決意
「あなたは日比野 蓮の……失われた過去の姿なのよ」
衝撃で目の前が暗転しそうになる。
僕が、あの蓮さん本人……?
アイ曰く、僕は「リプレイと現実を行き来でき、過去の歴史を変えるため、未来の自分によって作り出された存在」らしい。
けれど、生成された「僕」は、蓮さんの計算を超えて豊かな感情を持ってしまった。おそらく、完璧な自分を作ってしまうとリプレイが受け入れられないのだろう。不適切さを含んだ蓮を作らなければならなかったのだ。
それがバグとなり、戻るべき時間を誤って高校時代ではなく、8月10日に定着してしまったのだ。
これまでの流れを説明されたが、僕は一つ疑問を持った。
「……アイ、君はどうしてそんなことを知っているんだ? ループすれば、記憶は消えるはずなのに」
「…私もバグだからよ」
「……え?」
「一度死んでしまった人間が、それまでの記憶を継承し、データではあるものの感情を持って蘇ることは、理に反するの」
「……めぐる、あなたは気づいていないけれど、このループは何年も、何十年も……いえ、何千年も繰り返されているの」
アイの瞳から、涙がこぼれ落ちた。
「あなたが目を覚ますたびに、私は『初めまして』のふりをしてあなたを迎えた。あなたが前回のループで『屋台があったらいいな』と言えば、次のループではお祭りを用意した。あなたが笑ってくれるなら、私は何度でも、消えゆく運命を繰り返すと決めていたの」
気が遠くなるような永い時間。
アイは一人で、何千回もの別れと再会を記憶し続け、僕が「正解」を見つけるのを待ち続けていたのだ。
(何故何も言わなかった?アイは僕に未来を変えてほしいと真実を伝えることもできたはずだ。何千年も苦しむことはなかったはずだ)
目の前にいる彼女は、ただの案内人ではない。
何世紀分もの僕への愛を抱えたまま、時間を彷徨い続けてきた一人の女性だった。
「ごめんね、めぐる。……でも、今回は違う。あなたがシステムを止めたせいで、初めて『予定』が変わってしまった」
時計台の秒針が、今まで聞いたこともないような激しい音を立て始めた。
アイの告白を聞き終えた僕の耳に、時計台の不規則な駆動音が響く。
現実世界で蓮さんが眠っている間だけ許された、かりそめの停滞。彼が目を覚ませば、システムは再び「正解」を求めて動き出し、アイを消去の濁流へと飲み込むだろう。
「どうしたら!?どうしたらいい?一番の最適解はなんだ?」
焦った。これから起こる展開など、想像がつかない。一度歴史を変えてしまった以上。もっと最悪な展開が起こる可能性すらある。
頑張って考えているめぐるの横で、アイは冷静に答えを出した。
「……めぐる。やっぱり、当初の予定通りに進めるのが一番いいのかもしれない」
アイが、透き通るような声で寂しそうに微笑む。
「蓮くんが望んでいた作戦を、あなたが実行して。……あなたが高校時代に戻って、事故を未然に防いで。そうすれば、現実の私は死なずに済む。彼も救われるわ」
「そんなこと、できるわけないだろ!!」
僕は、自分でも驚くほどの怒声を上げた。
自分自身のオリジナルである「蓮」への反発ではない。目の前で、何千年もの孤独を背負い、僕を愛し続けてくれた「このアイ」を否定することが、どうしても許せなかった。
「現実のアイが助かれば、それでいいのか? 君がここで積み重ねてきた数えきれないほどの時間や、僕にくれたその笑顔は、なかったことになるのか? ……そんなの、ちっとも正解じゃない!」
「でも、私はデータなのよ……? 現実には存在できない、ただの影なの」
「関係ない! 僕が恋をしたのは、リプレイの案内人である……君なんだ!」
僕は叫び、縋るように自分の左腕を見た。
そこには、現実世界へ唯一持ち越すことができた「不完全な証拠」――ミサンガがある。
(……なぜだ? なぜ、これだけが境界線を越えられたんだ?)
考えて、考えて、脳が焼き切れるほど思考を巡らせた。
蓮さんは天才だ。リプレイを完璧にするために、アイのすべてをここに再現した。
肉体、声、性格……そして、彼女が死んだという「事実」さえも共有させた上で、新しい命を吹き込んだ。
その時、雷に打たれたような閃光が脳裏を走った。
「……これだ。これしかない」
僕はアイの両肩を掴み、真っ直ぐに彼女の瞳を射抜いた。
「アイ。君の記憶を……この、何千年分ものループの記憶を、僕が現実の『あの日』の君に届ける」
「えっ……?」
「このミサンガが現実と仮想を繋ぐ鍵なら、これに君の全データを焼き付けて、僕が事故の直前の過去へ持ち込むんだ。
現実のアイが、これから起こる『死』という未来を知ってしまえば……彼女は、君自身の意志で、その運命を回避し始めるはずだ!」
リプレイのアイは、自分が死ぬ運命にあることを理解している。
その「未来の記憶」を、まだ何も知らない過去のアイにインストールする。
それは、システムによる最適化ではなく、アイ自身の手による「運命の上書き」だ。
「チャンスは、一度きりだ。……僕が高校時代へタイムスリップするその瞬間に、君の意識を僕の記憶に同期させる。……怖い?」
アイの顔は少し緊張しているように見えた。これから起こることがわからないという感覚はアイにとっては久しぶりだからだろう。
(そうか、アイは何回もループすることを悲しいと思う半分、終わってほしくないと思っていたのか。だから未来の話をしなかった)
アイは、少しだけ目を見開いたあと、僕の手首にあるミサンガにそっと自分の手を重ねた。
彼女の指先から、眩いほどの青い光が溢れ出す。
「……ううん。あなたとなら、怖くない。……私を連れて行って、めぐる。新しい、私たちの『正解』へ」
時計台が激しく脈動し、世界が崩壊の白光に包まれ始める。
僕はアイを強く抱きしめた。
これから向かうのは、蓮さんが望んだ「間違いのない世界」ではない。
泥臭くて、不確かな、けれど僕たちが僕たちとして生きるための――たった一つの「今」だ。
「――再構築を開始します。時間帯を変更――」
僕は時計台のレバーを引き抜き、光の渦の中へと、アイと共に身を投げ出した。
視界が焼き切れるような白光のあと、頬を打ったのは、あの「制御された雨」ではない、生ぬるい夏の湿った風だった。
セミの鳴き声が、鼓膜を劈くように響く。
「……ここ、は……」
僕は、夕暮れ時の通学路に立っていた。
アスファルトの熱気、排気ガスの匂い。リプレイのような美しさはないけれど、ひどく生々しい「現実」。
(僕は今ちゃんと過去にいるのか?)
左腕のミサンガは、アイの全記憶を飲み込んだまま、静かに熱を帯びている。
(おそらく、ここはアイがまだ生きている時代。蓮さんとアイは高校生だろう)
僕は人混みに紛れながら、通学路の角で立ち止まった。
前方から、楽しげな声が聞こえてくる。
長く整った髪、透き通るような笑顔の少女と、制服を無造作に着た、少し目つきの鋭い少年。
僕は直感的にわかった。アイと蓮さんだ。
(生きてる…。ていうか蓮さん僕とそっくり……)
当然である。大人の蓮さんは高校生時代の自分を作ったのだから。
それが今のめぐるである。
そして、その作られた少年は、これから自分の未来を上書きしようとしているのだ。




