遭遇したもの
とりあえず一息はつけそうだ。
そう判断して俺は血脂でギトギトになってしまった手甲を外し、これを地面へ落とす。
べちゃりと湿った音を立てたそれは少々言葉にし難い見た目と臭いとになっていて、ちょっとやそっと洗ったくらいではもう使い物になりそうにない。
ブーツの方も似たような状態ではあるのだが、こちらは元々の物がいいせいなのか、クロエが一度魔術で洗浄をかけてくれただけで問題なくきれいになった。
「代えが欲しいな」
手甲のおかげでいくらかマシだったとは言え、俺の両手もまた酷い臭いが染みついてしまっている。
これではろくに食事も摂れないだろうと思っていると、クロエが洗浄の魔術を俺の手にもかけてくれた。
「大したものだ」
念入りに洗っても落ちるだろうかと心配になる程の臭いが、クロエの魔術一発できれいさっぱりと消えてしまうというのは、それなりに感動してしまう。
「気休めにしかなりませんが、ないよりはいいでしょう」
クロエがそう言うのも無理はなかった。
何せ俺達のいる小屋の周囲には三桁近い数のゾンビ共が、残骸となって転がっているのである。
周囲に漂っている血の臭い等は粗糖に濃密で、手をきれいにしようがしまいが、鼻にこびりつくかのように臭っているのだ。
これでは体を休めることなどできそうもない。
それでも体を休めてやらないと、次にゾンビ共の襲撃があった時にろくな抵抗もできなくなってしまう。
「休めそうか?」
体を休めるのであれば、多少なりとも余裕のある俺より、足を震わせて立っているのも辛そうなクロエが先である。
そう考えて尋ねてみると、クロエはピッチフォークを杖にしたまま周囲を見回し、困ったように笑う。
「座るところもないですから、無理ですね」
椅子やら何やらは今回の襲撃のどさくさで破壊されてしまっていたし、床やら地面やらは足の踏み場もないくらいに死体と肉片と血とで汚れきってしまっている。
そんなものを気にしている余裕があるのかと言われそうではあるが、我慢して腰を下ろして服を盛大に汚してしまえば、とても休めるとは言い難い。
どうしたものかと考えている内に俺は、ふとクロエの立つ床の辺りから何かコツコツと叩くような音がしていることに気付く。
最初はぷるぷると震えているクロエの足が立てている音なのかなと思ったのだが、それにしてはゆっくりと規則正しいリズムで音が聞こえてきていたので、どうも違うらしいと判断した俺はクロエを手招きして、その場から移動させた。
するとそれを待っていたかのように、床材の一部が崩れ落ちてぽっかりと穴が開く。
「な、何ですか!?」
よたよたと歩きつつ焦った声を上げるクロエを背後にかばいながら、俺は身構える。
城攻めなんかの時に、地下に穴を掘って城内へ侵入したり、建物や壁の一部を崩してしまう方法があるが、俺はそれを警戒したのだ。
穴掘りくらいであればゾンビ共にもできそうな気はするし、仮に失敗して穴が崩落したとしてもゾンビ共ならば平気でそこから這い出してきそうである。
もっとも、ゾンビ共の腐りかけた脳みそでそんな手段がとれるとは思っていない。
その場合は確実に、ゾンビ共を指揮する立場の何かがいるということである。
さてどうだろうかと開いたばかりの穴を見つめていると、しばらくしてそこからひょっこりと白い布の頭飾りをつけた長い黒髪の女性が顔を出す。
確かあの頭飾りはホワイトプリムとか言う名称の物で、メイドの衣装の一部ではなかっただろうかと考えていると、穴から顔を出していた人物がぐるりと周囲を見回して、身構えていた俺達と目が合う。
針金のように長くて真っすぐな黒髪。
やや病的とも言える青白い肌。
何も悪いことはしていないはずなのに、何故か何かしら責められているような気分にさせられる程に険しい目つき。
おそらく女性だと思われるその人物は、一瞬ゾンビ共の仲間なのではないだろうかと思うくらいに血色が悪い。
ただ、少し驚いたように目を、ほんの少しだけ見開いたところからして感情を持っているようであり、感情があるのであればゾンビではないはずだ。
