神輿
神輿の話をしなければならない。
嘉吉元年の冬、比叡山が動いた。
強訴という。山門の衆徒——比叡山の僧兵たちのことである——が日吉山王社の神輿を担ぎ、隊列を組んで京へ押し出す。要求が通るまで、神輿を路上に据えて動かない。訴えを、強いて通す。だから強訴という。
奇妙な戦法である。武器は持つが、まず振るわない。振るうのは神輿である。
なぜこれが効くのか。
神輿には、神が乗っているとされるからである。
神輿に矢を射かければ、神を射たことになる。神輿を担ぐ僧を斬れば、神の乗り物を汚したことになる。そして神は、汚した者を祟る。祟りは本人だけでなく、子にも孫にも及ぶ。
この理屈を、当時の人間は本気で信じていた。
信じていたからこそ、朝廷も幕府も強訴に勝てなかった。数千の武士を動員できる権力者が、坊主が担いだ一台の輿の前で立ち往生する。武力の問題ではない。誰も、後の世まで祟られたくなかったのである。
例がないわけではない。安元三年、山門の衆徒が神輿を担いで内裏に押し寄せたとき、これを防いだ平家の武士——平重盛の郎党が、神輿に矢を射立てた。神輿は矢の突き立ったまま放置され、都は震え上がった。平家は下手人を差し出して収めるほかなかった。
そして、あの一族は、それから八年で滅びている。
因果とは何の関わりもない、と今日のわれわれは言う。だが当時の人間は、そうは考えなかった。神輿を射た家が滅んだ。それだけで、理屈は十分であった。
つまり神輿とは、この国でもっとも安上がりな、そしてもっとも強力な兵器であった。
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報せが室町第に入ったとき、義教は白湯を飲んでいた。
「幾つじゃ」
「は」
「神輿よ。幾つ担いで下りてきた」
「……七基、と」
「七か」
義教は白湯を飲み干した。
「多いな」
多い、と言ったきり、しばらく黙っていた。側近たちは、この沈黙を恐れた。この人の沈黙のあとには、たいてい人が死ぬ。
だが、このときの沈黙は、少し種類が違っていた。
義教は、数えていたのである。
日吉社の神輿は、本来七基である。大宮、二宮、聖真子——七つの社にそれぞれ一基ずつ。強訴のとき、山門はふつう二基か三基しか担がない。全部担ぐということは、社を空にするということである。神を、一柱も残さず持ち出したということである。
——本気じゃな。
義教は思った。
そして、それを誰よりも正確に読み取れる立場に、この男はいた。
かつて天台座主であった。天台宗の頂点、比叡山三千坊のすべてを統べる座である。
十歳で青蓮院に入り、経を読み、儀軌——仏事の作法や式次第の決まりごとである——を学び、山の内側で二十五年を過ごした。強訴の相談がどこでどう決まるか、神輿を出すのに何日かかるか、僧兵たちが何を食い、どこで寝るか——すべて、内側から見て知っている。
知っているということは、幻を見ないということでもあった。
神輿を担いで山を下りる衆徒たちの顔を、義教は思い浮かべることができた。信心深い者もいる。だが大半は、坂本を焼かれて食い扶持を失った者たちである。門前町が焼ければ、山の台所も干上がる。彼らが担いでいるのは、神ではない。
——腹じゃ。
腹が減った坊主が、神を口実に、飯を寄越せと言いに来ている。
この読みは、おそらく正しかった。正しすぎたことが、この人の生涯の不幸であったかもしれない。
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神輿は、四条河原に据えられた。
七基が横一列に並び、金の飾りが冬の日を照り返した。周囲を数百の僧兵が固め、洛中の辻という辻に触書が回った。要求は三つ。坂本焼き討ちの下手人を差し出すこと。焼けた町の再建の費用を出すこと。そして、山門領への幕府の介入をやめること。
京は、麻痺した。
商人は店を閉め、公卿は牛車を出さず、市は立たなかった。神輿の前を通ることさえ、人は避けた。触れれば祟る。近づいても祟る。洛中——都の内側は、七基の輿ひとつで止まった。
ここで、ひとりの死者に触れておかねばならない。
三宝院満済という僧がいた。醍醐寺の座主で、義満・義持・義教の三代に仕え、黒衣の宰相と呼ばれた。将軍を決めたあのくじを差配したのも、この人である。
義教が唯一、諫言を聞いた人間であった。
義教が誰かを殺そうとするたび、満済は割って入った。いま少しお待ちを、と言えば、この将軍は不思議と待った。理由は誰にもわからない。仏門の兄弟子であったからかもしれず、あるいはこの世でただひとり、義教が「くじで選ばれた男」であることを引け目に思わずに済む相手であったからかもしれない。
その満済が、六年前に死んだ。
以後、義教を止められる人間は、この世にいない。
三日目、幕府の重臣たちが室町第に集まった。
管領・細川持之が、平伏して言った。
「……御所さま。ここは、譲られませ」
「ほう」
「先例のなきことにございませぬ。歴代の公方さまも、強訴には折れておられまする。銭を出し、下手人をひとり差し出せば、山は帰りまする。神輿を京に置かれたままでは、洛中が立ち行きませぬ」
「持之」
「はっ」
「そなた、あの神輿を見たか」
「……遠くより、拝しました」
「拝したか」
義教は笑った。
「わしはな、あれを担いだことがある」
重臣たちが、顔を上げた。
「若い頃じゃ。山におった頃、担がされた。重いぞ。担ぎ棒が肩に食い込んで、三日は痣が消えぬ。中に何が入っておるかも知っておる。……木と、金箔と、紙じゃ」
義教は立ち上がった。
「神は、乗っておらぬ」
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翌朝、義教は自ら四条へ出た。
供は奉公衆五百。将軍が強訴の現場に出向くこと自体が、前例がなかった。
