17
「お願いがあるの」
夜風に髪を揺らしながら、シアは肩に掛けてもらった外套の襟元を押さえた。眼下では、祭りの準備を続ける王都の灯りが瞬いている。
「千年祭のことで、今日、国王陛下に呼ばれたの。ルーファスがまだ目を覚まさないから、千年祭について私の考えも聞いておきたいって」
「それで?」
「大聖堂を一日だけ開けて、身分に関係なく誰でも入れるようにして、来てくれた人に祝福をするのはどうかなって考えたんだけど……リアムに反対された」
ゼノは少しも驚かなかった。
「そりゃ止めるでしょ。聖女サマ、この間まで行方不明だったんだから」
そのうえ、ただ一人の守護者である聖騎士まで眠ったままなのだ。大勢の人間を大聖堂に入れ、その中央にシアを立たせるなど、護衛する側からすれば冗談では済まないのだろう。リアムにも似たようなことを言われたので、シアには返す言葉がなかった。
「でも、何もしないのは嫌なの」
膝を抱え、その上に頬を乗せる。祭りを楽しみにしている人がいる。聖女が戻ったと聞き、安堵してくれた人もいる。それなのに、自分だけ城の奥に籠もったまま千年に一度のお祝いを眺めるのは、何かが違うような気がした。
「聖女だからっていうだけじゃなくて……私が、したいの。みんなが楽しみにしてる日なら、ちゃんと一緒にお祝いしたい」
ゼノはすぐには答えなかった。いつものようにふざけることも、茶化すこともせず、屋根の向こうに広がる王都を眺めている。
やがて、彼は片手を持ち上げた。
その指先に、淡い光が灯る。
小さな光は夜風に逆らうように空へ昇り、やがて星のひとつになったかと思うほど高い場所で、無数の粒へとほどけていった。
「わあ……」
降り注ぐ光に、シアは思わず両手を差し出した。細かな粒は夜空をゆっくりと舞い、掌へ届く寸前、雪が溶けるように消えてしまう。
消えてしまった光を名残惜しく見上げていると、隣からゼノの声がした。
「人を聖女サマのところまで呼ぶから危ないんでしょ」
「うん?」
「だったら、逆にすればいい」
ゼノはまだ空に残っている光を見上げた。
「聖女サマの祝福を、人のところまで届ければいいんだよ」
シアは何もなくなった掌を見つめた。
ほんの小さな光だった。けれど、今見た光景を頭の中で王都いっぱいの大きさに広げてみると、ひとつの景色が鮮やかに浮かび上がる。
「……そんなこと、できるの?」
「誰に聞いてんの?」
ゼノは片方の口角を上げた。
その顔を見て、シアは先ほど彼が口にした言葉を思い出す。
――こう見えて俺、この国一番の魔法使いなのよ。
冗談めかして言っていたけれど、目の前に残る光を見れば、ただの自慢ではないことくらい分かる。
「でも、私の神聖力って、目の前にあるものにしか使えないよ?」
「知ってる。だから、聖女サマが生み出した祝福を、俺の魔法で運ぶの。あとは、離れた場所でもちゃんと届くように術式を組めばいい」
「そんなことできるの?」
「だから、これから試すんでしょ?」
いかにも簡単そうに言われてしまい、シアは瞬きをした。
神聖力と魔力は異なる性質を持つ力だ。シアがどれほど遠くの人を祝福したいと願っても、目の前にいない相手には届けられない。けれど、ゼノの魔法を使ってその力を空へ運び、王都の上から降らせることができたなら、大聖堂まで歩いて来られない人にも、城から遠い場所にいる人にも、祝福を届けられるかもしれない。
「ただ、神聖力と魔法を繋ぐ術式なんて、俺も作ったことないからね。実際にやるなら、一から組まないと」
「千年祭までに?」
「時間はないねえ」
そう言いながらも、ゼノの顔に困った様子はない。むしろ新しい玩具を見つけた子どものように、少し楽しそうだった。
「じゃあ、私も手伝う」
「聖女サマに術式書けるの?」
「書けない」
「即答だ」
「でも神聖力は出せるよ」
「それは助かる」
シアは笑い、それからもう一度、先ほど光が消えていった夜空を見上げた。
あの光が空へ昇り、そこから王都いっぱいに降り注ぐ。千年に一度の祭りの日、街のどこにいても同じ祝福を受け取れるのなら、きっと大聖堂に人を集めるのとは違う形で、みんなと同じ時間を過ごせる。
そう考えているうちに、シアはふと、別の光を思い出した。
「あとね。花火もやりたい」
「花火?」
「うん。前にゼノが見せてくれたやつ。千年祭の日にも、あれを空いっぱいに上げられないかな」
初めてゼノと出逢った日のことは、今でもよく覚えている。
聖女になったばかりの頃、ひとりで落ち込んでいたシアを笑わせるために、ゼノが夜空に打ち上げてくれた花火。赤や青、金色の光が次々と咲くだけでも綺麗だったのに、最後には“泣き虫聖女”なんて文字まで夜空に浮かべられた。
あの夜、二人で大笑いしたことを思い出し、シアは思わず口元を緩めた。
「何種類もあったらいいよね。丸いのだけじゃなくて、星とか、蝶とか。王国の紋章もできるかな」
話しているうちに楽しくなってきて、シアの身振りもだんだん大きくなる。ゼノはそんな彼女を眺め、それから同じように夜空を仰いだ。
「できるよ」
「ほんと?」
「そっちは祝福より簡単」
思いがけずあっさり返され、シアの顔がぱっと明るくなる。
「じゃあ、それもやりたい」
「欲張るねえ」
「千年に一度だもん」
ゼノは困ったように笑い、くしゃりと髪を掻いた。
「じゃあ、明日から試してみようか」
「明日?」
「うん。まずは祝福を運ぶための術式からね。朝、うちに来なよ」
「いいの?」
「聖女サマがやりたいって言ったんでしょ?」
ゼノが笑うので、シアも嬉しくなって何度も頷いた。
「寝坊するなよ」
「しないよ」
「どうだか」
「ゼノこそ寝坊しないでね」
「俺はしないよ」
「本当?」
「たぶん」
「たぶんなんだ」
さっき自分が言った言葉を返され、シアがむっとすると、ゼノは笑いながらその額を指先で軽く弾いた。
「いたっ」
「帰ろ。これ以上いたら、本当に風邪引く」
「外套があるから平気」
「それ俺のなんだけど」
そう言いながらも取り返そうとはしないので、シアも素直に借りたまま立ち上がった。
祭りの支度を終えていない王都には、まだあちらこちらに明かりが残っている。数日後、あの街の上に自分の祝福が降り、そのさらに上には、いつか自分を笑わせてくれた花火が咲く。
シアが覚えている千年祭にはなかった景色だ。
けれど、今はそれが楽しみだった。
「ゼノ、早く」
「はいはい」
先に屋根を降りようとするシアに、ゼノが手を差し出す。シアは迷わずその手を取った。




