めぐるの正体
8月17日
僕はキッチンに立ち、震える手で料理を作っていた。
メニューは、あの時蓮さんが「美味しい」と言ってくれたトマトパスタ。
そのソースの中に、僕は細かく砕いた催眠薬を混ぜ込んだ。
「少年、いい匂いだな。今日は豪華じゃないか」
書斎から出てきた蓮さんは、心なしか疲弊していた。
アイの消去プログラム……その最終調整に、彼は心身を削っているのだ。
「……お礼です。いつも、お世話になっているので」
僕は表情を殺し、皿をテーブルに置いた。
蓮さんは「いただきます」と短く言い、フォークを手にする。
一口、二口。
彼がパスタを口に運ぶたび、僕の心臓は激しく警鐘を鳴らす。
やがて、半分ほど食べたところで、蓮さんの動きが目に見えて鈍くなった。
「……なんだか、今日は……ひどく、眠いな……」
ガタン、とフォークが皿に落ちる。
蓮さんは頭を振って抗おうとしたが、強力な薬の作用には勝てなかった。
「……少年……お前……何を……」
微かな掠れ声を最後に、蓮さんはテーブルに突っ伏し、深い眠りに落ちた。
「……すみません、蓮さん。でも、これしか方法がなかったんだ」
僕は寝室から毛布を持ってきて、眠る彼に掛けた。
そして、今度こそ迷わずに書斎のドアを開けた。
光り輝くモニター。
そこには、かつて僕の心を壊した「アンインストール:86%」の文字。
僕はキーボードを叩き、そのプロセスを強制停止させた。
そして、時計台の管理権限を僕のデバイスへと転送する。
「……よし。待ってて、アイ」
リプレイへと飛び込んだ僕は、一直線にあの時計台へと走った。
「プロセス停止」は成功している。アイは、そこにいた。
ノイズ一つない、確かな実体。
「アイ!」成功という嬉しさにすぐに彼女のそばに行く。
「…めぐる?」
けれど、彼女は安堵する僕を見て、信じられないものを見るような目で呟いた。
「……どうして? どうして私は、まだ消えていないの?」
その言葉に、冷たい違和感が背筋を走った。
「消えていない」ことを、なぜ彼女は驚くのか。まるで、自分が消えることを「当然の予定」として受け入れていたかのように。
「アイ……君は、何を知っているんだ? 君は一体、何者なんだ!」
僕の問いに、アイは悲しげに瞳を伏せた。そして、震える声で語り始めた。この偽りの世界の、あまりにも切実な成り立ちを。
「……私はね、めぐる。かつて現実世界で、日比野 蓮が愛した恋人だったの」
「………え?どういうこと?」
かつての現実世界。高校時代の蓮さんには、月白アイという恋人がいた。けれど、凄惨な交通事故が彼女の命を奪った。
「人間の不適切な行動」が招いた不条理な死。
(そういえば蓮さんの家に女性の写真が置かれてて…つまり、あれがアイ)
絶望した蓮は、二度と間違いの起きない「正解だけの世界」を作ることを誓い、この『リプレイ』を構築した。
「彼は、もう一度私と話したくて、私をこの世界に再現した。感情も、記憶も……あの時の私のまま。私たちは、モニター越しに毎日話したわ。それは彼にとって、唯一の救いだったはずよ」
けれど、完璧な世界を目指した蓮は、ある日気づいてしまった。「正解しかない世界」こそが、最大の間違いであることに。
システムを壊さなければならない。しかし、それは仮想空間に生きる「アイ」を、自分の手で殺すことを意味していた。
「彼は私に言ったわ。『君を消さなければならない』って。私は、いいよって答えた。ただ、システムのエラーを避けるために、先に私だけを消去してほしいと頼んだの。……それが、あの17日の予定だった」
アイの話は、さらに信じられない事実へと踏み込んでいく。
「私を消した後、蓮くんは、私を救うために最後の賭けに出た。過去に戻り、事故そのものをなかったことにすればいい。と」
「待ってよ。君はその時すでに消えているだろう?何故そんなことまで」
「リプレイの管理人でもあった私は、システム自体の記憶も持っていたのよ」
わからなくなった。僕は頑張って整理しようとしたけど難しすぎた。
そんな僕を見ながらアイは続けた
「蓮くんはそのために時計台にタイムトラベルの機能を組み込んだの。けれど、創設者である今の彼は、システムに「最適」と見なされすぎていて、過去という「不確定要素」へは干渉できなかったの」
「……だから彼は、まだ正解だけを求めていなかった『高校時代の自分』をリプレイに生成した」
「……それが、あなた。めぐる、あなたは日比野 蓮の……失われた過去の姿なのよ」




