第24話 場を整える
黒い紋章を持つ魔物の討伐は、各地で同時に進められていた。
西部の山岳地帯を片づけたスターライトは、ほとんど間を置かず次の討伐地域へ向かうことになった。今回の目的地は南東部。広い草原と峡谷が続く地域で、黒い紋章を持つ魔物の群れが街道を塞ぎ、周辺の村との行き来が止まっているという。
「次から次へと出てくるなー」
馬車の窓から外を見ながら、レナードがぼやく。
「世界規模って言ってたでしょ」
タケルは膝の上へ地図を広げたまま答えた。
「西だけ終わっても意味ないよ」
「分かってるけどさ。魔王、働き者すぎない?」
「そこ褒めるところじゃないから……」
しばらくして一行が現地の臨時拠点へ到着すると、すでに大勢の冒険者と兵士が行き交っていた。物資を運ぶ者、負傷者を診る者、装備を確認する者が絶えず動く中、その中心で一人の青年が大量の書類を抱えている。
「討伐班Aは予定通り東側。Bは峡谷入口で待機ね。回復班は二時間交代、次の班はもう休んでー」
「はい!」
「食料は?」
「三日分あります!」
「水は?」
「補給が少し遅れております!」
「じゃあ午後の班、出発三十分ずらして。水なしで行かせる方が危ないよ」
「承知しました!」
返事を聞きながら、青年は手元の紙へ素早く書き込み、すぐ別の書類へ目を移す。
「負傷者は軽傷と重傷で分けてね。軽傷でも魔力切れの人は今日は出さないで」
「ですが、本人が出たいと申しております」
「ダメー。本人のやる気と身体が動くかは別だから」
「……承知しました」
レナードは少し離れた場所から、その様子を眺めていた。
「……めっちゃ仕事できるじゃん」
アルカディアのリーダーが頷く。
「あれがエミール様だ」
「昨日聞いたやつ?」
「ああ。貴族でありながら、今は現場の管理にも入っている」
「貴族が?」
レナードはもう一度エミールを見る。
確かに服装も立ち姿も育ちの良さが滲んでいる。だが本人は身分など気にする様子もなく、討伐班の配置から負傷者の状態、食料、水、交代時間まで、全部まとめて把握していた。
「スケジュール、物資、体調管理……全部やってんじゃん」
タケルも感心したように呟く。
「すごいな……」
その声が聞こえたのか、エミールがこちらを振り向いた。
「あ、スターライト!」
書類を抱えたまま笑顔で近づいてくる。
「エミールだよー。今日はよろしくね!」
「よろしく」
レナードが返事をしながら、抱えている書類へ目を落とした。
「それ全部一人で見てんの?」
「うん。まとめた方が分かりやすいから」
「戦闘もすんだよね?」
「するよー」
「いつ休んでんの?」
「ちゃんと休んでるよ」
エミールはそう言いながら、一枚の紙を抜き取った。
「僕の休憩時間もここに書いてあるから」
「自分までスケジュール管理してんじゃん!」
「忘れたら困るでしょ?」
「優秀すぎてちょっと怖いわ」
レナードが感心している横で、タケルは手元の紙を確認していた。討伐情報と一緒に、いつもの好感度の記録まで細かく書き留めていたらしい。
「昨日ので、イオリの好感度は少し上がって……サキは……」
小さな声だった。
だが。
「好感度表?!」
エミールがものすごい勢いで振り向いた。
「えっ」
タケルが固まる。
さっきまで冷静に現場をまとめていた青年とは思えないほど目を輝かせ、エミールが一歩近づいた。
「僕得意だよ! 爆弾表もある?」
「あります……!」
「あるんだ!」
「なんで急に意気投合してんの?!」
レナードが割って入る。
エミールは完全にレナードを無視して、タケルの紙を覗き込んだ。
「誰が本命?」
「サキです」
「今どのくらい?」
「このくらいで……」
「イベント履歴は?」
「全部書いてます」
「見せて!」
「はい!」
「攻略会議始まったァァァ!!」
レナードの声が拠点に響き、少し離れた場所にいたサキが振り向いた。
「何?」
「何でもない!!」
タケルが慌てて紙を胸元へ隠す。
エミールはますます楽しそうだった。
「懐かしいなぁ。僕も昔、好感度表作ってたよ」
