独特で個性的なキャストたち
共演者は変わり者ぞろいだけどそろいもそろって「できる」人たちばかりでうらやましい節子だった
舞台で共演した変わったキャストたちとの交流をご覧ください
その2 沙彩・21歳
沙彩、二十一歳。
彼女は、荻窪の公演で一緒になった大学生だった。
初めて会ったとき、節子は少しばかり近寄りがたいものを感じた。
清楚だった。
派手さはないのに、どこか人の目を引く。きちんとした髪、控えめな服装、静かな物腰。まるで大切に育てられた娘のようで、節子には、ふ「お嬢様」という言葉が浮かんだ。
ところが、舞台に上がると、その印象は一変した。
目つきが変わる。声の響きが変わる。
普段の柔らかな雰囲気が消え、役の中に深く沈んでいく。
その姿を初めて見たとき、節子は少し驚いた。
――この子、見かけによらない。
それが、沙彩に対する最初の印象だった。
だから、最初のうちは少し話しかけづらかった。
だが、何度か言葉を交わすうちに、その印象はまた変わった。
沙彩は、よくしゃべる。意外なほど、よくしゃべる。
学校のこと、芝居のこと、友達のこと。
話し始めると、次から次へと言葉が出てくる。
静かな湖のように見えた少女の中に、実は絶えず流れている川があった。そんな感じだった。
そして節子は、沙彩にはもう一つ、意外な顔があることを知った。
彼女は、ある世界ではちょっとした有名人だった。
ただし、昔のような有名人ではない。
テレビや雑誌に頻繁に登場し、街を歩けば人に振り返られるような、そんな有名人ではなかった。今の時代らしい有名人。
インターネットの向こう側に、何十万人もの人間がいる。
沙彩が生きているのは、そんな世界だった。
インスタグラム。そこで彼女が発信していたものは、意外なものだった。
ナポリタンである。喫茶店のメニューにある、あのナポリタン。
ケチャップの赤い色。少し焦げた玉ねぎ。ピーマン。ウインナー。
そして、店によっては鉄板の上に乗せられて出てくる、どこか懐かしい味。沙彩は、それを食べ歩いていた。北海道から九州まで。
喫茶店やレストランを訪ね、ナポリタンを食べ、その味や店の雰囲気を写真と文章で紹介していく。
訪れた店は、すでに百軒を超えているという。
「百軒以上?」
節子は思わず聞き返した。
「はい」
沙彩は何でもないことのように答えた。
「まだまだですよ」
「まだ行くの?」
「もちろんです」
その目には、冗談ではない光があった。
節子は少し笑った。
そして、その笑いが消えたあと、心のどこかに小さなものが残った。
羨ましい。
そんな感情だった。まだ二十一歳。これから何でもできる年齢だ。
その年齢で、自分の好きなものを見つけ、それを誰かに伝え、それがいつの間にか何十万人もの人に届いている。
沙彩は、すでに一つの小さな世界を持っていた。
しかも、それだけではない。
その人気は、インターネットの中だけには収まらなかった。
テレビにも出た。ラジオにも出た。雑誌にも取り上げられた。
いわゆる「オールドメディア」と呼ばれる世界にまで、彼女の名前は届いていた。
けれど、本人は顔を出さない。
テレビに出演するときも、顔の大半を隠すようなマスクをつけている。
「顔、出さないの?」
節子が尋ねると、沙彩は少し首を傾げた。
「出さなくても、楽しんでもらえているので」
「でも、俳優なんだから。顔を出したほうが、仕事にはつながるんじゃない?」
「そうかもしれません」
そう言いながらも、沙彩はあまり気にしていない。
自分が何者なのか。何をしたいのか。それが分かっている人間の顔だった。
顔を隠しているのに、声や輪郭だけで「きっと可愛い人なのだろう」と想像する人もいるらしい。
フォロワーは何十万人。しかも、今も増えている。
節子は思った。人間というのは不思議なものだ。
見せれば見たくなり、隠されれば、もっと見たくなる。
そして、そんな人気を得ても、沙彩自身は淡々としている。
まるで、それが特別なことではないように。
「私もナポリタンは好きだけど……」
節子は言った。
「それを食べ歩いて、ずっとレポートするって、大変じゃない?」
「経費ぐらいですね。大変なのは」
「経費?」
「交通費とか、食事代とか」
沙彩は笑った。
「でも、好きでやっているんですから。苦にはならないですよ」
好きだから。苦にならない。その言葉が、なぜか節子の胸に残った。自分も芝居が好きだ。だから、舞台に立っている。それだけは間違いない。
けれど、自分には沙彩のように、もう一つの世界があるわけではない。
自分より四歳も年下の女の子が、自分の好きなものを見つけ、それを大切に育てている。
そして、それを見つけた人たちが、彼女のところに集まっている。
節子には、それがまぶしかった。
