第37話 支配
黒い光が、戦場全体を覆った。
一瞬だった。
音が消える。
風も。
剣戟も。
誰かの叫び声も。
すべてが遠のき、代わりに耳の奥へ低い声だけが響いた。
『考える必要はない』
「……っ」
レナードが足を止める。
タケルも杖を握ったまま動けない。
『選ぶから迷う』
黒い光はスターライトだけではなく、アルカディアや周囲の討伐隊まで飲み込んでいた。
『決めるから苦しむ』
イオリの剣先が僅かに下がる。
サキの弓を引く指も止まった。
『従えばいい』
その瞬間。
戦場のあちこちで、武器が地面へ落ち始めた。
「……何だ、これ」
アルカディアの一人が膝をつく。
「身体が……」
別の者も動きを止める。
黒い影が、ゆっくり両手を広げた。
「これが支配だ」
声は大きくない。
だが、誰の耳にも直接届いているようだった。
「自ら選ぶから、人は間違える」
「自ら信じるから、裏切られる」
「自ら望むから、失うことを恐れる」
黒い影が笑う。
「ならば、最初から何も選ばなければいい」
「私に従え」
その言葉と同時に。
レナードの身体が勝手に一歩前へ出た。
「……は?」
自分で動いたつもりはない。
さらに一歩。
「ちょ、待って」
止まれない。
タケルも同じだった。
「身体が……!」
イオリも。
サキも。
アルカディアの面々も。
黒い影へ向かって、少しずつ歩き始める。
「そうだ」
黒い影が満足そうに笑う。
「何も考えるな」
「何も望むな」
「命じられるままに生きればいい」
◇
「嫌だよ!」
明るい声が響いた。
エリオットだった。
剣を肩へ乗せたまま、黒い影を不思議そうに見ている。
「……何?」
「僕、自分で動きたいもん!」
黒い影の目が細くなる。
「お前にも、迷いはあるはずだ」
「あるよー!」
「ならば――」
「でも、それと従うのは別だよ?」
エリオットは首を傾げた。
黒い影が言葉を失う。
その横でノエルも頬を膨らませる。
「嫌なものは嫌だよ!」
「苦しみから解放してやる」
「いらない!」
「なぜだ」
「僕、ちゃんと自分で決めたいもん!」
レオンも盾を構えたまま笑う。
「うん。命まで誰かに決められたくないよ」
セシルは相変わらず軽い。
「身体勝手に動くの気持ち悪いよ!」
「それだけか?!」
「十分でしょ!」
アレクシスも黒い光の中を見回しながら眉を寄せる。
「みんな同じ動きにされるの、きれいじゃないよ」
「またそこ?!」
レナードが動けないまま思わず突っ込んだ。
エミールは黒い光の流れを確認しながら言う。
「命令だけで全部動かしたら、誰が何考えてるか分からなくなるよ。そんなの管理できないし」
「管理の話ではない!」
「僕には大事だよ!」
ルシアンも笑う。
「僕たち、みんな違うから楽しいんだよねー!」
黒い影の顔が、少しずつ歪んでいく。
「なぜだ」
「なぜ、お前たちは迷わない」
その問いに。
レイナが静かに前へ出た。
「迷わないわけではございませんわ」
黒い光が彼女の身体を包む。
だが。
レイナは一歩も止まらない。
「わたくしたちにも、迷うことはございます」
「ならば、なぜ従わない」
レイナは穏やかに微笑んだ。
「姫様から、いつも愛をいただいておりますもの」
「……愛?」
「ええ」
レイナの声は静かだった。
「姫様は、誰か一人だけをご覧になる方ではございません」
エリオットが嬉しそうに頷く。
「うん!」
ノエルも笑う。
「ちゃんとみんな見てくれるよ!」
「僕たち一人ずつ、ちゃんと違うところ見てくれるもんね!」
ルシアンも続く。
「怒る時も一人ずつ違うしねー!」
「それ褒めてる?」
レナードが遠くから突っ込む。
レイナはそんな声に少しだけ笑った。
「姫様は、誰か一人のものになるようなお方ではありませんわ」
黒い影の目が細くなる。
「ならば、誰のものでもないということか」
「違いますわ」
レイナは即座に答えた。
「皆の大切な方ですの」
その言葉に。
ロイヤル・フラグメント全員が笑った。
「そうだよー!」
「みんなのリリアーナ!」
「大好き!」
「最高ぉう!」
黒い影の顔が引きつる。
「理解できぬ」
「一人を選ばせた方が、幸福ではないのか」
レイナは少しだけ首を傾げる。
「選ばせる必要が、どこにございますの?」
「……」
「愛情とは、奪い合うものではございませんわ」
黒い光の中。
レイナの魔力が静かに広がる。
「いただいた愛情を、大切にするだけです」
その瞬間。
風が吹いた。
黒い光が僅かに揺れる。
◇
「……すげぇ」
レナードが動けないまま呟いた。
タケルも同じようにレイナを見ている。
「ロイフラもレイナさんも……」
「全然効いてないじゃん」
「うん……」
黒い影が苛立ったように手を振る。
「黙れ!」
支配の力が一気に強くなる。
今度は。
スターライト全員の身体が完全に止まった。
「っ……!」
レナードの剣が勝手に下がる。
タケルの杖も地面へ落ちかけた。
「動け……!」
動かない。
頭では分かっている。
自分の身体なのに。
命令が上書きされている。
「レナード!」
イオリが叫ぶ。
だが彼女自身も動けない。
「タケル!」
サキの声が震える。
「……ごめん」
タケルが苦しそうに息を吐く。
黒い影が笑う。
「そうだ」
「抗うな」
「従え」
その瞬間。
別の方向から巨大な衝撃が飛んできた。
ドォォォン!!
