坂本
坂本という町の話をしなければならない。
琵琶湖の西南の岸に開けた、日吉山王社の門前町である。背後に比叡の山を負い、正面に湖を抱く。北国から船で運ばれてきた米も塩も鉄も、この湊で陸に揚がり、山を越えて京へ入る。京の胃袋に物を送りこむ喉笛のような場所であった。
その喉笛を握っていたのが、馬借である。
馬に荷を積んで運ぶ。それだけの生業だが、この時代の馬借はただの運送人ではない。街道の情報がまずここに集まる。誰が何をどれだけ運んだかを知っているということは、誰がどれだけ儲け、誰がどれだけ苦しいかを知っているということでもある。しかも彼らは馬を持ち、脚があり、日ごろから組を作って動くことに慣れていた。
一揆の火が、いつも彼らのところから点いたのは、そのためである。
与三郎は、坂本の馬借の頭であった。
歳は四十一。父も祖父も馬借であった。京へ登る山道の曲がり具合を、暗闇でも足の裏で言い当てられる。女房と、十二になる娘と、六つの倅がいた。
嘉吉元年の夏は、暑かった。
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将軍が討たれ損ねたという話は、六月の末に、京から下ってきた酒屋の手代が持ってきた。
「首を取り損ねたそうな」
聞いて、坂本の者たちはしばらく黙った。
こういう町では、都の権力の交代は、天気の変わり目に似ている。誰が上に立とうと、荷は運ばねばならず、年貢は納めねばならず、借りた銭は返さねばならない。だが、それでも、と与三郎は思った。
——変わってほしかった。
去年の暮れ、与三郎は土倉から銭を借りた。土倉というのは質屋であり、金貸しである。京にはこれが数百軒あり、その多くは比叡の山が後ろ盾になっていた。仏に仕える山が、都じゅうに銭を貸し、利を取っていたのである。
念のために書いておけば、比叡山延暦寺というのは、この時代、単なる寺ではない。数千の僧兵を擁し、荘園を持ち、金融を握り、朝廷にも幕府にも遠慮なく強訴をしかける、独立した権力であった。坂本は、その山の膝元であり、財布であった。
借りたのは八貫。銭八千枚である。馬が三頭、続けて死んだ。あの冬の疫は馬にも来た。馬のない馬借は、腕のない大工と同じである。
利は月に六分——ひと月ごとに元金の六分、つまり百につき六の利が積み上がる。半年で元金の三割以上が利になる。返せぬから、また借りる。坂本の馬借で、土倉に借りのない者はもう数えるほどしかいなかった。
徳政、という言葉が、そのころ町に流れはじめていた。
借財を帳消しにせよ、という要求である。前例がないわけではない。世が乱れ、政が揺らいだとき、幕府はしばしばそれを行った。世直しである。
将軍が死ねば、幕府は揺らぐ。
揺らげば、徳政が出る。
坂本の男たちが、寄り合いの席でその話を始めたのは、六月のうちであった。誰が言い出したというのでもない。ただ、みなが同じことを考えていた。
その相談の途中で、酒屋の手代の話がもう一度出た。
将軍は、死んでいない。
「……ならば、出るまいな」
誰かが言った。座は、それきり静かになった。
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八月の初め、湖の北から来た馬借が、話を持ちこんだ。
大津も、堅田も、腹を決めている。近江じゅうの馬借が集まれば、四千にも五千にもなる。京へ登り、土倉を囲む。囲んで、徳政を求める。
「将軍が生きておっても、か」
与三郎が問うと、その男は言った。
「生きておるからこそよ。生きておるあいだに言わねば、あの御所は死ぬまで治まる。死ぬまで治まったら、わしらは死ぬまでこのままじゃ」
理屈は、通っていた。
与三郎は、その夜、家に帰って女房にその話をした。女房は、竈の前でしばらく黙っていた。
「お前さま」
「なんじゃ」
「都で、笑うただけで女子が打たれたと聞きます」
「噂じゃ」
「鶏も、追われたと」
「それは、まことらしい」
女房は、火を見ながら言った。
「そういうお人は、こちらが正しゅうても、聞いてくださらんのではありませんか」
与三郎は、答えなかった。
