地獄の青春時代
母親の再婚はやはり節子にとって軽いものではなかった
青春時代に重くのしかかる低気圧だった
節子が中学生になるころ、母親は、それまで同居していた男と再婚した。
それは母親自身の人生なのだから、母親の勝手だ。
子供だからといって、親の人生に口を挟む権利があるわけではない。
今でも節子は、そう思っている。
母親は何度となく、節子に言った。
「節子が嫌なら、一緒に暮らさなくてもいいのよ。籍だけ入れて、別々に暮らす結婚でもいいからね」
そう言いながらも、母親が一度として、
「節子はどう思うの?」
と、本当に訊ねてくることはなかった。
節子には、それが分かっていた。
口では「節子の気持ちを大事にする」と言いながら、母親の心の奥には、自分の結婚を拒まれたくないという気持ちがある。
だから節子は、何も言わなかった。
母親の再婚を、黙って受け入れた。
それでよかったのだと思った。
少なくとも、そのときの節子には、それ以外の答えが思いつかなかった。
*
男は、同居して数か月もすると、露骨に父親の顔をするようになった。
そして、節子の生活に口を出し始めた。
「もっと目立たない服装にしなさい」
「そんな華美な化粧は控えなさい」
まるで学校の生活指導の教師が言うようなことばかりだった。
節子は、
「そうですか」
「すいません」
と答えた。反抗しようとは思わなかった。
我慢していた、というのとも少し違う。
わざと従順に振る舞っていたわけでもない。
それが、節子にとっては自然な反応だった。
義父は、節子が何も言い返さないことをいいことに、やがて服装だけではなく、学校のこと、友人のこと、帰宅時間のこと、食事のこと、休日の過ごし方まで、生活のありとあらゆることに口を出すようになった。
そのことを友人に話すと、みんな同じような反応をした。
「理解できない」
「うざくてたまらない」
「そんなの、我慢できる範囲じゃないよ」
けれど節子には、友人たちのような怒りは湧いてこなかった。
だからといって、義父の言っていることが正しいと思っていたわけではない。
むしろ、心の中では、その反対だった。
おかしいと思っていた。納得していたわけでもない。嫌だと思うこともあった。それでも、反抗しなかった。
「どうして平気でいられるの?」
友人にそう聞かれたことがある。節子は答えなかった。平気なわけではない。
でも、平気だった。
その二つが、自分の中では矛盾しなかった。
なぜなのか、節子自身にも分からなかった。
*
考えてみれば、母親が父親と離婚し、新しい恋人を作り、その男が家に住み始め、やがて義父になった。そんな環境を、子供がすんなり受け入れられるものなのだろうか。嫌悪感を抱いても不思議ではない。反発してもおかしくない。
母親を責めてもいい。義父を嫌ってもいい。
けれど、節子の中には、そうした感情がほとんど生まれなかった。
「別にいいじゃん」
ということでもなかった。
母親に興味がなかったわけでもない。
ニヒルに構えていたわけでもない。
本当は何かを感じていたのかもしれない。
ただ、その感情が芽を出す前に、どこかで静かに押し込められていた。
自分の中にあるはずの感情なのに、自分の手が届かない場所にある。
まるで、心の奥に見えない蓋があって、その蓋が勝手に閉じてしまう。
節子は、それを言葉にすることができなかった。
ただ後になって思えば、あのころの自分は、
「感情を無意識のうちに抑制していた」
のかもしれない。
*
義父は高給取りだった。
だから、家の暮らしは裕福だった。
自家用車があった。旅行にも行けた。授業料の高い私立学校にも通わせてもらえた。小遣いにも困らなかった。
欲しいものが何でも買えるというほどではなかったが、生活に不自由はなかった。
そのことについて、節子は義父に感謝していないわけではない。
むしろ、十分に恵まれていたと思っている。
けれど、その豊かさの中で、節子の心にひとつの感情が芽生えていった。
高校を卒業したら、義父からは一切の援助を受けたくない。
それだけは、はっきりしていた。
高校は、進学校として知られている私立に進んだ。
公立より授業料は高かった。
母親が再婚していなかったら、もっと授業料の安い公立高校に進んでいたかもしれない。
それでも、その高校に行きたかった。
東京の大学へ行きたかったからだ。
しかも、できるだけ難しい大学に行きたかった。
そのためには、受験対策のしっかりした高校に進む必要がある。
節子には、それだけは譲れなかった。
「大学は東京じゃなくてもいいだろう。地元の国立ではだめなのか」
義父は、東京へ行かせたくなかったらしい。
だが、節子の意志は揺るがなかった。
東京へ行く。
そして、自分の力で生きる。
それだけは決めていた。
ただ、ひとつだけ気にかかることがあった。
大学の学費を義父に出してもらえば、当然、世話になる。
金を出してもらうということは、借りを作るということだ。
節子は、それが嫌だった。
奨学金を借りる方法もあった。
けれど、それを何十年もかけて返していくのは、もっと嫌だった。
アルバイトだけで学費から生活費まで賄うことが、現実的ではないことも分かっていた。
だから、せめて生活費だけでも自分で稼ごうと思った。
学費まで全部自分で払えなくても、少しでも義父から受け取る金を減らしたかった。
今思えば、それは節子の我儘だったのかもしれない。
自分を育ててもらったのだから、素直に甘えてもよかったのかもしれない。
けれど、節子にはできなかった。
世話になったという事実と、世話になり続けたいという気持ちは、別のものだった。
*
受験の日々が終わった。
そして、節子は東京の難関私立大学に合格した。
合格通知を手にしたとき、胸の奥にあったものが、ほんの少しだけ動いた。
嬉しかった。
怖くもあった。
そして、これから自分の人生が始まるのだと思った。
出発の日。
荷物をまとめ、家を出る。
母親は何も言わなかった。
ただ、目には涙があふれていた。
節子は、それを正面から見なかった。
見てしまえば、自分の中に閉じ込めていた何かが、崩れてしまいそうだった。
だから、母親には背を向けた。
振り返らなかった。
駅へ向かう道を歩きながら、節子は東京のことを考えていた。
東京へ行けば、自分の力で生きられる。
誰かに何かを言われても、自分の人生は自分で決められる。
そう思った。
そう思おうとした。
そして節子は、母親の涙を背中に感じながら、東京へ向かった。
それが、節子にとっての青春の始まりだった。
けれど――
振り返れば、それは青春などという明るい言葉では、とても呼べない時間だった。
複雑な家庭と図抜けた独立心が節子の強みだった




