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糸束  作者: ぬじゃわきし
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2/9

リビングに来ると龍子の母が訊ねた。

「龍子、どうしたの?元気が無いわね。」

「ううん、なんでもない。」

一抹の不安。それが龍子の左腕を一瞬変化させたが、母はそれに気づかず、話しかけてきた。

「とりあえず、ごはん食べたら。元気になるよ。」

食卓の椅子に龍子は座った。が、何故であろう、食欲がない。龍子はフォークを持ち、パンとスクランブルエッグを眺めたが、そもそもそれがどんな物か、そして食べるという行動が何かすら忘れてしまっていた。つまり食べられなくなったのだ。

龍子は言った。

「ごめん、食べれない。」

母はますます不安になり、龍子に寄って、「熱があるんじゃない?」と龍子の額に手を当てた。

その時龍子は、押さえられた自分の額が変化し始めた事に気付いた。単純な話である。刺激に応じて変化しただけだ。“回路”に様変わりしていた龍子の額は、本能的に、母を知ろうと、母の手の平に接続しようとした。

「いたい!」

母は叫んで手を振った。龍子の額の変化には気づかなかったらしい。額は元に戻っていた。母は手の平を見たが特に傷痕はなかった。

龍子は一瞬迷いが生じ、どうすればいいか思案したが、やはり決意した。

「お母さん…」

母は心配そうな顔で「どうしたの?」と訊ねた。

「今大変な事打ち明けるけどいい?」

「大変な事?」

「これ言っても、お母さん、避けたりしないでね…」

「…分かった…避けない…」

「私…私…」

言ううちに彼女は哀しみが沸いてきた。もう、これからずっと、母とは、そして周りとは違う人間のまま暮らすのだ。否、“人間”を喪失して生きねばならないのだ。私は違う存在。

「…“回路”になったの。」

言い切った時には龍子の身体は赤い糸束へと枝分かれし、崩れていった。母は悲鳴を抑えきれなかった。父がそれで起床した。





幸いにして龍子の両親は彼女に優しく対応してくれた。原因はともあれ、彼女なりに苦しんでいる事を理解してくれたためである。両親は龍子のためにその時折見せる姿に慣れてあげた。慣れてあげた、という違和感は確かにあるが、それでも龍子は両親に深く感謝していた。


そして龍子は学校の若草と言う名の担任にも電話した。

………「もしもし」

「もしもし、若草先生ですか?瑠田龍子です。」

「瑠田さん?どうしたんだい?」

「あの、先生、今日の朝の事なんですが…私…」

「どうした?」

「…“回路”になってしまいました…」

「…!」

「先生には打ち明けなければと思って…先生、お願いです、皆には秘密にして欲しいのですが…」

「分かってる。僕も身近にそういう人がいてね。その苦しみは分かっている。」

「本当ですか!?」

「うん。」

「とにかく、つらい思いは嫌でしょう?でも隔離されたくはないよね。」

「絶対嫌です。」

「分かってる。だから僕がせめて出来る事は、席を一番後ろにする事だけかな。」

「一番後ろ…?」

「少なくとも授業中は皆前向いてるから、なんか…その…おかしい…じゃないね、まあ不測の事態が起きても君の事は見えないだろう?」

「ですね!名案です!」

「とりあえず、皿田に適当な説得して席を交替させよう…しかし、ごめんね。これくらいしかできなくて。」

「とんでもない!ありがとうございます!」

「いえいえ…」




次の日から緊張の日々が始まった。どうやら“回路”は不安に反応する。だから何があっても不安であってはならない。彼女はあまり友達とも話さず、ひたすら無心を貫いた。それでも一部が変化してしまう時は隠したりごまかしたりした。

だがそういう生活は苦しくもあった。家についたころには無心が解き放たれ、ばれたのではないかと言う恐怖が沸き上がり、自分の部屋に向かう前に全身がぐずぐずに崩れてしまうのだ。


そんな生活が続いて三日目の時である。龍子は日直の当番だったため、一人で放課後の机を見回っていた。

どうやら異状なしだったので龍子は窓の外を見つめていた。誰か見ている訳でもないが、学校にいる時は常に自分の身体を保とうとしている。そんな生活にため息が出た。


足音が聞こえた。なんだろう。振り返った。

それは相田小見郎という名の同級生であった。なぜか彼は不敵な笑みを浮かべていた。そして言う。

「瑠田、龍子さん?」

名前を呼ばれ、龍子は「はい…?」と答えると彼はいった。

「瑠田さん、あなた、“回路人間”ですね?」

龍子ははっとした。恐怖が彼女を満ちた。右腕がおかしい。右腕が変化し、糸束となって蠢いていた。思わず右腕を後ろに隠したが、小見郎はすでに確認していた。

「やっぱり…」

「なんで知ってるの?相田くん。…まさか先生から!」

「若草先生はそんな事をしない。君が“回路”である事は三日前の朝で一目見ただけで分かった。」

「なんで…。あれを見たの?」

「見てないが、親近感を感じたのでね。」

「親近感…?」

そう龍子が訊ねると、小見郎の顔が突然崩れて、糸束になって蠢いた。

「…!」

「というわけで、僕もそうなのだ。」

「…」

言葉を失った龍子に対し、小見郎は顔を元の形に戻しながら訊ねた。

「なぜ、君は“回路”になってそんな辛そうなんだい?」

「辛いからよ。こんな人間じゃないのに変えられて。」

「それは君の思い違いだ。“回路”は新しい人間のスタイルだよ。君がそれになれたのは素晴らしい事だ。」

「…どういう事?」

「いろんな可能性を秘めているのだ。」

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