15
ルーファスの部屋に入ると、西に傾いた陽が窓から差し込み、寝台の上に柔らかな光を落としていた。
シアは傍らに椅子を引き寄せ、眠る彼の顔を覗き込む。淡い金髪が夕陽を受けて輝き、閉じられた瞼の下には、初めて会った日に優しく笑っていた青い瞳がある。
「……来たよ、ルーファス」
寝具の上に置かれた手を取ると、思っていたよりも温かかった。ちゃんと生きている人の手なのに、今はずっと遠いところにいるように思える。
「ねえ、ルーファス」
寝台の端に片腕を置き、その上へ頬を預けた。
「どうして起きないの?」
長い睫毛は、少しも動かない。
「……ひとりにしないでね」
口にしてから、自分でも驚くほど弱い声だったことに気づき、シアは誤魔化すようにその大きな手を両手で包んだ。
「ここに、私の知ってるみんながいないの」
リアムはいる。リカルドもいる。ゼノもいる。ルーファスだって、こうして目の前にいる。
それでも、自分の中に残された一年を一緒に覚えている人は、どこにもいなかった。
「リカルドとは、また友達になろうとしてるよ」
握った手に視線を落とし、シアは少し笑った。
「昨日は子どもになっちゃった。事故だったんだけどね。ゼノの家に隠れて、リカルドの眼鏡を取ったらすごく怒られたの」
ルーファスが起きていたら、何をしているんだい、と困ったように笑っただろう。
「今日も研究室に行ったら、やっぱり呆れられた。でも、追い出されなかったよ」
握った手は相変わらず動かない。
「ゼノもね、ゼノだった」
昨日、ゼノの家で過ごした時間を思い出す。自由奔放で、いつも楽しそうで、何を考えているのか分からないところまで、シアの知っている彼と変わらなかった。
「……みんな、ちゃんとみんななのにね」
シアはルーファスの手を包んだまま、しばらく黙っていた。
「ルーファスが起きたら、私のこと分かってくれるかな」
答えはない。
袖口から覗く手首には、細い黒い線が浮かんでいる。
もしこれが、あの神殿で見た“厄災”と繋がっているのなら、一年後を待たずに、もう何かが始まっているのかもしれない。
シアはその手をぎゅうっと握り直した。
「……絶対、助けるからね」
そう囁いたとき、背後で扉の開く音がした。
「ここにいたのか」
「リアム?」
振り返ると、リアムが長剣を抱えて立っていた。見覚えのある白銀の鞘に、シアは目を丸くする。
「ルーファスの剣?」
「ああ。手入れが終わったから戻しに来た」
「リアムが磨いたの?」
「勝手に触ったら怒られるかもしれないけどな」
「怒らないよ、きっと」
「それは起きて本人に聞かないと分からないだろ」
リアムはそう言いながら、剣を寝台脇の台へ置いた。自分の剣を扱うときと同じくらい丁寧な手つきだった。
シアはその横顔を見ながら、ふと扉へ目を向ける。
さっきまで、廊下に人の気配があっただろうか。
ルーファスへ話しかけることに夢中で、外の音などほとんど聞いていなかった。もしかしたら、リアムは少し前からそこにいたのかもしれない。
『ここに、私の知ってるみんながいないの』
自分が零した言葉を思い出し、シアはリアムの顔を窺った。
けれど、リアムは何も言わない。
聞こえていたのかもしれないし、何も聞いていなかったのかもしれない。もし聞いていたとしても、シアが話さないかぎり、彼の方から尋ねることはないだろう。昔からそういう人だ。
「リアムって、ルーファスのこと好きだよね」
「何だよ、急に」
「だって、剣がすごく綺麗」
「人の剣を預かったんだから当たり前だろ」
素っ気なく答えたあと、リアムは眠るルーファスへ目を向ける。
「勝負の約束もあるしな」
「剣の?」
「ああ。まだ一度も勝ててない」
「まだ?」
「まだって言うな」
不満そうな顔がおかしくて、シアは笑った。
「……早く起きてもらわないと困る」
そう呟いたリアムの横顔から、シアも眠るルーファスへ目を戻した。
しばらく二人でその寝顔を眺めているうちに、昼間の国王との話を思い出す。
「あ、そうだ。リアム、千年祭のことなんだけど」
「何だ?」
「大聖堂を開いて、来てくれた人たちに祝福するのはどうかな」
「駄目だ」
「即答!」
「聖騎士がいない状態で、何千人もの前にお前を出せるわけないだろ。まして一度行方不明になった直後だぞ」
「でも、騎士団のみんながいてくれれば……」
「それでも駄目だ」
少しくらい考えてくれてもいいのに、と頬を膨らませる。けれど、リアムの言い分が正しいことも分かっていた。
「じゃあ、私にできることって何かないかな」
「聖女として?」
「うん。せっかく千年に一度のお祭りなのに、何もしないのは寂しいでしょ?」
リアムは腕を組んで考え込んだ。シアも隣で頭を悩ませてみたけれど、これというものは思いつかない。
しばらくして、リアムが顔を上げる。
「……ゼノさんに相談してみたらどうだ?」
「ゼノ?」
「あの人なら、俺たちが考えもしないことを言い出しそうだろ。力を貸してくれるかどうかは分からないけどな」
シアは瞬きをした。
確かに、ゼノなら思いもよらない方法を考えてくれるかもしれない。昨日だって、魔法で何でもできると言わんばかりに振る舞っていたのだから。
「そっか!」
「何か思いついたのか?」
「まだ! でも、聞いてくる!」
「今から?」
「うん!」
勢いよく椅子から立ち上がり、シアは眠るルーファスへ手を振った。
「ルーファス、また来るね!」
「おい、待て。もう夕方だぞ」
「大丈夫! すぐ見つけてくる!」
「そういう問題じゃ――」
最後まで聞かずに扉へ駆け出すと、背後から呆れた声が追いかけてきた。
「シア! せめて上着を持っていけ!」
けれどシアはもう廊下へ飛び出している。
夕陽が差し込む回廊を駆けながら、シアはゼノがいそうな場所を思い浮かべた。研究室か、それともゼノの部屋だろうか。
どこにいるかは分からないけれど、きっと見つけられる。
そんな期待を胸に、シアは王城の奥へと駆けていった。




