047:アカシア違い
中鉢野乃花の中で蜂蜜の”アカシア”と言えば、それは”ハリエンジュ”のことだった。白い小さな花が可愛い春の花である。またの名を”ニセアカシア”。
日本ではこの”ハリエンジュ“または”ニセアカシア”から採れる蜜を一般的に”アカシア蜜”と称していた。
ハリエンジュが海外から導入される際に、アカシアという名称が使われたからであるが、後から本当のアカシアがやってきた。
それが、遥がデザインに取り入れた小さな黄色の花が連なる植物だ。“ミモザ”と言った方が分かり易いかもしれない。この日本人にはミモザとしてよく知られている植物こそ、本来のアカシアであり、“ミモザ”はまた別のオジギソウという植物を指す名前である。
それで野乃花は首を傾げたのだ。
勿論、今では遥もその違いを知っている。
「初めに調べるべきでした。広瀬氏の部屋には蜂蜜に関する本はたくさんありましたし、ネットで検索するだけでも簡単に分かることです。花の絵が描かれた瓶のラベルを見るだけでも良かった。
なのに、あの時、私はそれを怠ってしまった。気が急いていたんでしょうね。
広瀬氏は二×四ビルをミツバチ尽くしのビルにしたいと語っていました。
入居が決まった四店の内、私だけが蜂蜜と直接的な関係がない上に、知識もなかった。
なんとしても新しい店を構えたい、広瀬氏に気に入ってもらいたい。そうでなければ、折角の機会を逃してしまう……と」
必要とされたい。気に入ってもらいたい。
急いで作った琥珀のアクセサリーは、決して間違っているとは言えないが、意図するものとは異なるものだった。
「広瀬氏はそれを見て大いに笑いました」
「……そうですか」
傷ついたのだろうか。野乃花は自分のことのように落ち込む。だが遥はそうではなかった。
「それからこう言われました。
『なにも急ぐことはない。私は川渡くんのことを見込んで場所を貸すのだ。
気に入られようと焦るよりも、君はそのままの君自身の良さを見せてくれれば良い』と」
「そのままの……」
野乃花は呟いた。
「それ以来、私はここで自分らしさを忘れずに琥珀細工を作っています。
このデザイン画は、それを忘れないように、折に触れ、見ているものです」
遥は野乃花にミツバチのブローチを返した。
野乃花は無言で受け取る。それから唐突に言った。
「そろそろ戻ります。失礼しました」
「そうですか。いろいろありがとうございました」
「いいえ……」
***
川内美波はいきなり『おひるごはん』の厨房に立っていた野乃花の姿に、下げてきた食器を落としそうなほどに驚いた。
野乃花は黙って食器を洗っていた。
食器を洗い、閉店後の店内の掃除をする。
美波とは口をきかなかった。何があったのか一応、階下の遥に確認した美波は、特に彼が悪さをしたわけではないことを知り、野乃花のしたいようにさせることにした。
無表情で店内を動き回る野乃花は美しい幽鬼のようだったが、害はないどころか役に立つ。それに、娘の喜多には、昨日と変わらぬ態度で接してくれた。
夕方になり、二人を見送った野乃花は、自分も六階の部屋へと上がった。