「やっぱり……!」
タケルの目が輝く。
「やっぱりって何?!」
レナードだけが話についていけない。
「じゃあ、今も持ってるんですか?」
「好感度表はもうないよ」
「そうなんですか……」
「リリアーナに破り捨てられたから」
「やっぱり姫ェェェ!!」
レナードが叫ぶ。
タケルは少し残念そうに肩を落とした。
「そうですか……」
「でもね」
エミールが周囲を確認する。
誰もこちらを見ていないことを確かめると、少しだけ声を落とした。
「爆弾表はまだあるよ」
「……ありますか!」
「あるよ!」
「なんでそっちだけ残ってんだよ!!」
エミールは書類の束から、小さく折り畳まれた紙を取り出した。何度も開いたらしく、折り目がかなり柔らかくなっている。
タケルが感動したように見つめる。
「本物だ……」
「文化財みたいに言うな!!」
「これだけは捨てられなくて」
「なんで?!」
「記録は大事だからね」
「絶対その理屈で怒られただろ!」
エミールは紙を丁寧に折り直し、もう一度書類の間へ戻した。
それからタケルへ少し顔を寄せる。
「リリアーナにバレたら『燃やすぞ』って怒られちゃうから、内緒ね!」
「はい……!」
二人が固く頷き合う。
「何の秘密結社だよ!!」
◇
そんな妙な友情が生まれた数十分後。
スターライトとアルカディアは、エミールとともに峡谷へ入っていた。
左右には高い岩壁が続き、その間を強い風が吹き抜けている。サキが髪を押さえながら空を見上げた。
「ここ、戦いにくくない?」
「普通ならね」
エミールは先頭近くを歩きながら答える。
「でも今日は大丈夫だよ」
「なんで?」
「僕がいるから」
レナードが横を見る。
「急に自信満々じゃん」
「風は得意だからね」
その直後、峡谷の奥から大量の羽音が響いた。
「来るぞ!」
アルカディアの声に全員が武器を構える。
岩壁の上から現れたのは、黒い紋章を刻まれた巨大な鳥型の魔物だった。一体や二体ではない。空を覆うほどの群れが、峡谷を埋めるように飛んでくる。
「多っ!」
レナードが剣を抜く。
「サキ!」
「分かってる!」
サキが矢を放つが、強い横風に煽られて僅かに軌道が逸れた。
「この風じゃ狙えない!」
「大丈夫」
エミールが片手を上げる。
次の瞬間。
峡谷を吹き荒れていた風が、ぴたりと止まった。
「……え?」
タケルが顔を上げる。
さっきまで服も髪も大きく揺れていたはずなのに、スターライトの周囲だけ完全な無風になっていた。
「サキ、もう一回!」
「う、うん!」
矢が放たれる。
今度は真っすぐ飛び、鳥型の魔物を撃ち抜いた。
「当たった!」
「次、もう少し高く狙ってー!」
サキが二本目を放った瞬間、今度は背中から風が吹く。
矢が一気に加速し、通常なら届かない距離の魔物まで貫いた。
「えっ?!」
サキが自分の弓を見る。
「今の私?」
「サキだよー。僕はちょっと押しただけ」
「ちょっとの速度じゃなかったけど?!」
レナードが叫ぶ。
その間にも魔物は次々と降下してくる。
「タケル、炎を正面!」
「はい!」
タケルが杖を振る。
「火よ!」
炎が前方へ広がる。
「そのままねー」
エミールが指を動かした。
次の瞬間、風が炎を巻き込み、一気に峡谷の横幅いっぱいまで広げていく。
「うわっ!」
タケル自身が驚く。
巨大な炎の壁に進路を塞がれ、鳥型の魔物が一斉に上空へ逃げた。
「サキ、上!」
「任せて!」
待ち構えていた矢が次々と飛び、逃げた魔物を撃ち落としていく。
レナードが目を丸くした。
「タケルの火まで強化できんの?!」
「風だからね!」
「便利すぎるだろ!」
今度は地上から黒紋章のオーガが現れた。
イオリが前へ出る。
「私が止める!」
「イオリ、そのまま真っすぐ行ってー!」
「え?」
「押すよー!」
背後から突風が吹き、イオリの身体が一気に加速した。
「ちょっ――!」
驚きながらも体勢は崩さない。
そのままオーガの懐へ入り込み、一閃。
巨体が倒れる。
イオリが振り返った。
「先に言ってください!」
「言ったよー!」
「直前すぎます!」