しかし、ゾンビではないとすると唐突に、地下から顔を出してきたこの人物は一体どこの誰であるというのか。
その答えは俺の背後からおそるおそるといった感じで顔を出してきたクロエが語った。
「エクレールではないですか?」
なんだかお菓子みたいな名前だなと思ったが、人の名前のようであるので安易に突っ込まないでおく。
クロエにそう呼びかけられたその人物は、開けたばかりの穴の縁に手をかけると、身軽に穴の中から飛び出してきた。
空中に舞うのは少々スレンダーな肢体。
それがはっきりと分かったのは彼女が黒い全身タイツのようなものを身に着けていたからなのだが、ひらりと身をひるがえして床に着地した時にはどういう理屈なのか黒と白のツートンカラーであるエプロンドレス姿に変わっていた。
「早着替え?」
「さて、何のことですやら?」
俺の呟きに律義に答えを返してきた声は若い。
たぶん、俺達と同じか一つ二つ上程度の年齢といったくらいだろう。
かなり派手な動きをしたというのに、その場ですっと立ち上がった姿には見る限りでは乱れたところなど一つも見受けられない。
「どちら様?」
名前はクロエが口にした名前で、職業は見た目からしてメイドだとは思うのだが、そう断定してしまうには妙に身のこなしがいい。
立ち姿から推測してみても、何かしらの戦闘技術を習得しているものと思われたが、仮にそうだとすると今度は何故メイドがそんなものをという疑問が生じる。
「メイドのエクレールです。宮廷では私付きでした」
宮廷魔術師ともなれば、専属のメイドが身の回りの世話をしてくれるのだとクロエは言う。
その専属メイドというのがクロエの場合はエクレールだったということのようだが、では一体どういった理由で、その専属メイドとやらが庭師の小屋の床下から出てきたというのか。
「エクレール。貴方は本城に避難していたはずなのでは?」
「はい、クロエ様。しかし主人の危機にあってお傍にないのはメイドの名折れ」
「は、はぁ。気持ちはうれしいのですが、危なすぎるでしょう?」
「確かに。地上を通ってお傍に馳せ参じるのはやや困難と判断しました」
「やや困難……」
クロエが呆然と返したのだが、その気持ちは分かる。
おそろしいことにこのメイド、地上を突っ切ってこの場に至る行為を不可能だとは考えていないのだ。
本城を取り囲んでいるゾンビ共の大群を相手に、メイドがどんな無双プレイをすればそれが可能になるのかは想像の範囲外の事柄ではあるのだが、本人の判断にケチをつける気は毛頭ない。
「はい、ですので本城からの隠し通路を使用してこちらへ」
「そんな通路があることなんて私、全く知らないんですけど」
「当然でございます、クロエ様。隠し通路ですので」
堂々とそう言ってのけたエクレールに対し、クロエは言葉を失って口をぱくぱくとさせていた。
そのままではすぐに次の言葉が出てきそうになかったので、代わりの俺が聞いてみる。
「そんな代物。なんでメイドが知っているんだ?」
「貴方の質問に答える義務は持ち合わせておりません」
冷たく拒絶されて、俺が口をへの字にしていると衝撃から脱したらしいクロエが少しキツイ口調で言った。
「こちらの方。ソーヤさんの質問に答えて下さい」
「はい。実は何代か前の王妃様が庭師と道ならぬ恋に落ち、逢瀬を繰り返していたのをその時のメイドの一人が発見いたしまして」
どうやって警護の目をかいくぐり、この場に来ていたのかを問い詰めた結果、判明したいルートなのだとエクレールは言う。
「第三召喚室へと行かれたクロエ様と合流するには、このルートを使うしかないと思ったのですが、まさかこんなにスムーズに合流できますとは当時の王妃様と庭師に感謝しなくては」
「私としては聞きたくない情報が含まれていたように思うんですが、それでも感謝しないといけないんでしょうか……?」
どう思いますかとクロエから話を振られて、そんなの分かるわけがないとばかりに俺は首をすくめて見せたのであった。
面白いなとか、もっと書けなどと思われましたら。
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