答えられなかった、というほうが正しい。この十三年、都から降りてくる沙汰には、いつも理由がなかった。誰それが所領を召し上げられた。誰それが流された。なぜかは、誰も知らない。知らないまま、次は自分かもしれぬと思って生きる。
坂本の者たちは、それを「お上の癖」と呼んでいた。癖なら、避けようがある。避けようがあると思いたかったのである。
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八月十日の夜明け前であった。
与三郎は、馬の鳴き声で目を覚ました。厩の馬ではない。もっと数の多い、もっと重い、鎧を着けた馬の音であった。
戸を開けたとき、町の東の端が、すでに燃えていた。
奉公衆であった。
将軍の直属軍である。守護大名の兵ではない。旗の紋を、与三郎は知らなかった。知らないということが、恐ろしかった。守護の兵なら、話が通じる余地がある。年貢を納める相手であり、揉め事があれば裁く相手でもある。だが、この兵たちは違った。
彼らは、何も言わずに火をかけていた。
呼ばわりもせず、名乗りもせず、下知の声すら少ない。ただ手際よく、風上から順に、家に火を移していく。逃げる者を追いもしない。追いもしないが、逃げ道の辻にはあらかじめ人が立っていた。
——手順が、できておる。
炎の中を走りながら、与三郎はそう思った。この兵たちは、町を焼くという仕事を、繰り返し稽古してきた者の動きをしていた。
女房を見つけたのは、日吉社の鳥居の下であった。娘の手を引いていた。
「倅は」
「後から」
「後から、とは」
女房は答えなかった。答えられぬ顔をしていた。
与三郎は引き返した。引き返して、燃える町の中を、倅の名を呼びながら三度往復した。三度目に、焼け落ちた梁の下から、小さな足が出ているのを見た。
それが、六つになる倅のものであったかどうかは、確かめなかった。
確かめれば、確かになってしまう。
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坂本は、二日で焼けた。
死んだ者の数を、幕府は数えていない。数える必要がなかったからである。この焼き討ちは、罪人の処罰ではない。一揆が起きる前に、一揆の集まる場所を消しただけである。処罰でない以上、記録に残す名もいらない。
京では、この件を書き留めた公卿の日記が、わずかにある。近江坂本、火事の由、とだけ書いてあった。
そして、この年、日本に徳政令は出ていない。
出さずに済んだ、というべきかもしれない。要求する者たちが集まる前に、集まる場所がなくなったからである。
史実の世界では、この一揆は起きた。将軍が死んだ隙をついて数万に膨れ上がり、洛中を占め、土倉を襲い、閏九月、幕府は屈して日本で最初の徳政令を出した。民が、この国の中央政権を初めて屈服させた事件である。教科書は嘉吉の徳政一揆と呼び、日本史における民衆の登場を告げる出来事として、必ず一行を割く。
その一行が、この世界には、ない。
歴史というものは、起きたことしか書かない。焼かれて起きなかったことは、どこにも書かれない。
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だが、坂本を焼くということには、もうひとつの意味があった。
焼き討ちの三日後、与三郎は焼け跡に立って、山を見上げていた。
比叡である。
坂本は、あの山の門前町である。山の僧たちの食う米も、着る物も、この町を通って上がる。町の商人は山の名で商いをし、町の土倉は山の銭で回っていた。坂本を焼くとは、延暦寺の財布を焼くということであった。
与三郎は、山が怒ると思っていた。
坂本の者は、みなそう思っていた。山門というのは、そういうものであった。荘園の境界で揉めれば強訴に及ぶ。人事が気に入らねば強訴に及ぶ。日吉の神輿を担いで都へ押し出せば、朝廷も幕府も震え上がり、たいていの要求は通った。ましてや、門前町がまるごと焼かれたのである。
三千の僧兵が、山を下りてくる。
与三郎は、それを待っていた。待っている自分に気づいて、少し驚いた。焼かれた者は、誰かに怒ってもらいたいのである。
山は、動かなかった。
一日待ち、三日待ち、十日待った。山は静まりかえっていた。読経の声すら、下まで降りてこない日があった。
なぜか。理由を知る者は、坂本にもいた。