まぶしすぎて、時々、目をそらしたくなるほどだった。自分はどうだろう。俳優以外に、何があるだろう。答えは、すぐには出てこなかった。
いや。答えなら、分かっている。
自分は、どうしようもない男たちに惹かれ、その男たちに貴重なお金まで使ってしまう女だ。
そのことを思うと、胸の奥が少し痛んだ。
若い女の子がナポリタンを追いかけて全国を旅している。自分は男を追いかけている。どちらも「好きなものを追いかけている」と言えなくもない。そう考えると、節子は自分で自分がおかしくなった。笑う気にもなれなかった。
この話については、読者にはまた別の章で詳しく話すことにしよう。
今は、沙彩の話である。沙彩が訪れた店は、北海道から九州まで百軒以上。沖縄には、あまりナポリタンの文化がないらしい。
それでも、いつか沖縄まで行くのかもしれない。そんな気がした。
人には、それぞれ追いかけているものがある。ある人は夢。ある人は金。ある人は愛。そして沙彩は、ナポリタンだった。
れは少し可笑しくて、同時に、とても羨ましいことだった。
「彼氏なんか、できなさそうね」
節子は冗談めかして言った。
沙彩は少し笑った。
「一度も付き合ったことないです」
「え?」
「彼氏より、ナポリタンと演劇に燃えてます」
節子は言葉を失った。立派だと思った。立派すぎる。自分には、とてもそんなことは言えない。節子は、しばらく沙彩の顔を見つめた。
そして、ふと思った。
自分が二十一歳だったころ、何をしていただろう。
思い出そうとしたが、なぜか胸の奥が少しざわついた。
過ぎてしまった時間というものは、思い出そうとすると、かえって遠くなる。人は人。自分は自分そんなことは分かっている。
分かっているけれど、それでも羨ましい。
沙彩のように、自分の好きなものにまっすぐ向かっていけることが。
「じゃあ、もし彼氏ができたら、ナポリタン探求も一緒にできるわね」
節子は、少しからかうように言った。
沙彩は考えるように、ほんの少しだけ目を伏せた。
「それも良いかも」
「でしょう?」
「一緒に全国を回って」
「うん」
「美味しいナポリタンを探して」
「うん」
沙彩は笑った。その笑顔を見ていると、節子もつられて笑った。
ほんの一瞬だけ、胸の中の重たいものが消えた。
ところが、節子にはもう一つ気になることがあった。
これほどナポリタンに夢中になっているのだから、俳優としての向上心は、それほどないのではないか。
最初は、そんなふうに思っていた。
芝居は好きだけれど、人生の中心はナポリタン。
そんな女の子なのだろうと。しかし、それも違った。
舞台に立った沙彩は、見事だった。演技が上手い。ダンスも上手い。
身体の使い方も、声の出し方も、役の中に入っていく集中力もある。
普段は柔らかい少女なのに、舞台に立つと、その身体から別の人間が立ち上がってくる。節子は、それを何度か見た。そして、あるとき思った。
――この子は、やっぱり違う。
ひとつのことを成功させる人間には、何か共通するものがあるのかもしれない。
好きなものを見つけたら、簡単には手放さない。人に笑われても、気にしない。
誰かと競争するのではなく、自分が好きだと思ったものを、ただ追いかけていく。
沙彩はナポリタンにも、演劇にも、同じように向き合っている。
だから、きっと俳優としても伸びていくだろう。
あとは、人気が出ればいい。
そうすれば、きっと立派な俳優になる。節子はそう思った。
そして、そのことが少しだけ寂しかった。
若いということは、それだけで希望なのだろうか。
これから先、いくらでも道がある。
間違えても、やり直せる。何かを見つけることもできる。
それに比べて、自分はどうなのだろう。もう若くない。
過ぎてしまった時間もある。取り戻せないものもある。
それでも――節子は思った。
自分には舞台がある。まだ、舞台に立っている。
それだけは、誰にも奪われていない。
ナポリタンを追いかける沙彩のように、自分もまた、芝居を追いかけている。
そう思えば、ほんの少しだけ、自分の人生を肯定できる気がした。
楽屋の窓から、夕方の光が差し込んでいた。
その光の中で、沙彩はスマートフォンを見ながら、次に行くナポリタンの店について話していた。
「今度、静岡に行こうと思ってるんです」
「またナポリタン?」
「はい」
沙彩は笑った。
その笑顔は、若かった。
節子には、その若さが少しまぶしかった。
けれど、目をそらさなかった。
いつか自分も、あんなふうに何かを追いかけられるだろうか。
そんなことを考えながら、節子は沙彩の話を聞いていた。
窓の外には、青い空があった。まだ明るい空だった。
そして節子は、その空を見ながら思った。
――私にも、まだ時間は残っている。
そう思いたかった。
たとえ、それが自分自身に言い聞かせるための、小さな嘘だったとしても。
他の個性的な共演者を次回もご紹介します




