Here comes a newcomer!
放課後の旧校舎。今はもう使われていない空き教室に、深く、腹の底に響くような弦楽器の重低音が響き渡っていた。
僕がチェロを始めたのは、両親から「本当の家族」についての真実を聞かされた直後のことだった。
その時、僕はもう一つの事実を知らされたのだ。僕の生みの父は、若くして事故で亡くなったものの、かつて日本を代表すると言われた天才チェリストだったらしい。
自分の中に、その人の血が流れている。
そう知った時、僕はどうしてもチェロという楽器に触れてみたくなった。お年玉やお小遣いを必死に貯め、ネットオークションでなんとか安い中古のチェロを手に入れた。お金がかかる習い事をさせてほしいなんて、ただでさえ恩がある育ての両親には口が裂けても言えなかったから、教則本を片手に完全な独学で、趣味として細々と弾き始めたのだ。
しかし、自分でも驚くほど、僕の指は弦に馴染んだ。
才能を受け継いでいたからなのかはわからないが、音を奏でるたびに心の奥底が喜び、震え、時には静まり返るような不思議な感覚があり、僕はすっかりチェロにのめり込んでいた。
そして今、他の部活の迷惑にならないよう、この空き教室で密かに練習を続ける僕には、「二人の専属観客*がいる。
「…………」
「…………」
教室の一番後ろの席。
右端には、腕を組み、絶対零度の冷たい笑みを浮かべる妹の結衣。
左端には、同じく腕を組み、負けじとバチバチの視線で結衣を睨み返す幼馴染の琴音。
二人は、僕の演奏になんてこれっぽっちも興味はない。ただ、「どちらかが綾人と二人きりになるのを防ぐため」だけに、毎日この空間に居座り、無言で牽制し合っているのだ。
重低音が響く教室は、別の意味でヒリヒリとした重苦しい空気に包まれており、僕は胃の痛みに耐えながら弦を弾くしかなかった。
――その時だった。
ガラッ!!
突然、勢いよく教室のドアが開き、一人の生徒が飛び込んできた。
「あ、あのっ! すみません!」
緊張に全身を固めながら立っていたのは、見慣れない一年生の女子生徒だった。
肩にも届かない短いショートカットに、日に焼けた肌。制服の着こなしもどこか無造作で、一見すると美少年と見間違えそうなほどボーイッシュな出で立ちをしている。
「私を、この部活に入れてください!!」
彼女は勢いよく頭を下げた。結衣と琴音の冷ややかな視線が、一斉にその少女へと突き刺さる。
「……えっと、君は?」
「あっ、申し訳ありません! 私は一年三組の、瀬戸 凛と申します! 先輩の弾くチェロの音がずっと外まで聞こえてきて……その、すごく心臓が震えるくらい綺麗で、ずっと聞いていて、どうしてもこの部活に入りたくて!」
目をキラキラと輝かせ、犬の尻尾をちぎれんばかりに振っているかのような凛の姿に、僕は慌てて首を振った。
「いや、瀬戸さん。ごめんね、ここは部活じゃないんだ。ただ僕が個人的に空き教室で、趣味で練習してるだけで……」
「えっ……独学であの音を!? す、すごいです! 天才じゃないですか!」
凛はさらに身を乗り出し、ズイッと僕に顔を近づけてきた。
「じゃあ、私にチェロを教えてください! 私も、先輩みたいな音が出せるようになりたいんです! お願いします、師匠!」
「し、師匠!?」
戸惑う僕の背後で、結衣と琴音がヒソヒソと囁き合う気配がした。
『……なんだ。ただの音楽バカみたいですね』と、結衣。
『ええ。色気もないし、綾人を男として見てるわけじゃないみたい』と、琴音。
二人の間には、「このボーイッシュな後輩は、恋愛的な脅威にはならない」という奇妙な一致があったようだ。二人は警戒を解き、ふっと興味を失ったように背もたれに寄りかかった。
僕としても、音楽の話ができる相手ができたのは純粋に嬉しかった。何より、凛のそのひたむきで真っ直ぐな瞳に見つめられると、無下には断れなかった。
「わかったよ。僕も教則本で覚えただけの素人だけど、それでいいなら教えるよ」
「本当ですか!? やったぁ!! ありがとうございます、水瀬先輩!」
無邪気に喜ぶ凛を見て、僕も自然と笑顔になった。結衣と琴音も、まあそのくらいならと完全に油断しきっていた。
――しかし。
この時の僕たちは、誰も気づいていなかったのだ。
凛のその「純粋すぎる情熱」と「異常なまでの集中力」が、やがてチェロという『楽器』から、それを奏でる綾人という『人間』そのものへとすり替わっていくことに。
「先輩の音、全部私のものにしたい。……ううん、音を奏でる先輩の全部が、欲しい」
ボーイッシュで無邪気な後輩という仮面の下で、彼女の音楽への狂気にも似た執着が、僕へのどす黒い愛情へと変貌を遂げてしまうことを。
妹、幼馴染をも凌駕する、最凶の「第三のヤンデレ」が、今ここに誕生してしまったのだということを――。
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