21
翌朝、王城の訓練場へと続く回廊には、まだ朝の二つ目の鐘が鳴ったばかりだというのに、人の気配が満ちていた。
窓の外を覗けば、普段は騎士たちが剣を振るう広い場所をぐるりと囲むように柵が設けられ、その外側には見物を許された城勤めの者たちが集まり始めている。千年祭を間近に控え、ただでさえ王城中が慌ただしいというのに、今日はそこへ別の熱まで加わっていた。
聖護騎士を選ぶための試合が行われる。
昨夕そう聞かされてから、シアの気持ちは少しも晴れなかった。
「そんな顔をするでない」
隣から声をかけられ、シアは膝の上で組んでいた指をほどいた。
国王のために設けられた観覧席は訓練場を見渡せる高い位置にあり、そのすぐ横にはシアの席も用意されている。逃げるわけにもいかず朝から座っていたけれど、きっと自分はひどい顔をしているのだろう。
「……してません」
「しておる。余がそなたの大切なものを取り上げるとでも言いたげな顔だ」
「そこまでは思ってません」
「では、半分ほどか」
返事に困って黙ると、国王が小さく笑った。からかわれているのは分かる。それでも笑い返す気にはなれず、シアはもう一度訓練場へ目を落とした。
昨日、リアムたちと別れたあとで改めて説明を受けている。
今回選ばれる“聖護騎士”は、ルーファスが持つ“聖騎士”の称号とは別のものだった。
聖騎士は、当代の聖女が選ばれた日に騎士団の選抜を勝ち抜き、ただ一人、その生涯を聖女へ捧げることを許された騎士である。聖女と誓約を交わし、聖女が命を落とせば、その運命を共にする。聖女が代替わりしない限り、ほかの誰かがその地位に就くことはない。
一方、聖護騎士にはそうした誓約もなく、聖騎士の地位を継ぐわけでもない。ただ、国内外から大勢の人間が集まる千年祭のあいだ、目覚めない聖騎士に代わってシアの警護を担う、臨時の役目でしかなかった。
国王の判断が間違っているとは思わない。
シア自身、一度は王城から姿を消して皆を心配させたばかりで、明日の王都には普段とは比べものにならないほど多くの人が集まる。何かあってからでは遅いという言葉も、王として祭りを預かる立場なら当然なのだろう。
それくらいは、シアにも分かっている。けれど、納得できるからといって、寂しくないわけではなかった。
ルーファスは生きている。
東棟の部屋で眠っていて、手を握れば温かい。もしかしたら今日の夕方には目を覚ますかもしれないし、明日の朝、何事もなかったように起きてくるかもしれない。そうなったらきっと、祭りに間に合ってよかったですね、と笑うのだ。
なのに彼が戻るより先に、その隣に別の誰かを置く準備だけが進んでいくようで、シアはそれが嫌だった。
「聖騎士の座を奪うものではない」
考えていることを見透かしたのか、国王が静かに言った。
「分かっています」
「聖騎士ルーファスは、今もそなたの聖騎士だ。そこは変わらぬ。ただ余は、眠る者に明日の警護まで任せるわけにはいかぬ」
「……はい」
シアは小さく頷いた。責められているわけではないし、国王だってルーファスが目覚めないことを望んでいるはずがない。それでも残った寂しさまでは消えてくれず、シアは訓練場へ視線を戻した。
やがて開始を告げる鐘が鳴り、それまで満ちていたざわめきが少しずつ静まっていく。
中央へ進み出た騎士団長が、試合の規定を一つずつ読み上げた。
勝者には身元の確認と適性審査が行われ、その結果をもって国王が正式に任命すること。試合中の殺傷行為は禁じられること。そして、参加者の身分や経歴は問わないこと。
ほかにも細かな取り決めが続いたけれど、シアにはすべてを覚えられそうになかった。
その後を受けるように国王が立ち上がると、集まった者たちの視線が一斉にこちらへ向いた。
「身分も、年齢も、これまでの経歴も問わぬ。我こそは聖女に剣を捧げ、その身をもって彼女を守ると誓う者よ――前へ出よ」
低くよく通る声が訓練場に響き、次の瞬間、待機していた人々が動いた。
「……多い」
思わず零れた声に、国王が喉の奥で笑う。
騎士団の制服を着た若者だけではなかった。地方から祭りのため王都へ来ていたらしい老騎士もいれば、腰に細身の剣を提げた女性もいる。傭兵らしい大柄な男の隣には、まだ少年と呼んでもよさそうな年頃の参加者まで並んでいた。
身分も年齢も経歴も問わないという布告を、皆ずいぶん素直に受け取ったらしい。
これだけの人が、自分を守る役目を望んでくれた。その気持ちは嬉しいはずなのに、シアはどうしても素直に喜べなかった。
「リアム、どこにいるんだろ」
昨日は騎士団側の警備を調整すると言っていたから、訓練場のどこかにはいるはずだった。
見慣れた黒髪を探してみたけれど、柵の内外を行き交う騎士の数が多く、なかなか見つからない。ゼノは朝から姿を見ていないし、リカルドもルーファスの診察があると言っていたので、今日は一人で見届けることになるのだろう。
試合は複数の組に分かれて始まった。
刃を潰した訓練用の剣を使い、相手が降参するか、武器を落とすか、定められた線の外へ出れば決着。殺傷につながる攻撃は禁止されているけれど、武器の種類に細かな制限はなく、魔法の使用についても禁じる項目はないらしい。
最初のうちは、シアも一人ひとりをきちんと見ようとしていた。自分を守ろうとしてくれる人たちなのだから、せめて顔くらいは覚えたいと思ったのだ。
けれど参加者は想像していたよりずっと多く、試合が進むにつれて、誰がどの組だったのかも分からなくなってくる。
その中で、妙に目につく三人がいた。
一人は、全身を黒い外套で覆った男だった。
深く被ったフードのせいで顔はほとんど見えず、騎士の試合だというのに鎧すら身につけていない。剣の扱いは決して下手ではないようなのに、正面から打ち合う気はないらしく、相手の攻撃をひらりひらりと躱しては、時折面倒そうに自分の剣を振っている。
「……やる気あるのかな、あの人」
シアが呟いた直後、黒い外套の男は振り下ろされた剣を受け流し、その勢いのまま相手の背中を軽く押した。
たったそれだけで、相手は数歩よろめいて境界線を越える。
観客から笑いが起こったけれど、本人は片手を上げただけで、さっさと次の試合を待つ列へ戻っていった。




