不可侵条約制定
その日の夜。
綾人は洗面所に駆け込み、蛇口を全開にして冷水を顔に浴び続けていた。
鏡に映る自分の顔は、目は充血し真っ赤に染まっている。
(結衣のシャツ姿の下からのぞく白い太もも……琴音のブラウスの隙間から見えた谷間……瀬戸さんの背中越しに押し付けられた柔らかい感触……っ!)
フラッシュバックする刺激的な光景の数々に、綾人は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「俺だって健全な男子高校生なんだぞ!? あんなこと毎日毎日され続けて、我慢し続けられるわけないだろ……!」
本当は、押し倒してしまいたい衝動に何度も駆られている。
だが、その衝動の直後には必ず、あの修羅場のカフェで見た『限界まで刃を出したカッター』と『火花を散らすバール』の幻影が脳裏をよぎるのだ。
(誰か一人を選んでみろ……俺か、選ばれたヤツのどっちかが確実にミンチにされる。かといって「三人とも付き合おう!」なんてハーレム宣言をしたら、文字通り俺の体が四等分にされて文字通り『シェア』されて終わる!)
限界を迎えた理性を、命の危機という恐怖で無理やり押さえつける日々。
しかし、このままでは自分の理性が飛ぶのが先か、発狂してしまうのが先か。。
綾人は濡れた顔をタオルで乱暴に拭うと、鏡の中の自分を睨みつけ、一つの決断を下した。
「……こうなったら、ルールを作るしかない。俺が生き残るためのルールを……!」
翌日、放課後の水瀬家のリビング。
綾人は結衣、琴音、そして入り浸っている凛の三人をソファに座らせ、腕を組んで深刻な顔を作っていた。
「三人とも、聞いてくれ。今日は大事な話があるんだ」
「なになに、お兄ちゃん? ついに私と結婚する覚悟が決まった?」
「綾人、婚姻届ならもう私の分はサインしてあるわよ」
「二人とも抜け駆けズルイッス。先輩、まずは私と既成事実から作るッスよね?」
迫ってくる三人に、綾人はバンッ!とテーブルを叩いた。
「違う! 俺は決めたんだ。受験とチェロのコンクールが終わるまで、一切の色恋沙汰は封印すると!!」
「「「……え?」」」
綾人は、事前に用意していたカンペを読み上げるように、一気にまくしたてた。
「俺ももう高校生だ。将来のことを真剣に考えなきゃいけない。でも、最近のみんなとの距離感が近すぎて、気が散って集中できないんだ! だから、ルールを作ろうと思う!」
まず!
1. 半径1メートル以内の無断接近禁止(特に密室)
2. 肌の露出が多い服での徘徊、およびベッドへの潜り込み禁止
3. 食事に怪しい粉やエキス(マカ・すっぽん等)を混入することの禁止
「……俺たちは仲の良い家族であり、親友であり、先輩後輩だっただろ、だからこそ、俺の将来のために、今は少しだけ距離を置いて見守ってほしいんだ……! 頼む!!」
綾人は深く頭を下げた。
(よし! これで「将来のため」という大義名分ができた! これなら角も立たないし、俺の理性も保たれるはずだ!)
リビングは、水を打ったように静まり返った。
綾人が恐る恐る顔を上げると、三人は顔を見合わせていたが……やがて、揃ってフッと微笑んだ。
「……そっか。お兄ちゃん、将来のことそこまで真剣に考えてたんだね」
「ごめんなさい、綾人。私たち、あなたの優しさに甘えすぎて邪魔をしてしまっていたのね。幼馴染として失格だわ」
「先輩がそこまで言うなら、後輩として応援するしかないッスね。コンクール、頑張ってくださいッス」
「みんな……!」
綾人は感動で泣きそうになった。やはり彼女たちは話せばわかる、良い子たちなのだと。
しかし彼女達の綾人に爛れ切った頭脳はこのことをライバルと差をつけるチャンスとしか捉えておらず、いかにそのルールの裏を突くか激しく回転していた。




