遅過ぎるということはない
壊れてしまえばいい。そう思った。
だから。
だけど。
でも。
二人の関係を壊した嬉しさは、時が経てば経つほどに、罪悪感と後悔に変わっていった。
あんなこと、しなければよかった、と。
しでかしの露呈が怖い。
軽蔑の目で見られることが怖い。
悪事はいつか必ず白日の下にさらされる、と言いますからねえ──ニュースで報道された政治家の汚職事件。それについてのニュースキャスターのコメントは、凛恋の感想と同じだった。
天知る、地知る、我知る、人知る。
その『いつか』はいつなのか。それとも、もう……?
ああ、もういっそのこと、
「涼ちゃん、もうちょっとあっち行って! ……もっと。……え? もー! 怒るよ? ……じゃあ、後ろ向いて!」
隣の幸が前を指差しながら言う。
二回目の強調された「う、し、ろ」の言葉に、腕を組んだままこちらを睨んでいた國光涼が不満そうに背中を見せる。
その後ろ姿は、表情が分かるはずもないのに想像に難くない雰囲気を醸している。
普段の彼と違う。と、いっても凛恋は語れるほど國光 涼という男を知らないのだが、過去に恋をしていた凛恋の知る彼とは別人だ。
殺気放つ後ろ姿は、物騒で怖い。
「凛恋ちゃん、ごめんね。出てくる時に見つかっちゃって……」
「そういう『うちの亭主がごめんなさいね』ってやつは、いいから。本題に入って」
謝ろうとしたのに。
放たれた言葉は煽り文言甚だしい『喧嘩上等』だった。
しまった、と思った。
でも、もう凛恋の性格の悪さはバレているのだ。
誤魔化しは意味がないし、ここで「私こそごめんね……!」なんて言って涙を流し握手で仲直りなんていう綺麗な友情ごっこは御免被りたい。
そんなのは今更だ。
そもそも、幸が謝る必要はない。
謝らなければいけないのは、どう考えても凛恋だ。
それに凛恋は二人に頭を下げるつもりでこの場──夏祭り会場だった神社に来た。
炎天下の下。根絶やしを願って止まない耳障りな蝉が五月蝿い神社には、昨日の祭りの名残はすでに無い。
そんな不快度指数マックスの中、凛恋の言葉に目を丸くした幸が口を開く。
「亭主だなんて……」
えへへ、と照れ笑いする幸に「はあ?」と大きな声で返した凛恋は悪くない。そのせいで涼が振り返りそうになってしまったけれど、頓珍漢なことを言う幸が悪いに決まってる。
何だって、この子は毎回空気を変えるのか……学生時代にも、険悪な雰囲気だった友人達の空気をぶっ壊し意図せず仲介していた。
しかし。その当時から、そんな幸を眩しそうに見つめる涼だ、絶賛後方亭主面中だし、『亭主』と言って差し支えないのかも知れない。
「はあ……もう、なんか悩んでたあたしって馬鹿みたい。もっと早く楽になっとけばよかった」
眉間に寄る皺を伸ばし、溜め息を吐く。
これは呆れが半分。残りの半分は、『安堵』だ。
彼女の目に嫌悪の色が無かったことに、凛恋は安堵している。
「……あたし、ずっと後悔してた。……嘘吐いて、ごめん。國光君と付き合ってるなんて大嘘言って、ごめん。國光君が嫌いって言ってたって嘘吐いて、ごめんなさい。幸が同窓会に来なかったのも、来れなかったからでしょ? 謝って許してもらおうなんて図々しいこと言わない。だから、って訳でもないけど同級生の皆にも、あたしのしでかしたことを言ってもいいし、酷い奴だって詰ってもいい。……今、思ってること言って」
ミンミン五月蝿い蝉が鳴いていてとてつもなく暑いはずの神社なのに、今の凛恋にはそう感じられなかった。
「一つ、確認したいことがあるんだけど聞いてもいい?」
「……うん」
気分は死刑判決を待つ囚人だった。
……だって、凛恋が同じことをされたら恨む。
恨んで、仕返しして、後悔させて、懺悔させて、そして尚も許さない、赦さない。
「嘘って、凛恋ちゃんが私のこと大嫌いって言ったのも嘘だったりしない?」
後に振り返って、この時。この瞬間。ぽかん、って音がよく似合っている顔をしていただろうと凛恋は語る……それほどまでの、ぽかん顔だった。
「あのね、さっちゃん? よく聞いてね? あたしは、國光君が嫌いって言ったのが嘘って言ったの」
凛恋の心境は、出来の悪い生徒に教える教師である。
「あ、うん。それは、あの、分かった……けど、それとは別の話で、凛恋ちゃんが、私のこと嫌いって言ったのも嘘だったらいいなあって、思ったんだけど……どう、かな?」
私は、凛恋ちゃんのこと好きだよ。これからも友達でいて欲しい。と幸は続けて言った。
「馬鹿、あほ、ドジ、間抜け、お人好し!」
「うう、耳が痛いです……」
「……あたし、また嘘吐いて、國光君のこと盗っちゃうかもよ? それでもいいの?」
盗っちゃうよ、なんて大きく出たものだ。
相手にされないことが目に見えてるのに。
「うん、今度はちゃんと確認するから大丈夫」
……この即答である。
全く、この子は学生時代から少しも変わらない。
「さっちゃんって、怒ったことあるの?」
「え、あるよ?」
何言ってるの? みたいな顔をしないでほしい。
その顔をしていいのは凛恋の方である。
でも降参しよう。凛恋は負けた。
「……うん。全部、嘘。あたしはさっちゃんのこと嫌いじゃない。……嘘吐いてごめんね」
「よかった。……ありがとう、凛恋ちゃん」
ありがとう、なんて。
だから、それは凛恋の台詞だというのに。
仲直りだね、なんて子供みたいなことを言って笑う幸を見て凛恋も笑った。
ハナから八つ当たりだった。
二年半交際していた男が後輩に寝取られた。……その後輩が幸に似ていたことが原因だ。
いや、後輩は養殖なので幸とは違うのだが、姿が重なって、カッとなって押してしまった。
……幸が無事で良かった。本当に。
こんな簡単に赦されていいわけがない。
だから、彼の視線は当然のものだ。
はあ、と大きく息を吐いてその視線を受け止める。
そうだ、凛恋も現実を受け止めよう。
後輩にはいずれ自分のしたことが返ってくるだろう。
元恋人の男も同じことを繰り返して、いずれ独りになる。
そして、誰にもその間違いを指摘されないまま、最後になって知ることになるのだ。己の愚かさを。
あんな奴らと縁を切れて良かったと思おう。
もう少しだけ少し落ち込んで、ほんのちょっぴり泣いたら、切り替えて前を向こう。
大丈夫。
同じ失敗はしない。
凛恋は新しい自分になることを誓い、自分に猜疑を向けている男に頭を下げた。
「俺は花崎のこと許してないし、信用もしてないから。そこんとこ忘れんなよ」
「うん。分かってる。もう邪魔しようなんてしないし、さっちゃんに振られたと思って荒んでた時の國光君の女性遍歴も言ったりしない。だから安心してね」
「……」
It is never too late to be what you might have been.




