明鏡止水
タロットカードの機転によって、絶望的な「四人完全共有エンド」を間一髪で回避した綾人。
しかし、自室のベッドで彼は一つの残酷な真実に気がついていた。
(ハッタリや逃げ隠れで凌げる時期は、もうとっくに過ぎている。……根本だ。俺自身の『根本』を鍛え直さなければ、遠からず俺はあいつらに食い殺される!)
ヤンデレたちの狂気や誘惑にいちいち動揺する自分の精神的な弱さこそが、最大の隙なのだ。
いかなるお色気にも揺らがない鋼の精神と、いざという時に物理的に逃げ切るための体力。
「……明鏡止水。俺に必要なのは、すべての煩悩を断ち切る『無の境地』だ!」
翌日から、綾人は己を鍛え直すための行動に出た。
家から少し離れた三鷹市にある、厳格な指導で知られる剣道道場に入門したのだ。
ただ竹刀を振り回すだけではない。綾人がことさらに没頭したのは、精神の統一と正確な体の動きが求められる『日本剣道形』の稽古だった。
「ヤーッ! トォーッ!!」
静まり返った道場に、木刀が空を切る鋭い音と、綾人の気合が響き渡る。
『形』の動作は、一切の雑念を許さない。指先から足の運びまで、完全に意識をコントロールしなければならないからだ。
(いいぞ……心が澄み渡っていく。結衣の匂いも、琴音の手料理も、凛のフェロモンも、柊先生の圧力も……ここにはない!)
汗が滝のように流れ落ち、道着が重く肌に張り付く。
しかし綾人の心は、かつてないほどの静寂と平穏に包まれていた。神聖な板張りの匂いと、己の呼吸だけが存在する世界。これぞまさしく、彼が求めていた安全地帯だった。
「……ふぅっ」
すべての型を打ち終え、綾人が残心を解いて息を吐き出した、『その時』
「きゃあああっ! お兄ちゃんカッコいいっ!!」
「えっ」
静寂の道場に、黄色い歓声が響き渡った。
振り返ると、道場の入り口に見慣れた四つの影があった。
「あの汗に濡れて張り付いた道着……っ! 筋肉の筋が浮き出てる……! あぁっ、たまらないっ、お兄ちゃんのあの汗を全部舐め取りたいっ♡」
タオルを握りしめた結衣が、顔を真っ赤にしてよだれを垂らしている。
「綾人……なんて凛々しい顔なの……! いつも私に怯えている顔もいいけれど、あんな風に男らしく闘志を燃やす綾人も……っ! ああっ、下腹部が熱い……っ♡」
スポーツドリンク(特製すっぽんマムシエキス原液配合)のボトルを抱えた琴音が、荒い息を吐きながら内股を擦り合わせている。
「センパイ! 私も防具買ってきたッスよ!! さあ、私と一対一の立ち合いをするッス! 私から一本取れたら先輩の勝ち、私が先輩を組み敷けたら……道場の床でそのまま私の勝ちッスよぉぉぉ!!」
なぜか面と小手だけをつけ、下半身は膝上のミニスカという恐ろしくアンバランスで扇情的な格好の凛が、竹刀を振り回して突撃の構えを見せている。
「す、ストップ!! お前ら、なんで三鷹の道場まで……!」
綾人が木刀を構えて後ずさった、その背後から。
「素晴らしい型だったわ、水瀬くん。特に腰の入り方が完璧ね」
「ヒッ!?」
いつの間に背後に回り込んでいたのか。
道場の師範が座る上座のすぐ横に、なぜか道着風のタイトな和装に身を包んだ志乃が、妖艶な笑みを浮かべて正座していた。
「ひ、柊先生!? なんで上座に……!」
「ふふっ。この道場、設備が古くなっていたから、私がポケットマネーで少しばかり『寄付』をして、スポンサーになっておいたの。これでいつでも、水瀬くんの逞しい姿を特等席で指導できるわね♡」
「大人の財力と権力を使うなあああっ!!」
綾人の悲鳴が、道場の高い天井に空しくこだました。
「さあ、お兄ちゃん! 汗かいたでしょ、私が素肌を直接拭いてあげるっ!!」
「綾人、まずは水分補給よ! ほら、口を開けて。私が口移しで飲ませてあげるから!」
「センパイ、覚悟するッス!! 胴ぉぉぉッ!(物理的な抱きつき)」
「水瀬くん、その素晴らしい腰の強さ……今夜の『夜の型の稽古』で存分に見せてもらうわよ♡」
綾人が求めていた「明鏡止水」は、完全に裏目に出てしまった。
ヤンデレたちの狂気から逃れるために見せた『真剣に汗を流す男らしい姿』は、ただでさえ限界を突破していた彼女たちの恋心(と性欲)に、ダイナマイトを投げ込むようなものだったのだ。
「や、やめろ! 道場は神聖な場所だぞ! くっ、型が……俺の型が崩れるぅぅぅっ!!」
前後左右から迫り来る、極上の色気と狂気の四面楚歌。他の弟子達の冷たい視線。
精神と肉体を鍛え直すための神聖な修練の場は、一瞬にして汗とフェロモンと愛欲が飛び交う新たな『ドタバタ修羅場ステージ』へとあっさり姿を変えてしまった。
もはや、どこへ逃げても、何を極めようとも、綾人が彼女たちの網から逃れる術はもう無い。
ヤンデレヒロインたちの綾人貞操争奪戦は、武道すら飛び越えさらに過激にエスカレートしていくのだった。
お読みいただきありがとうございました。
もし「面白かった!」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や、【☆☆☆☆☆】の評価を押して応援していただけると、今後の執筆の何よりの励みになります!
次回もどうぞよろしくお願いいたします。