レナードが吹き出す。
「イオリ飛んでったじゃん!」
「笑ってないで前!」
「はいはい!」
レナードが走り出す。
「僕も押そうか?」
「俺はいらない!」
「遠慮しなくていいよー!」
「いらないって!」
背後から突風が来た。
「うおおおお?!」
レナードの身体が凄まじい速度で前へ飛ぶ。
その勢いのままオーガを一撃で斬り倒し、地面を滑りながら止まった。
「速すぎんだよ!!」
「でも倒せたでしょ?」
「結果論!!」
◇
戦闘が進むほど、エミールの異常さははっきりしていった。
ただ風が強いわけではない。
味方には追い風を送り、敵には向かい風を当てる。サキの矢は加速させ、タケルの炎は広げ、イオリやレナードの移動速度まで必要な瞬間だけ引き上げていく。
その一方で、魔物の群れは少しずつ進路を変えられ、気づけばスターライトが最も戦いやすい位置へ集められていた。
「右から三体来るよー!」
「了解!」
「レナード、そのまま前!」
「はいよ!」
「タケル、十秒後に火ね!」
「十秒?」
「今はまだ早いよ」
エミールは戦場全体を見ながら、敵が動く速度まで計算していた。
「三、二、一。今!」
「火よ!」
タケルの炎が広がる。
同時に敵の背後から風が吹き、逃げ道を失った魔物たちが一か所へ集められた。
その正面には、すでにレナードとイオリがいる。
「来た!」
「まとめてやる!」
二人が同時に斬り込み、群れを一気に崩していく。
タケルが唖然とした。
「戦闘までスケジュール管理してる……」
レナードも敵を斬りながら叫ぶ。
「ほんとそれ!!」
エミールは楽しそうに風を操っている。
「予定通り進むと気持ちいいよねー!」
「敵まで予定表に入れんな!!」
やがて最後に残った巨大な鳥型魔獣が、空高く舞い上がった。
胸には大きな黒い紋章。
翼を広げただけで峡谷全体に暴風が吹き荒れ、スターライトの足元から砂埃が舞う。
「高すぎる……!」
サキが弓を構える。
「届かない!」
「届くよー」
エミールがサキの後ろへ立つ。
「思いっきり引いて」
「でも……」
「大丈夫。飛ばすから」
サキが深く息を吸い、弓を限界まで引いた。
「今!」
矢が放たれる。
同時にエミールの風が一点へ集まった。
ドンッ!!
空気が爆発したような音が響き、矢が一瞬で視界から消える。
次の瞬間には、遥か上空にいた魔獣の翼を貫いていた。
「うそ……」
巨体がバランスを崩し、落下を始める。
「レナード!」
「任せろ!」
レナードが地面を蹴った。
今度は自分から振り返る。
「エミール! 押して!」
「はーい!」
「さっきはいらないって――」
タケルが言い終わるより早く、猛烈な追い風がレナードの身体を空へ押し上げた。
「うおおおおおっ!!」
落下してくる魔獣と正面からすれ違う。
一閃。
胸の黒い紋章が切り裂かれ、その巨体が峡谷の地面へ叩きつけられた。
レナードも着地すると、剣を振って笑った。
「……便利じゃん」
「でしょー?」
「ちょっと楽しいかも」
「レナード、すぐ染まるね……」
◇
討伐を終えて臨時拠点へ戻ると、エミールは休むより先に報告書を確認し始めた。
「討伐完了。負傷者は軽傷三人だけね。よかった」
「戦った直後にもう仕事してんの?」
レナードが呆れる。
「忘れる前にまとめた方が楽だからねー」
「爆弾表も?」
レナードが意地悪そうに聞いた瞬間、エミールの手が止まった。
「しーっ!」
慌てて口元へ指を当てる。
「それは声に出したらダメ!」
「今さら?!」
タケルも周囲を確認し、小声になる。
「リリアーナ姫には、本当に内緒なんですよね……?」
「もちろん!」
「そこだけ返事早っ!」
エミールは書類を胸元へ引き寄せると、真剣な顔でタケルを見た。
「好感度表は破られたけど、爆弾表まで失うわけにはいかないから」
「分かります……!」
「分かんなくていいから!!」
レナードの声が拠点に響く。
その横で、エミールとタケルはもう一度だけ固く頷き合った。
世界規模の魔物討伐が続く中。
なぜか新たな同盟が一つ、ひっそりと結ばれていた。




