ある日の休日
休日の午後。
雲一つない青空の下、綾人は大きなチェロケースを背負って、住宅街の道をホクホク顔で歩いていた。
(ふふっ、今日のレッスンは先生にも褒められたし、なんだか気分がいいな!)
あの進路指導室での「ハルマゲドン未遂」から数日。
あれ以来、結衣たち四人は奇跡的なまでに波風を立てず、綾人の前では「仲の良い女の子たちと、それを見守る優しい先生」という平和な図式を保っていた。
もちろん、それが綾人の「極上スマイル」によって強制的に上書きされた一時的な休戦状態であることなど、鈍感な彼が知る由もない。
(俺の作った『絶対不可侵条約』も完璧に機能してるし、ようやく普通の青春が戻ってきたぞ!)
鼻歌交じりに駅前の大通りへ差し掛かった、**その時だった。**
「あーっ! お兄ちゃん!!」
パタパタと軽やかな足音とともに、フリルのついた可愛らしいオフショルダーのブラウスを着た**結衣**が駆け寄ってきた。
無防備に晒された白い肩と鎖骨が、休日の太陽の下で眩しく光っている。
「ゆ、結衣? なんでこんな隣町の駅に……」
「えへへ、ちょっと遠くのスーパーまで夕飯のお買い物に来てたの。お兄ちゃんと偶然会えるなんて、私たちやっぱり運命の赤い糸で結ばれてるねっ♡」
(……嘘である。結衣は綾人のスマホに仕込んだGPSを10秒に1回リロードしながら、彼がレッスン教室から出てくるのを駅前の電柱の陰で1時間半待ち伏せしていたのだ)
結衣が綾人の右腕にギュッと抱きつき、オフショルの胸元をむにゅっと押し付けようとした瞬間。
「あら、奇遇ね。綾人に……結衣ちゃん」
背後から、ひんやりとした、しかしどこまでも甘い声が響いた。
振り返ると、体にぴったりとフィットした大人びたタイトワンピースを着こなす**琴音**が、優雅な微笑みを浮かべて立っていた。
「琴音!? お前までどうして……」
「来週のテストに向けて、この近くの大きな書店で参考書を探していたのよ。そうしたら、大好きな幼馴染の顔が見えたから……つい声をかけちゃった♡」
(……嘘である。琴音は綾人のチェロケースの裏地に縫い付けた超小型発信機の電波を追いかけ、彼がレッスンを終えるタイミングを見計らってタクシーで先回りしていたのだ)
「橘先輩、奇遇とか笑わせないでくださいッスよ。絶対にストーカーッスよね?」
頭上から降ってきたハスキーな声に、綾人がビクッと肩を揺らす。
見上げると、駅前の歩道橋の階段の手すりに腰掛け、ショートパンツから健康的な太ももを惜しげもなく晒している**凛**が、ペロッと舌を出して笑っていた。
「瀬戸さん!? お前、そんなとこ座ってたら危ないし、下から見え……っ!」
「あはっ♡ 先輩なら見ても減るもんじゃないッスよ。私はチェロの松脂を買いに楽器屋に来たら、偶然先輩の匂いがしたんで飛んできたッス!」
(……嘘である。凛に至っては文明の利器すら使わず、レッスン教室の最寄駅からずっと、路地裏や建物の陰を飛び移りながら、忍者さながらの尾行(物理)を敢行していたのだ)
「こらこら、瀬戸さん。女の子がそんなはしたない格好をしてはいけませんよ」
「「「っ!?」」」
三人の少女の肩が、同時にビクッと跳ね上がる。
カツ、カツ、とヒールの音を響かせて現れたのは、タイトなスキニーデニムに薄手のサマーニットという、大人の色気を隠しきれない私服姿の**柊志乃先生**だった。
「ひ、柊先生!? 先生までどうしてこんなところに……!」
「ふふっ、水瀬くん。休日にまで私の顔を見て怯えなくてもいいのよ。私は教師として、週末に生徒が危ない遊びをしていないか、パトロールをしていただけだから」
(……嘘である。志乃は学校のデータベースから綾人のチェロ教室の住所を割り出し、近隣の防犯カメラの死角を完璧に計算した上で、この『四人が偶然鉢合わせる最悪の交差点』で全員を牽制するためにタイミングを合わせて登場したのだ)
「み、みんな偶然すぎないか……!?」
綾人は冷や汗を流しながら、四人に囲まれていた。
右腕には結衣が。左腕には琴音が。
背中からは歩道橋から降りてきた凛が張り付き、正面には柊先生が甘い吐息がかかる距離で微笑んでいる。
「「「「…………」」」」
綾人を取り囲む四人の視線が、空中で複雑に交差する。
(この泥棒猫たち……休日の完全プライベートな時間にまでお兄ちゃんに群がって……っ!)
(私の綾人の時間を奪う害虫は、ここでまとめて駆除すべきかしら……)
(マジで先生まで出てくるとかウザすぎるッス。バール持ってくればよかったッス)
(小娘どもが……私が大人の余裕で水瀬くんをエスコートしてあげるわ)
バチバチバチッ!! と、致死量の火花と殺気が駅前で弾け飛ぶ。
しかし、綾人の前で「仲の良い関係」を崩すわけにはいかない四人は、ピクピクと頬を引きつらせながら、極上の作り笑いを浮かべた。
「あのさぁ……水瀬くん」志乃が甘い声で口火を切る。「せっかくの休日だし、チェロのレッスンで疲れたでしょう? 先生の車がそこにあるから、美味しいケーキでも食べに連れて行ってあげるわ。……もちろん、**二人きりで**」
「ちょっと待ってください先生! お兄ちゃんは私と一緒に帰って、私が作ったご飯を食べるんですぅ!」
「結衣ちゃん、綾人の健康管理は幼馴染の私の役目よ。綾人、私があなたの部屋でマッサージしてあげるわ」
「抜け駆け禁止ッスよ! 先輩、私と一緒にカラオケの防音室で、チェロじゃなくて私の……」
「わーーーーっ!! ストップストップ!!」
四方向からの猛烈なアピール(と物理的な密着)に、綾人は限界を迎え、両手をパンッと合わせて叫んだ。
「お前ら、本当に仲いいなぁ!!」
「「「「……はい?」」」」
「休日なのに、みんな示し合わせたみたいに同じ場所に集まるなんて、奇跡みたいな『偶然』じゃないか! よし! せっかくみんな揃ったんだ、俺が奢るから、**今から五人で駅前のファミレスに行こうぜ!!**」
綾人は、これ以上ないほど爽やかで、そして**救いようのないほど的外れな極上スマイル**をキメた。
「「「「…………っ(怒りと絶望と発情)」」」」
四人のヤンデレたちは、内心で(なんで私だけを選んでくれないのよ、この鈍物!!)と血涙を流しそうになりながらも、綾人のその無邪気な笑顔を直視してしまい、下腹部の奥をキュンと熱くさせてしまう自分たちに深い敗北感を味わっていた。
「……ええ、そうね。みんなで行きましょうか、ファミレス」
琴音がプルプルと震えながら同意すると、結衣も凛も、そして志乃も、深くため息をついて頷くしかなかった。
「よーし! じゃあ俺、ハンバーグドリアの大盛りな!」
ルンルン気分で歩き出す綾人の背中を追いかけながら、四人のヤンデレヒロインたちは、互いの足をヒールやローファーで密かに蹴り合い、つねり合いながら、血で血を洗うファミレスでの「あーん合戦」に向けて、再び水面下で臨戦態勢に入るのだった。