河原に着くと、義教は馬を下りた。神輿の列から二十歩ほどのところまで歩き、そこで立ち止まった。
僧兵たちが、身構えた。だが、誰も動かなかった。この男が誰であるかを、彼らは知っている。かつて自分たちの頂に座っていた人である。
義教は、七基の神輿を、端から端まで眺めた。
それから、振り向いた。
「射よ」
奉公衆の弓組が、動かなかった。
「射よ、と申した」
動かない。
先頭にいた弓の名手が、地に膝をついた。
「……御所さま。それだけは」
「なぜじゃ」
「祟りまする」
「誰にじゃ」
若い武者は、答えられなかった。
「わしにか。それとも、そなたにか」
「……手前の、子や孫に」
義教は、その男をしばらく見ていた。
そして、こう言った。
「そなたは、わしより神が怖いか」
これは、質問ではなかった。この十三年、この男が全力で消し去ろうとしてきたものの名を、確かめる言葉であった。
若い武者は、地に額をつけた。つけたまま、動かなかった。動けなかった。
答えは、明らかであった。
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義教は、その男の弓を取り上げた。
奪うようにではない。手を差し出し、渡させた。矢を一本、自分で選んだ。
そして、番えた。
弓を引く姿は、堂に入っていた。この人は還俗以来、武芸を人一倍稽古している。坊主上がりと侮られぬために、である。
義教は、正面の神輿——大宮の神輿を狙った。
日吉大社の主神である。比叡山の地主神であり、天台の守護神である。かつておのれが座主として、日々拝んでいた神であった。
一瞬、義教の指は止まった。
止まったのを、後ろにいた者たちは見ている。
だが、それは本当に一瞬であった。
弦が鳴った。
矢は、大宮の神輿の屋根に突き立った。金箔が剥げ、木が裂ける乾いた音がした。
僧兵の列から、悲鳴のような声が上がった。奉公衆の中にも、思わず目を伏せた者があった。
義教は、二の矢を番えた。
射た。
三の矢を番えた。
射た。
七基すべてに、矢を射立てた。
そして、弓を投げ捨てて言った。
「見よ」
冬の空である。
雲は、動かない。
風もない。雷も鳴らない。地も揺れない。神輿は、矢が刺さったまま、金の飾りを照り返している。
何も、起こらなかった。
「見たか」
義教は、河原じゅうに聞こえる声で言った。
「祟りは、来ぬ」
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山門は、その日には動かなかった。
動けなかった、というほうが正しい。
矢の突き立った神輿を前にして、衆徒たちは河原に座り込んだままであった。怒号を上げる者がいた。泣く者がいた。今こそ神罰が下ると叫び、空を指さして皆に見よ見よと言い続ける僧もいた。空は、暮れるまで晴れていた。
日が落ち、河原に篝火が焚かれた。誰も帰らず、誰も攻めかからなかった。
彼らが待っていたのは、幕府の返答ではない。神の返答である。
夜半、雨が来るかと思われた時があった。雲が出て、風が変わった。衆徒たちはいっせいに立ち上がったという。だが雲はそのまま流れ、月が出た。
明け方、ひとり、またひとりと、僧兵が河原を離れはじめた。
止める者はなかった。止める言葉が、もうなかったからである。
昼までに、山門の隊列は消えた。
戦ったのではない。彼らの武器は、神輿だったのである。武器が効かないと分かった軍は、ただの飢えた集団にすぎない。
神輿は、矢が刺さったまま河原に残された。
三日後、幕府は神輿を回収し、日吉社へ返した。要求は、ひとつも容れられなかった。
比叡山延暦寺は、この日をもって、事実上、政治の舞台から降りた。
千年にわたってこの国の権力者を悩ませ続けた「山法師」は、飢えた坊主の群れに戻った。
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その夜、義教は室町第の縁に出て、東の山を見ていた。
比叡である。黒々として、灯の一つも見えない。
——終わったな。
義教は思った。
赤松は絶えた。山名は押し込めた。一揆は焼いた。畠山は白洲に伏せた。そして今日、この国で最後まで残っていた「将軍より上のもの」が、消えた。
そこまで数えて、義教はふと、あの若い武者の顔を思い出した。
——そなたは、わしより神が怖いか。
あの問いに、あの男は答えられなかった。額を地につけて、動かなかった。
それが、答えであった。
——あの男は、明日から、何を怖れる。
答えは、ひとつしかなかった。
わしだけである。
——では。
義教は、暗い山を見たまま、思った。
——わしがおらぬ日には。
その先を、この人は考えなかった。
冬の風が吹き、縁の燭が一つ消えた。
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四条河原には、その日、見物の人だかりができていた。
神輿に矢が立つのを、京の民は遠巻きに見ていた。
その中に、荷担ぎの日雇いが一人いた。
坂本の馬借の頭であった男である。名を与三郎という。町を焼かれ、六つの倅を失い、都へ流れて日銭を稼いでいる。
与三郎は、矢が七本立つのを、最後まで見ていた。
見ながら、待っていた。
雷を、待っていたのである。
町を焼かれたとき、山は動かなかった。動かなかったのは、山が折れていたからだと聞いた。ならば、神はどうなのか。神まで折れているということが、あるのか。
七本目の矢が立った。
与三郎は、空を見上げた。
冬の空であった。雲の少ない、乾いた青が、河原の上に広がっていた。
しばらく、そうしていた。
周りの人だかりが、ざわめきながら散りはじめてもまだ、与三郎はひとり空を見ていた。
やがて、首が痛くなった。
それだけであった。
与三郎は、空の荷車を引いて歩き出した。
冬の京の、乾いた道であった。




