リプレイ
「私たちが現実の世界で会えていたら、何をしたい?」
「…え?」
僕は少し困惑した。まるで「叶うはずのない願い」のように聞いてきたからだ。予定を立てたら現実世界のアイにも会えることなど可能だろう?
「会えるでしょ。確かに世界は広いけど、不可能なはずは_」
アイの顔を見た瞬間、言葉が喉で詰まった。笑っているのに、少し悲しい目をしていたからだ。
「…アイ?…君は…現実世界に存在しないの?」
今まで当たり前のように、生きている存在だと思っていた。このリプレイという非現実的な空間に、僕よりも…少しだけ、少しだけ先に彼女も迷い込んだだけなのだと思っていたのに。
『この世界の案内人』彼女と初めて会った時そう言っていたのを思い出した。
「…私はこの世界で生まれたの」
アイがぽつりと打ち明けた。
「…どういうこと?」
「工場のこと、覚えてる?」声は少し暗かった。
「うん」
「……あそこはね、この世界にとっての『ゴミ箱』なの。でも、ただのゴミ箱じゃない。意志を持ったゴミを、二度と戻れない形にすり潰す場所」
アイは自分の細い指を見つめながら、言葉を繋いだ。
「このリプレイという世界は、現実世界で発生した誤りを削除するために作られたものなの」
「邪魔なものを取り除き続けなきゃいけない。計算に合わない感情、最適を裏切る行動、そして……この現実世界の『正解』から外れてしまった、不適切なデータたち」
僕は、ショッピングモールで見た、消えていった選択肢を思い出した。
「あの工場に吸い込まれていく光の正体は、そういう『選ばれなかった欠片』なの。誰かが抱いた小さな迷いや、誰かが選ばなかった別の未来。……そういうのを壊している場所」
「…どうしてそんなシステムが?」
「完璧であるため」
「え?」
「人類は新しい知識を得るたびに問題が現れていた。村をまとめる王が生まれると、権力争いや、他の地方との戦争、文明が発達するとそれらを解決する強い武器。それらは必ず誰かが傷つく未来にしか進まない」
「もし、人々が寄り添い、高め合い、みんなが幸せになる道があるなら…。その答えが全員が最適な人間になるということ。」
僕は黙ることしかできなかった。全て間違っているというふうに聞き取れないからだ。確かに人は力を持ったり、他の人より優位な位置に立つと天狗になるとよく言う。
欲深くなったり、支持者を増やそうとしたり。外交なんて論理で決着がつかなければ武力行使になんてこともあり得ることだ。けど…
「間違わない完璧な人間を、感情の消えた人間を、そんなのを人間って呼べるのかな」
「…めぐる」
それはこの世界で一番人間らしさを持った少年の言葉だった。
アイは目を見開いたまま、僕の横顔をじっと見つめている。その瞳には、驚きと、それ以上の「救い」のような色が浮かんでいた。
「……めぐる。あなたは、本当に不適切な人だね」
アイは自嘲気味に笑い、けれどその手は僕の服の袖をぎゅっと掴んだ。
「最適解を選ばない。効率も考えない。……でも、そんなあなたの言葉が、今の私にはどんなプログラムの答えよりも温かく感じるの」
「アイ……」
「ねえ、めぐる。さっき『現実で会いたい』って言ったこと、忘れて。……私はこの世界のシステムの一部。外には出られない。でもね、一つだけ、システムが計算できなかったことがあるの」
アイは僕の目をまっすぐに見つめ返し、一歩、距離を詰めた。
彼女の体温が、デジタルな仮想空間のはずなのに、確かな熱を持って伝わってくる。
「私の中に生まれた、この『苦しさ』。……あなたが傷つくと胸が痛んで、あなたが笑うと世界が明るく見える。これはきっと、工場で燃やされるはずの『不純な感情』。……でも、私はこれを捨てたくない。消されるその瞬間まで、ずっと持っていたいの」
「……消させないよ」
僕はアイの両肩を掴み、自分でも驚くほど強い声を出した。
「アイが不純だって言うなら、僕も不純だ。僕はアイをゴミ箱になんて行かせない。……完璧じゃなくていい。間違ってもいい。僕は、笑ったり泣いたりするアイと一緒にいたいんだ」
アイの瞳から、一筋の光がこぼれ落ちた。
それは涙の形をしたデータだったのかもしれない。けれど、僕の指先に触れたその感触は、間違いなく本物の少女の涙だった。
「……ありがとう、めぐる」
アイは僕の胸に顔を埋めた。
遠くで鳴り響く工場の駆動音が、まるで二人を急かすように大きくなる。
システムの監視、削除の足音、完璧な世界の圧力。
それらすべてを拒絶するように、僕はアイを強く抱きしめた。
「約束して、めぐる。何が起きても、私の手を離さないで」
「ああ、約束だ。……絶対に、離さない」
オレンジ色の夕闇が、二人を飲み込んでいく。
壊れた時計台の針は止まったままだ。けれど、僕たちの時間は、システムの管理を離れて、確かに動き始めていた。
リプレイという仕組みや現実世界で起こっている現象を理解した僕は何かそれを解決しようとするわけでもなく、いつも通り過ごしていた。
時刻2030年の8月17日、深夜4:00




