表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『リプレイ・コード ―千年の記憶を、君の手首に結ぶまで―』  作者: Camelia
正解の檻にいる、正解のない君へ
4/15

日常の違和感

その日僕はアイに街にあるものをたくさん紹介してもらった。

どれくらい時間が経ったのだろうか。

「――そろそろ、お開きの時間かな」

アイが名残惜しそうに、けれど穏やかに呟いた。

運河を照らす夕日が、彼女の水色の髪を透き通るような琥珀色に染めている。

「えっ、もう……?」

「ふふ、そんな顔しないで。ここは逃げないから。……また、いつでもおいで。約束だよ、めぐる」

アイのその言葉が、遠くで鳴る鐘の音に溶けていく。

視界が急激に白く濁り、心地よい風の感触が、清潔なリネンの香りと、硬いベッドの感触に置き換わっていった。

「…………ん」

ゆっくりと目を開ける。

天井には、蓮さんのマンションの、隙一つない白い壁。僕は時計を見た。…8月11日の朝7:00。ここにきてからざっと8時間程度しか経っていない。

夢だったのだろうか。けれど、体は不思議と軽い。数年分の疲れが取れたような、奇妙な全能感さえあった。

パチリ、と微かな音を立ててドアが開く。

「……起きたかい、少年」

ドアの隙間から覗いたのは、すでに完璧に身支度を整えた蓮さんの姿だった。

寝起きの僕を見下ろす彼の瞳には、相変わらず感情の起伏が見えない。

「蓮さん……おはようございます」

「ああ。リビングに朝食を置いてある。適当に食べてくれ。俺はこれから仕事だ」

蓮さんは時計を一度だけ確認すると、玄関に向かいながら思い出したように足を止めた。

キッチンカウンターには、トーストとサラダ、そして一枚の封筒が置かれていた。

「当面の小遣いだ。服でも何でも、必要なものは自分で揃えて」

「えっ、あ、ありがとうございます……って、うわ」

封筒の中を覗き見て、僕は言葉を失った。

そこには、高校生が一度も手にしたことのないような、厚みのある札束が入っていた。

「あの、蓮さん。これ、多すぎませんか……?」

「……俺にとっては、効率的な投資の範囲内だ。気にするな。……ああ、それと」

蓮さんは玄関のドアノブに手をかけ、背中越しに冷ややかに言った。

「俺の書斎――あの突き当たりの部屋にだけは、絶対に入るな。それ以外なら、どこを歩こうが自由だ」

バタン、という重厚な音が響き、家の中に静寂が戻った。

僕は一人、広すぎるリビングで朝食を食べていた。

『――続いて、地域ニュースです。女子高校生の行方不明事件から、ちょうど十年となりました。事件発生当時、女性は通学路から忽然と姿を消しました。

警察は未だ、容疑者の特定に至っておりません。当時、現場周辺で目撃された不審な黒い車の存在が――』

テレビからニュースが流れてきた。特に興味はないが、情報収集はしたほうがいいと思い、最近のニュースを見る。

テレビを見ながら、パサパサのトースターを食べる。

……あんなに甘かったリンゴ飴が、嘘みたいに思い出せない。



一時間後。僕は蓮さんに借りた服を着て、外の街へと繰り出した。

眩しい太陽の下で見ても、やはりこの街は綺麗すぎた。

路上のゴミ一つなく、人々は等間隔で歩いている。

(まずは、服……。それから、少し街を歩いてみたい)

目的地を決めようとしたが、地図アプリの使い方も思い出せない。

僕は意を決して、向こうから歩いてくるビジネスマン風の男性に声をかけた。

「あの、すみません。大きなショッピングモールへ行きたいんですけど、どっちの方角ですか?」

「…………」

男性が足を止める。

その瞬間だった。

僕の視界が、一瞬だけ青白くノイズを走らせた。

男性の顔のすぐ横に、半透明のホログラムのようなウィンドウが浮かび上がったのだ。


[ 対象:不特定市民 ]

[ 思考選択肢(Options) ]

A:無視して通り過ぎる

B:忙しいと断る

C:目的地を詳しく教える

D:警察に通報する


「えっ……?」

僕は思わず後ずさった。

けれど、男性は気づいていない。無表情なまま、宙を見つめている。

次の瞬間、ウィンドウの中で A、B、D の選択肢が、まるで消しゴムで消されたようにスッと消滅した。

残ったのは、『 C:目的地を詳しく教える 』 という一行だけ。

「……はい。この道を真っ直ぐ行って、二つ目の交差点を左です。徒歩六分で到着します。それが最も効率的なルートです」

男性は、何事もなかったかのように流暢に答え、軽く会釈をして歩き出した。

まるで、最初から「教える」という答えしか持っていなかったかのように。

「…………なに、いまの」

僕は自分の目元を拭った。

浮かび上がったウィンドウ。消された選択肢。

それは、リプレイの世界で見た「工場」へ吸い込まれていくデータの流れと、どこか似ている気がした。

誰も気づいていない。

誰も疑っていない。

「……アイ」僕はなぜか彼女の名前を呼んでいた。

ショッピングモールの自動ドアを抜けると、むっとするような熱気と、完璧に管理された空調の涼しさが混ざり合った。

ふと、エスカレーターの脇に貼られた一枚のポスターが目に留まる。

そこには、夜空を彩る大輪の花火と、『伝統文化保存行事・夏季親睦会』という硬い文字が並んでいた。

「……これ、何だろう」

通りがかった案内係の女性に、僕はポスターを指さして尋ねた。

「これは『夏祭り』を模した地域交流会です。参加者はあらかじめ指定されたタイムスケジュールに従い、推奨されたルートで屋台を巡ることが義務付けられています。最も効率的に親睦を深められるよう、会話のトピックもアプリで配布されますよ」

女性はマニュアル通りの完璧な笑顔で答えた。

……義務。推奨。効率。

ポスターに描かれた花火はあんなに鮮やかなのに、説明を聞くほどに、それは味気ない「作業」のように思えてくる。

(アイなら、もっと違う教え方をしてくれるかな)

僕は買い物を早々に切り上げ、逃げるように蓮さんのマンションへ戻った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