仁義なき戦い
「……くっ、ふふっ」
「あははっ……ふふ、あははははっ!」
進路指導室の淀んだ空気を切り裂くように、誰からともなく漏れ出した笑い声が、やがて不気味な合唱となって響き渡った。
「……何がおかしいの?」
志乃は眉をひそめ、冷たく言い放つ。自らの絶大な権力を前に、この小娘たちは屈服するしかないはずだった。
しかし、顔を上げた三人の少女の顔を見て、大人であり、同類の志乃すら背筋に薄ら寒いものが走った。
結衣も、琴音も、凛も。
彼女たちの顔には、恐怖や絶望など微塵もなかった。代わりに、瞳から一切の光を消し去り、口角だけを異常なまでに吊り上げた――背筋が凍るほど美しく、そして完璧に病んだ笑顔が貼り付いていたのだ。
チャキッ、と。
結衣がカッターの刃を引っ込め、クスリと笑う。
「『管理者』? 『おいしいところはいただく』? ……頭、沸いてるんじゃないですか、先生」
「え?」
「私たちがお兄ちゃんを巡って殺し合ってたのはね、『一番』になりたいからじゃないんです。お兄ちゃんの『全部』じゃなきゃ、一ミリの価値もないからですよ。……泥棒猫《く◯やろうに》に首輪をつけられて飼われるくらいなら、お兄ちゃんの四肢を切り落として、私達だけの部屋で一生暮らします」
(そう……もう学校になんて通わせない。先生の権力が及ばない場所に、お兄ちゃんを監禁してしまえば私の勝ちだもの)
結衣の腹の底には、すでに『完全隔離』という凶悪なプランが渦巻いていた。
続いて、琴音が艶やかに、そしてどこまでも毒を含んだ声でクスクスと笑う。
「先生、大人の余裕を気取っているところ悪いんですけれど。……私を甘く見すぎよ」
「なんですって?」
「停学? 退学? ええ、どうぞご勝手に。でもね、その前に、先生が睡眠薬で男子生徒を眠らせ、職権濫用でみだらな行為に及ぼうとしたという事実が、教育委員会とPTA、そしてネットの掲示板に、音声付きで一斉送信されるわ。……社会的に抹殺されるのは、どっちかしらね?」
琴音は自らの制服の胸元をトントンと叩いた。そこには、綾人のカバンに仕掛けたものとは別の、超小型のボイスレコーダーが今この瞬間も作動している。
(学校という社会でしか威張れない哀れな大人。あなたから教師というメッキを剥ぎ取って、二度と綾人に近づけないように潰してあげるわ)
最後に、凛がバールのようなものを肩に担ぎ直し、ケラケラと嘲笑う。
「あーあ、マジで萎えるッス。おばさんの管理下で大人しく順番待ちとか、どこの罰ゲームッスか。……私はね、先輩が嫌がって泣き叫ぼうが、無理やり私で塗り潰して、ぐちゃぐちゃに染め上げたいだけなんスよ」
(学校がダメなら、帰り道で拉致すればいいだけッス。スタンガンもレンタカーも、もう手配済みッスからね。……先輩のはじめては、絶対に私がもらうッス)
三者三様、自らの腹の底に真っ黒な企みを抱えながら、三人のヤンデレヒロインは寸分の狂いもなく声を揃えた。
「「「――そんなふざけた条件、お断り(ッス / よ / です)」」」
一切の妥協を許さない、絶対的な拒絶。
ヤンデレにとって『愛する人』とは、誰かと分け合うケーキではない。自分の命そのものであり、自分の全てを賭けて独占すべき神なのだ。
「……あなたたち」
志乃の顔から、ついに余裕の笑みが消え失せた。銀縁メガネの奥の瞳が、怒りと深い情念でドロドロに濁っていく。
「ふふっ……いいわ。大人しく私の庇護下に入れば、安全に愛せたものを。……教育が足りない不良生徒は、徹底的に指導してあげる」
「やれるもんならやってみなさいよ、行き遅れの変態教師」
「先輩の唇につけたそのキスマークごと、顔面引き裂いてやるッス」
「お兄ちゃんから、汚い手を離して」
眠りこける綾人を中央に挟み、ついに交渉は完全決裂。
『妹』『幼馴染』『後輩』という若さと狂気の最凶タッグ VS 『教師』という権力と狡猾さを持つ大人のヤンデレ。
「ん……むにゃ……みんな、仲良く……して、ね……」
そんな一触即発の地獄の空気を知る由もなく、睡眠薬でスヤスヤと眠る綾人の能天気な寝言が、進路指導室に虚しく響き渡る。
誰一人として引く気のない、綾人の貞操と全存在を懸けた『四つ巴の仁義なきヤンデレ戦争』の火蓋が、今、ここに切って落とされたのだった。
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