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第三十五話 透き見(後半)

 午前十時。私は旦那様《だんなさま》の、執務室《しつむしつ》の前にいた。左手に、紅茶セットを載《の》せて。でも私は、ドアをノックするのをためらっていた。旦那様に、どういう顔をして会えばいいのか分からないからだ。


 私は昨日《きのう》、旦那様に二回もキスされた。もちろん私は、嬉《うれ》しかった。私たちの距離が縮《ちぢ》まって、本当の夫婦に近づいた気がしたからだ。なので私は、もっと旦那様にキスして欲《ほ》しいと思っている。食事も担当しているメイドのリーナにそのことを話すと、とんでもないことを言われた。私が今《いま》思っていることを、素直《すなお》に旦那様に言えばいいと。


 つまりは旦那様に、『もっとキスして欲しい』と言ったらどうかと。む、無理だよー! そんなの、恥《は》ずかしすぎるよー! と私はドアの前で、もじもじしていた。はあ。私はホントに、どんな顔をして旦那様に会えばいいんだろう?……。と私がドアの前で悩《なや》んでいると、その執務室のドアがガチャリと開《ひら》いた。そしてそこには、旦那様が立っていた! 突然の出来事《できごと》に、私は当然慌(あわ)てた。

「ど、どどどど、どうしたんですか旦那様?!」


 すると旦那様は、冷静な表情で答えた。

「いえ。もう午前十時を過《す》ぎたのに、まだレコアさんがこないなあと思いまして。いつもならもう、きている時間なので。なのでちょっと、ドアを開《あ》けてみたんですよ」

「そ、そそそそ、そうですか!」

「はい。ちょうどレコアさんがきたので、それではお茶にしましょう」

「は、はい……」


 こうして私と旦那様は一緒《いっしょ》に、旦那様の執務室に入った。うーん。これは今までに無いパターンだ。こうして旦那様に招《まね》かれて部屋に入るのは、初めてのパターンだ。今までは私が旦那様に『スキ』と言わせてやると、意気込《いきご》んで入っていたのに……。


 とにかくこうなった以上、いつも通《どお》りやるしかない! いつも通り、旦那様に『スキ』と言わせてやる! そうして本当に私のことを好きになってもらって、この白い結婚から抜《ぬ》け出してやる! と決心した私は、ふと気づいた。


 私は昨日、旦那様にキスされた。それも、二回も。しかもその理由は、旦那様が私を自分のモノにしたいからだそうだ。つまりこれってもう、白い結婚から抜け出している?! 私と旦那様はもう、本当の夫婦になっている?!


 でも、と私は考えた。でも私と旦那様は、まだ本当の夫婦になってはいないのではないかと。もし本当の夫婦になっているのなら、二回キスされただけでこんなに浮《う》かれはしない。なぜなら本当の夫婦なら、キスくらい当たり前だからだ! そして私は今日も旦那様に、キスしてもらいたいと思っている。なんなら今、この場所で! そうして、私は決心した。よし! このお茶の時間に旦那様にキスしてもらおうと!


 そうしてまずは私たちは、向かい合ってソファに座った。そして私は二つの白いカップに紅茶を注《そそ》ぐと、その内の一つを旦那様に勧《すす》めた。

「ど、どうぞ、旦那様……」

「はい、いただきます」


 と旦那様は、いつも通りに紅茶を飲み始めた。まるで昨日、私に二回もキスをしたことなど全然《ぜんぜん》気にしていない様子《ようす》で。す、すると何?! こんなに動揺《どうよう》しているのは、私だけ?! 本当に旦那様は今、何を考えているんだろう?……。と私が考えていると、旦那様は疑問の表情で聞いてきた。

「おや、レコアさん? 紅茶を飲まないんですか? いつも通り、美味《おい》しいですよ?」

「は、はい!」


 と旦那様に話しかけられて、私は激しく動揺した。なので私は、紅茶セットのお盆《ぼん》で顔を隠《かく》してしまった。するとやはり、旦那様が聞いてきた。

「本当にどうしたんですか、レコアさん?」

「い、いえ……」


 どうしたもこうしたも、昨日《きのう》旦那様が二回も私にキスをしたから私は今こうなってるんです! とはやはり、言えないが。とにかく旦那様が話しかけてきてくれたのに、いつまでもお盆で顔を隠している訳にはいかない。なので私は、半分だけ顔を出して旦那様を見つめた。すると旦那様は、小さなため息をついた。

「はあ、レコアさん。そうやって相手を見るのは、あまり行儀《ぎょうぎ》が良いとは言えませんよ。まるで、覗《のぞ》き見《み》をしているようです。透《す》き見《み》とも言いますが」


 旦那様にそう言われて、私はハッとした。今《いま》旦那様は、透き見って言った! つまり、『スキ』って言った! なので私はここぞとばかりに、この恥ずかしい気持ちを隠すように大きな声で旦那様に指摘《してき》した。

「今旦那様は、『スキ』って言いました! なので今回の勝負は、旦那様の負けです!」


 すると旦那様は、再び小さくため息をついて話し出した。

「はあ……。あのですね、レコアさん。おそらくレコアさんは私に『スキ』と言わせて、私たちの関係を変えようとしていたんじゃないでしょうか? そして、今も。おそらくレコアさんは、私に『レコアさんがスキ』という意味で私に『スキ』と言わせたいんじゃないでしょうか? もしそうだとしたら、その作戦《さくせん》は大成功《だいせいこう》です。私はもう、レコアさんのことを好きになっていますから」

「え?……」

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