向だ。だから、焦る必要は無い。


 まずは今日も旦那様と一緒に紅茶を飲んで、この良い関係を保《たも》とう。そして良い感じになったら、その時に行動すれば良い。私が旦那様に、キスをしてくださいと頼《たの》むかどうかは分からないが。とにかく、雰囲気《ふんいき》だ。良い雰囲気になったら、それを見逃《みのが》さないようにしよう。そしてどう行動するのかは、その時に考えよう。べ、別に今だに旦那様にキスをねだるのが恥ずかしい訳じゃないんだからね! 


 と私は自分に言い訳して、旦那様の執務室に向かった。それにしても普通の夫婦は、いつもどうやってキスをしているんだろう? と疑問に思いながら。

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