レオンが光の盾を展開する。
「危ない!」
衝撃が盾にぶつかる。
エリオットがすぐに飛び出し、巨大な鎧の男の攻撃を受け止めた。
「こっちは僕たちがやるよー!」
セシルが走る。
「みんな戻るまで動かしとくね!」
エミールも即座に戦況を確認する。
「支配されてる人は無理に動かさないで! 僕たちで穴埋めするよ!」
ノエルが光を広げる。
「怪我だけはさせない!」
アレクシスが巨大な結界を張り、動けない討伐隊を守る。
「ここは安全にするね!」
ルシアンは地面を凍らせ、押し寄せる魔物の足をまとめて止めた。
「こっち来ないでねー!」
そして。
レイナは全員を見た。
動けないスターライト。
苦しむアルカディア。
それでも。
彼女の表情に焦りはなかった。
「大丈夫ですわ」
イオリが顔を上げる。
「レイナ様……」
「皆様なら戻られます」
アルカディアのリーダーが苦しそうに息を吐く。
「しかし……」
「信じましょう」
エリオットが笑う。
「うん!」
ノエルも頷く。
「絶対戻ってくるよ!」
レオンが盾を構える。
「それまで守ろう」
セシルも敵へ向き直る。
「待ってればいいんだね!」
ルシアンが笑う。
「じゃあ時間作ろー!」
誰一人。
支配を解除しようとはしなかった。
誰一人。
無理に呼び戻そうともしない。
ただ。
戻ってくると信じて。
戦線を維持する。
◇
「愚かな」
黒い影が笑う。
「信じるだけで何ができる」
「何もできぬ者を待つだけか」
レイナは静かに答える。
「ええ」
「……何?」
「待ちますわ」
黒い影が固まる。
「皆様が、ご自身で帰ってこられるまで」
「なぜそこまで信じられる」
レイナの表情が柔らかくなる。
「わたくしたちも、そうしていただきましたもの」
「……」
「だから今度は」
レイナが魔法を構える。
「わたくしたちが、信じて待つ番ですわ」
雷が空を走る。
風が吹く。
氷が地面を覆う。
土壁が立ち上がり。
光が負傷者を包む。
その中央で。
ロイヤル・フラグメントが一斉に動いた。
「いくよー!」
「うん!」
「守るよ!」
彼らは誰一人、振り返らなかった。
戻ると分かっているから。
目の前の敵だけを見る。
◇
その頃。
レナードは暗闇の中にいた。
何も見えない。
身体も動かない。
声だけが聞こえる。
『従え』
『信じる者など、お前を縛るだけだ』
『仲間への責任など捨てろ』
「……」
『自由になれ』
その言葉に。
レナードの指が僅かに動いた。
◇
別の暗闇。
タケルも一人で立っていた。
『他人から与えられた自信など偽物だ』
「……」
『お前は一人では何もできない』
タケルは俯いたまま。
ゆっくり拳を握った。
◇
戦場では。
レイナが敵の攻撃を受け流しながら、一度だけスターライトへ視線を向けた。
「お待ちしておりますわ」
エリオットも剣を振りながら笑う。
「早く帰ってきてねー!」
ノエルも負傷者を治療しながら声を上げる。
「信じてるよ!」
黒い影がさらに魔力を強める。
「信頼など」
「必ず裏切られる」
だが。
ロイヤル・フラグメントも。
レイナも。
誰一人として揺れなかった。
ただ。
信じていた。
自分たちがそうしてもらったように。
今度は、自分たちが。
彼らを。




