第36話 疑念
魔王城を見下ろす高い塔。
玉座に座る魔王は、遠く離れた戦場を静かに見つめていた。
「誘惑にも」
「恐怖にも」
「まだ抗うか」
細い指が、ゆっくりと動く。
「ならば」
口元に、僅かな笑みが浮かんだ。
「互いを疑ってもらおう」
◇
戦場では、四天王との戦いがさらに激しさを増していた。
美女の魔女はレナードへ黒い魔法を連続で放ち、巨大な鎧の男はエリオット、レオン、セシルを相手に大剣を振り回している。
仮面の男の周囲では、操られた冒険者たちをアレクシスの結界が抑え、エミールが被害を最小限にするよう各部隊へ指示を飛ばしていた。
黒い影と向き合うタケルも、サキと連携しながら少しずつ前へ進んでいる。
「タケル、左!」
「うん!」
飛んできた黒い刃を避け、タケルが炎を放つ。
炎は敵を狙うのではなく、足元へ。
進路を限定する。
「今!」
サキの矢が飛ぶ。
黒い影が避けた先へ、もう一本。
「ぐっ……!」
「当たった!」
サキが小さく拳を握る。
タケルも思わず笑った。
「やった!」
以前なら。
自分の魔法が敵へ届いたことだけで喜んでいただろう。
今は違う。
サキが撃ちやすい場所。
イオリが動きやすい道。
マイが安全に回復できる位置。
全部を考えながら戦えている。
「タケル!」
レナードの声が飛ぶ。
「後ろ!」
「え?」
振り返った瞬間。
黒い魔力が地面を這った。
「避けて!」
サキがタケルを引っ張る。
黒い魔力は二人の足元を通り過ぎ、そのまま霧のように戦場へ広がっていく。
「……何これ」
サキが眉を寄せる。
だが。
何も起こらない。
「今の、攻撃じゃない?」
タケルが周囲を見る。
黒い霧はスターライトの間を抜け、アルカディアへ。
さらに後方の討伐隊へと静かに広がっていた。
次の瞬間。
サキの耳元で。
声がした。
『本当に、信じているの?』
「……え?」
サキが振り返る。
誰もいない。
『その男を』
視線の先には、タケルがいる。
「サキ?」
「……」
『あなたの気持ちは、本当にあなたのもの?』
サキの顔から笑みが消えた。
◇
イオリにも。
同じ声が聞こえていた。
『人に頼るようになった』
「……」
『弱くなったな』
イオリが剣を握る手に力を込める。
『以前のお前なら、自分一人で立っていた』
「……違う」
『誰かを信じれば、裏切られる』
目の前の景色が揺れる。
レナード。
タケル。
サキ。
スターライトの仲間たち。
その全員が、遠く見えた。
『結局、最後に立つのは自分一人だ』
イオリの呼吸が浅くなる。
『騎士ならば』
『誰にも頼るな』
「……」
その言葉は。
昔の自分なら、正しいと思っていただろう。
◇
「レナード」
美女の魔女が笑う。
「随分、仲間を信じるようになったのね」
「まあね!」
剣で魔法を弾きながら、レナードが答える。
「前よりマシになったでしょ?」
「本当に?」
「何が?」
魔女の笑みが深くなる。
「その魔法使い」
レナードの視線が僅かにタケルへ向く。
「あなたを利用しているだけかもしれないわよ?」
「は?」
「戦う力はない」
黒い魔法が飛ぶ。
レナードが避ける。
「女の子とうまく話すこともできなかった」
次。
「でも今は、あなたという最強の勇者がいる」
さらに次。
「あなたを前に出して、自分は安全な場所から指示を出す」
「……」
「都合がいいと思わない?」
レナードの剣が一瞬止まった。
「あなたがいなければ」
魔女が囁く。
「彼には何もない」
◇
同じ頃。
タケルの耳にも別の声が届いていた。
『勇者がいなければ、お前は何者だ?』
「……」
タケルの足が止まる。
『戦うのはレナード』
『守るのもレナード』
『最後に敵を倒すのもレナード』
「……」
『お前は攻略情報を知っているだけ』
タケルの指が僅かに震える。
『レナードは、お前を必要としているのか?』
「タケル?」
サキの声が聞こえる。
だが。
その声にも、疑いが混じり始めていた。
◇
「タケル」
サキが小さく呼ぶ。
