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糸束  作者: ぬじゃわきし
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3/9

「なぜ、“回路”と呼ばれるか分かるかい?」

そう小見郎は訊ね、龍子は言った。

「わからない。」

「本当に回路だからだ。この糸束の一本一本は、神経に非常に近い作用をもち、特有の電気信号を持つ。それは接続する事によって信号を発し、また感じとる事ができる。つまり、これでコミュニケーションが出来る。生きた端末だ。」

そう言って小見郎は右手を“回路”にして見せるが、いまいちわからない龍子は訊ねた。

「コミュニケーション…て…どういう事?」

「まず、僕の手を握ってごらん。」

小見郎は普通の右手を龍子の前に差し出した。

「…握っていいの?」

「どうぞ。」

龍子は小見郎と握手した。たちまちお互いの手が枝状に分裂した。龍子は驚いた。“回路”となった両者の腕の糸束の一本一本がお互いに結合し、龍子は腕を通して小見郎に意識が流れるのを感じた。同時に小見郎の意識もこちらに流れるのを感じた。いつのまにか二人は心で会話をしていた。

“これは…”

“これが僕達回路人間のコミュニケーションだ。僕達は意思で会話ができる。心の情景を共有できる。”

“すごい…”

“なぜ悲しい、怖い、といった不安な感情が来ると、身体が回路になってしまうか。それは普通の人間と同じだ。不安とは満たされない欠損した状態。人は満たされない時に、満たすために他人を求め、意思を共有したくなるのだよ。”

“つまり、コミュニケーションするため…”


“そうだ。しかし、右腕だけでは共有できる情報は限られる。では、さあ。”

二人は見つめ合い、やがて全身が神経で赤色に分裂し、それぞれがお互いの神経と接続した。複雑に絡まり会う神経の中で一つの心象風景が浮かび上がった。それは青々と広がった草地に、広がる青い夜空。そこで二人は会話した。

“ここは…”

“分からない。だが幸せな世界だ。”

“そうだね…、なんだか初めて小見郎くんに会った気分”

“そうだね。始めまして。”

“始めまして。”

龍子はかつて感じた事のない幸福と解放感に包まれ、心が楽になった。この世界もその反映かもしれない。自分という存在事態が閉塞的なのかもしれない。他者の意識と共有し、自分を解き放った時の幸せは、まるで、舞台で演技をした時のそれによく似ていた。

“演劇やってたの?”

“部活だけどね。”

これが終わらないで欲しい、と龍子は願った。だが現実はそうはいかない。足音が聞こえたので二人は一気にもとに戻った。牛月先生が廊下を通りすぎたのだ。幸いにしてばれなかった。小見郎は言った。

「…残念だったね。」

「まあね。」

「でも会えてよかった。これからもよろしくね。」



帰り道に龍子は、自分が“回路人間”になれた事を密かに感謝した。グロテスクな代わりに様々な可能性を与えられたのだ。人以外にも“回路”は有効なのか、例えば動物、植物、はては機械まで。




龍子は家の床に座っていた。膝元にインターネット回線があった。回線は中が剥き出しになっていた。ここから、アクセスする事ははたして可能なのか。期待と恐怖を織り交ぜながら、龍子は右指をゆっくりと近づけ、そして、触れた。



不可解な世界が龍子の脳裏に舞い込んだ。あまりに異質な世界なために龍子は混乱した。それは場所によっては膠着し、場所によっては規則的に動き続けていた。だが試行錯誤していくうちに龍子は馴れてきた。そえか。ここが、インターネットの世界か。


何日か試行錯誤し、世界を勉強し、龍子はためしにメールサーバーに侵入して、小見郎のアドレスに以下のメールを送った。

「パソコンと接続できるようになりました。私が。」


しばらくして、サーバーに何か起きた事を知り、龍子は見た。小見郎から返信が来たのだ。

「本当か?やり方を知りたい。教えて!」


龍子はにやりと思いながら、「いいよ」と返した。



しかし、時に不審な情報にあたる。

「回路人間を殺せ」

「やつらは人間の敵だ」

「人間ではない」

さらには殺すために人々を扇動する計画とやらも発見した。具体的には明示されなかったが、龍子は戦慄を覚えた。これは…。やがて画像を解析すると一つの紋章が浮かび上がって来た。ミミズを喰らう鳥の紋章。下には「“回路”抹殺の会」という文字が。龍子は怯えた…




と、その時、龍子の母が部屋に入ってきた。すっかり“回路”に慣れた母は全身糸束に変わり果てた娘に呼び掛けた。

「ご飯の時間よ。」

龍子はすぐにインターネットから離れて元に戻って言った。

「お母さん。私は食べる必要ないでしょ。」

「分かってる。でも家族と会話は必要よ。」

龍子は立ち上がり、母と共に食卓に向かいながら考えた。そうだ。あれから一度も食事という事をしていない。いまの自分はどうやら酸素と水だけで生きていけるらしいのだ。そして、糸束。龍子は自分がどれだけ人間という物から離れたのだろう、人間らしさを失ってしまったのだろうと思った。今の自分はもはや肉体的というより、精神的な存在なのだ、と自覚した。

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