数年前、山門が強訴に及んだとき、あの御所は一歩も譲らなかった。封鎖し、締め上げ、根を枯らしにかかった。追い詰められた山の使僧たちは、ついに根本中堂に立て籠もり、火を放って焼身した。仏法の総本山が、おのれの本堂を焼いて抗議したのである。
そして、それでも、御所は譲らなかった。
つまり山は、あの一件で、すでに一度折れていた。折れた枝は、二度目には撓わない。
——山も、怖れておる。
焼け跡に立って、与三郎はそう悟った。
千年の山が、である。神輿を担げば帝も震えたあの山が、門前町を焼かれてなお、口を開かない。
このとき与三郎の腹の底に落ちてきたのは、悲しみでも怒りでもなかった。もっと単純で、もっと冷たいものであった。
——助けは、来ぬ。
この世に、あの御所より上のものは、もう何もないのだ。
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与三郎は、京へ流れた。
馬も、家も、倅も失った男に、行くところはなかった。女房と娘を近江の縁者に預け、おのれは都へ出て、荷を担ぐ日雇いになった。四十一の体には応えたが、飢えるよりはましであった。
そして都で、与三郎は、奇妙なものを見た。
静けさである。
坂本が焼かれたことを、京の者は知っていた。知っていて、誰も口にしなかった。市の立つ日に、辻に人が集まり、値の高い安いを言い合う。天気の話をする。祭の話をする。だが、坂本の話だけは、しない。
一度、与三郎は、荷を運んだ先の土倉の手代に、それを尋ねた。
「なぜ、誰も言わぬ」
手代は、算盤の手を止めずに言った。
「言うて、どうなる」
「……」
「言えば、言うた者が減る。言わねば、誰も減らぬ。近ごろは、皆それをよう心得ておる。おかげで都は、この十年でいちばん静かじゃ」
そして、手代は付け加えた。
「治まっておる、というやつよ」
与三郎は、その言葉を持って帰った。持って帰って、寝床の中で何度も転がした。
治まっておる。
たしかに、都は治まっていた。盗みは減り、喧嘩は減り、辻に転がる死人も減った。物の値も落ち着いている。誰も逆らわぬから、誰も罰されぬ。罰されぬから、血も流れぬ。
与三郎は、寝返りを打った。
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冬の初め、与三郎は、室町の大路で荷を降ろしていた。
築地塀の内から、笛の音が流れてきた。
猿楽である。将軍家の催しだと、荷主が言った。名高い太夫が舞うのだという。塀の内には、この国のあらゆる大名と公卿が集まっているらしかった。
与三郎は、荷を降ろす手を止めて、しばらく聴いていた。
塀の高さは、一丈をゆうに超える。内は見えない。見えないが、音だけは、驚くほどよく聞こえた。笛。鼓。そして、地を這うような、低い謡の声。
美しい、と与三郎は思った。
そう思ったおのれに、驚いた。
塀の内には、坂本を焼かせた男がいる。その男の座で、この世でいちばん美しい音が鳴っている。そのことに、与三郎の頭はうまく折り合いをつけられなかった。焼く男と、美しい音とは、同じ場所にあってはならぬはずであった。
やがて、謡が終わった。
塀の内は、しんとしていた。囃子も止み、人のざわめきもない。あれだけの人数がいるはずなのに、咳ひとつ聞こえない。
——だれも、酔うておらぬ。
与三郎は、そう思った。
塀の内の静けさは、坂本を焼いた朝の、あの下知の少なさとよく似ていた。
与三郎は、空の荷車を引いて、歩き出した。
背後で、また笛が鳴りはじめた。
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その帰り道、四条の辻で、荷仲間の男が声を落として言った。
「与三、山が動くげな」
「山」
「比叡よ。日吉の神輿を担ぐ支度をしておるという。……焼かれた坂本の、あの神輿じゃ」
与三郎は、立ち止まった。
冬の空に、比叡は青黒く横たわっている。ここからでは、山は静まって見えた。半年前と、何ひとつ変わらぬ姿で。
折れた枝は、二度目には撓わない。
そう思ったのは、まだ焼け跡の熱が残っていた頃である。
——では、折れた枝は、どうなる。
答えを、与三郎はまだ知らなかった。