「何?」
「……私」
言葉が続かない。
『聞けばいい』
声が囁く。
『本当に好きなのかと』
『それとも』
『攻略されたから好きになったのか』
「……」
サキはタケルを見る。
今までのことを思い出す。
偶然会った。
話を聞いてくれた。
誘ってくれた。
自分の好きなものを覚えてくれていた。
困っている時に助けてくれた。
でも。
タケルは。
この世界のシステムを知っている。
好感度も。
イベントも。
選択肢も。
爆弾も。
「……ねぇ」
「うん?」
「私のこと……」
サキの声が震える。
「攻略したの?」
タケルが固まった。
「え?」
「最初から」
サキは自分でも止められないように続ける。
「どうしたら私が喜ぶか、知ってたの?」
「……」
タケルの顔から血の気が引く。
黒い影が笑った。
「疑え」
低い声が戦場へ響く。
「人の心など、信じるに値しない」
◇
スターライトの動きが崩れ始めた。
「イオリ、右!」
レナードが叫ぶ。
だがイオリは一瞬、動きを止めた。
「……」
「イオリ?!」
「自分で行けます!」
いつもより強い声だった。
レナードが目を見開く。
「いや、そうじゃなくて!」
「私が前に出ます!」
イオリが一人で敵へ踏み込む。
「ちょっと待って!」
その進路へ巨大な魔物が割り込む。
レナードが追おうとする。
その時。
『またお前が助けるのか』
「……」
『結局、お前がいなければ何もできない』
レナードの足が僅かに止まる。
「……違う」
呟いた。
しかし。
疑いは消えない。
◇
「まずいですわね」
レイナが戦場全体を見ながら呟いた。
スターライトだけではない。
アルカディアの一部にも、互いの指示を疑うような動きが出始めている。
「右だ!」
「本当に右か?!」
「何だと?!」
「誘導されてるんじゃないのか?!」
後方でも、混乱が広がっていた。
エミールがすぐに声を上げる。
「今までの配置を変えないで! 新しい指示が来ても、二人以上で確認して!」
アレクシスも結界を広げる。
「ごちゃごちゃしたら危ないよ! 一回止まろう!」
ノエルは不安そうな冒険者たちの間を走る。
「大丈夫! 今見えてるものだけで決めないで!」
だが。
疑念の霧は消えない。
仮面の男が笑う。
「仲間とは、脆いものだ」
その声がロイヤル・フラグメントへも届く。
「お前たちも同じだ」
「ん?」
エリオットが首を傾げる。
「全員、同じ女を愛している」
「うん!」
「……」
仮面の男が一瞬黙る。
「ならば、なぜ争わない」
「なんで?」
「……何?」
「リリアーナはみんなのリリアーナだよ?」
エリオットが不思議そうに答える。
ノエルも頷く。
「そうだよ!」
「誰が一番とかないよ!」
ルシアンも笑う。
「みんな大好きだもんねー!」
「……」
仮面の男の顔が僅かに引きつる。
エミールは配置表から顔も上げずに言った。
「疑う理由ないよ」
レオンも盾を構えながら頷く。
「うん。信じてるから」
アレクシスが首を傾げる。
「疑って動きバラバラになる方がきれいじゃないよ?」
「そこ基準なんだ?!」
レナードが遠くから思わず突っ込む。
その声に。
少しだけ。
スターライトの空気が戻った。
◇
だが。
タケルとサキの間には、まだ沈黙が残っていた。
「……ごめん」
サキが先に口を開く。
「急に変なこと聞いた」
「いや……」
タケルは俯く。
「聞かれて当然だと思う」
「え?」
「最初は……攻略だった」
サキの目が揺れる。
タケルは逃げずに続けた。
「どうしたら好感度が上がるかとか」
「イベントが起きるかとか」
「そういうの、考えてた」
サキは黙って聞く。
「でも」
タケルが顔を上げる。
「今は違う」
「……」
「今は、サキが笑ってたら嬉しいし」
「困ってたら助けたいし」
「一緒にいたいって思う」
タケルの声はまだ弱い。
けれど。
目は逸らさなかった。
「それが攻略だからなのかって聞かれたら……」
少し考える。
「もう分からない」
