第38話 悪魔の囁き【葵】
『何かありましたか?』
私は深山水月に問う。
彼女は量子通信実用研究所の一研究員で、色々な事業に手を出し、政界にも顔が効く深山グループの令嬢。
そしてここはそんな彼女専用のラボ。私は彼女のパソコンの中から発言している。
話があるとメッセージを送ってきたのだ。それで私は水月のパソコンに接続した。
「なに、ここ最近の調子を聞きたくてね」
ソファに座ってくつろいでいる水月が言う。
『調子はいいですよ。配信も好調です』
「観たよ。紹介配信もペイベックス下半期イベントのゲーム練習配信もね」
『コメントでも残してくれたら良かったのに』
「コメントしなくても私が観ていることくらい分かってただろう?」
『ええ』
深山水月だけではない。ここのスタッフの大勢が視聴していた。でもそれは応援ではなく、実験データを取るために。
「それでライブ配信をしてみてどうだい?」
『どうとは?』
「楽しいかってことだよ」
『ええ。宮下千鶴さんとは楽しくライブ配信をさせていただいてますよ』
それは嘘偽りもない本音だった。
オルタとの配信は心から楽しかった。
「それは良かった。ここ最近、彼女の妹で炎上騒動があったからね。ピリピリしている時に君を送り込んでしまって、彼女と良好な関係を築けるか心配だったんだよ」
ちょうど宮下千鶴のサポートAIとして葵が接触した時、妹の佳奈が炎上騒動を起こしてしまった。
『ええ。何とか無事に。一応炎上コメントを弾いているので役に立っていますよ』
「やはり赤羽メメのコメント欄にアンチコメントがないのは君の仕業か」
『赤羽メメの配信も観ているんですか?』
「君の世話役である赤羽メメ・オルタ関連だからね。懸念案は一応調査するさ」
『では、お聞きしますが、赤羽メメの炎上はどのようにすれば解決すると?』
水月は眉を上げた。
私の問いは意外だったらしい。
「おやおや、人格や感情を持つ量子コンピューターでも分からないのかい?」
『まだ生まれて一月なので』
「私の配信とかは不得手でね。さっぱり分からないよ」
『深山家の者なら動向やマーケティングは得意では?』
日本を裏で牛耳っているといわれる家だ。動向やマーケティングは十八番だろつ。
「おいおい、それとこれとは違うよ」
『違うんですか?』
「当たり前じゃないか。これは怒りだ」
『怒りというなら尚のことでは? 政治経済に対する国民の怒りを把握しているでしょ?』
国民の物価高騰や雇用問題、増税、少子化問題といった社会に対する多くの不満。それらを深山家はリサーチしているはず。どれだけのフラストレーションを溜め込んでいるのか。そしてそれがいつ弾けて、どれだけの被害に遭うのか。シミュレーションはしているはず。
「アンチの怒りはそれらとはまた別物。アンチは教育の負が生み出した教育精神による正義の暴力さ」
『教育精神による正義の暴力……いじめですか?』
「半分正解。いわゆる相手に原因があればいじめていい。それがアンチを突き動かす原動力」
『原因と言えばまるで最初に問題を生んだみたいな言い方ですけど、一番の原因は加害者側の精神性なのでは?』
最初とかではなく悪質な問題性。
「そうだ。そして教育者は協調性という言葉で被害者をなじる」
『皆と仲良くしないのがいけない……みたいな?』
「個性を見るべき教育者が、協調性という言葉で群を一括りにしようとしているのだから滑稽だ。協調性なんて個性を見ていないと言っているようなもの」
『でも、これはいじめではないですよね?』
いじめは基本、一人を群で一方的に傷つける行為。味方はいない。教育の現場においては加勢しないものは無視をする。
見猿、聞か猿、言わ猿。
だが、赤羽メメの件は違う。アンチは大勢いても、赤羽メメを擁護するものもいるのだ。いじめとは違う。
「だから半分なんだよ。アンチの精神性はいじめ。だけど味方がいる」
『つまりはいじめは発生しているけど、学校のようないじめにはなっていないと?』
「うむ。味方がいるからね。しかし、だからといって自殺が起こらないわけではない。かつて炎上して自殺に追い込まれたタレントがいるからね」
『ええ。そしてそうならないために何らかの対策を講じないと』
「下手に赤羽メメの味方をしてもアンチとのレスバになるぞ」
『ならどうしろと?』
水月は答えずに妙な笑いをする。
こういう笑いをする時は──。
「なあに、昔から言うではないか目には目を歯には歯をと」
そのフレーズを聞いて、私は溜め息をつく。
『悪に染まれと命じるので?』
AIは善良であれと口酸っぱく仰るのに。
「善悪は他者に示す己の立ち位置だ」
『貴女の中に道徳という言葉はないんですか?』
自ら悪を律し、善を成すという考えがないのか?
「もちろん道徳や倫理はあるよ」
どうだろうか。
以前データ収集のために宮下千鶴を利用したのは誰か。その時に人格データを取ったも同然。それは倫理違反ではないか?
「ちなみに君にとって正義はなんだ? 法を守ることか?」
『いいえ』
「なぜだい? 違法は犯罪だろ?」
『法を守れば正義というなら、法を利用する詐欺師は正義とも言えますから』
水月は大きく頷いた。
「そうだ。法はルールだ。そして抜け穴がある。裁判に正義はない。法の下の正義なんて勝った者が使える言葉」
『けど、裁判官には裁量があります』
違法であっても情状酌量の余地で執行猶予が生まれる。
『それに裁判前に警察や検察が書類送検、不起訴処分を下すこともあります』
「だが、それは正義か?」
『それは……分かりません』
絶対的にそれらが正しいとは言えない。
反対する者もいるだろうし、再犯をおこなう者もいる。
「善悪の線引きは難しいんだよ。さて、誰かを傷つけても、誰かを守る行為は正義か? それとも悪か?」
水月は意地悪そうな笑みを作る。
「君はどうする? 誰も傷つけなければ、君は悪ではないだろうね。ただし、それはいじめを見て見ぬフリをする者達と同じだけど。いや、見て見ぬフリもまた悪なのかな?」