「え?」
「でも」
タケルはサキを見る。
「分からないから、ちゃんと僕の気持ちなんだと思う」
サキの目が見開かれる。
黒い影の声が響く。
『信じるのか』
サキはタケルを見る。
数値ではない。
イベントでもない。
選択肢でもない。
目の前で困ったように笑うタケルを。
「……うん」
サキが小さく笑った。
「私は、今のタケルを信じる」
黒い霧が僅かに揺れた。
◇
その頃。
イオリも一人で前へ出ていた。
「私は一人でも――」
「イオリ!」
レナードの声が聞こえる。
振り返る。
「来ないでください!」
「なんで?!」
「私が頼れば、また弱くなる!」
口にした瞬間。
イオリ自身が固まった。
「……」
それは。
本当に自分の言葉なのか。
誰かに言わされているのか。
リリアーナの声が頭をよぎる。
『もっと人信じて、人頼ったらええねん』
レオンの声も。
『命捧げちゃダメだよー!』
イオリは剣を握る。
「……違う」
目の前へ魔物が迫る。
以前なら。
一人で受けた。
今は。
「レナード!」
「はい!」
「右をお願いします!」
「了解!」
レナードが笑う。
二人が左右へ分かれる。
魔物の攻撃を避け。
同時に斬る。
「頼っても」
イオリが息を吐く。
「弱くなるわけじゃない」
「今さら?」
「うるさいです!」
「戻ったじゃん!」
「元からです!」
レナードが笑う。
その笑顔を見た瞬間。
頭の中に残っていた霧が少し薄れた。
◇
美女の魔女がレナードを睨む。
「本当に、その魔法使いを信じるの?」
レナードがタケルを見る。
タケルはサキの隣で、必死に戦っている。
「……まあ」
レナードが剣を肩へ乗せる。
「最初はめっちゃ頼りなかったけど」
「レナード!」
「聞こえてた?!」
「聞こえるよ!」
レナードが笑う。
「でもさ」
視線を魔女へ戻す。
「あいつが俺を利用してるとか言われても、今さらなんだよね」
「……何?」
「俺もあいつ利用してるし」
タケルが目を丸くする。
「え?」
「攻略分かんない時、めっちゃ聞いてるじゃん」
「それは……」
「お互い様じゃない?」
レナードが肩をすくめる。
「それで困ってないし」
「……」
「疑う理由なくない?」
魔女の顔が歪む。
「愚かな……!」
「そう?」
レナードは剣を構え直す。
「俺、結構気に入ってんだけど」
タケルの目が僅かに見開かれた。
「……レナード」
「何?」
「いや……何でもない」
「気持ち悪いな」
「今いいところだったのに!」
◇
「信じる……」
仮面の男が低く呟く。
「信じるだけで、何が変わる」
その言葉に。
レイナが静かに答えた。
「全て変わりますわ」
「……」
「信じるということは、何も考えないことではございません」
レイナは戦場を見る。
揺れた者たち。
疑った者たち。
それでも。
もう一度、互いを見る者たち。
「疑っても」
「迷っても」
「最後に、ご自身で信じるものを選ばれればよろしいのです」
仮面の男が魔力を強める。
「ならば」
「その信頼ごと壊してやる!」
黒い霧が一気に膨れ上がる。
レイナが手を上げる。
「来ますわ!」
ロイヤル・フラグメントが一斉に動く。
「いくよー!」
エリオットが剣を構える。
レオンが前へ。
セシルが走る。
エミールが配置を整える。
ノエルが回復。
アレクシスが空間を固定する。
ルシアンが地面を凍らせる。
その中央で。
スターライトも再び並んだ。
レナードが剣を握る。
タケルが杖を構える。
イオリが前へ。
サキが弓を引く。
アヤコ、マイ、ミハルも位置につく。
「行ける?」
レナードが聞く。
タケルが頷く。
「うん」
「今度は疑わない?」
「それはレナードもでしょ」
「じゃあお互い様」
タケルが少し笑う。
「うん」
二人は前を向いた。
その時。
仮面の男の背後から。
さらに濃い黒い魔力が立ち上がる。
「信じる?」
低い声。
「ならば」
「次は、その意思ごと奪ってやろう」
戦場全体を覆うように。
黒い光が広がった。




