売れてない俳優の複雑家族
初舞台で味わった本当の家族という意味
売れていない俳優の舞台を一度も見に来ない義父の様子をご覧ください
節子は大学を卒業すると、俳優の養成所に入った。
ほどなくして舞台のオーディションに合格し、それから二年間で五本の舞台に立った。
決して売れている俳優ではない。
名前を言っても、ほとんどの人は知らないだろう。それでも、節子にとっては一つ一つが大切な舞台だった。
母親は、その五本すべてを観に来てくれた。
仕事の都合をつけ、客席のどこかに必ず母親がいる。
舞台を終えて客席を見渡せば、母親の姿を見つけることができた。
それだけで、節子は少し安心した。
けれど、義父は一度も来なかった。
最初から期待していたわけではない。
俳優という仕事に、義父が理解を示していないことは、節子にも分かっていた。
舞台などというものを観て、何が面白いのか。
そんな考えなのだろう。
だから、来ないこと自体を責めるつもりはなかった。
ただ――。
もし本当の父親だったら。
たとえ反対していたとしても、娘がどんなことをしているのか気になって、一度くらいは観に来るのではないか。
そう思ってしまうことがあった。
その違いが、血のつながりというものなのかもしれない。
節子は、ときどきそんなことを考えた。
では、なぜ節子はそんなふうに考えるようになったのか。
ここで、少しだけ彼女の生い立ちを振り返ってみよう。
*
節子は、何不自由のない、ごく平凡なサラリーマン家庭の長女として生まれた。
一人っ子だった。
父親は家族思いの男だった。
給料は決して高くなかったが、家族のために一生懸命働く、いわゆる「良い父親」だった。
母親も正社員として働いていた。
節子が小学三年生になったころ、長年の念願だった一戸建ての家を購入した。
三十年ローンだった。
千葉県北東部の住宅街に建つ、小さな家だった。
それでも、新しい家には家族の生活が詰まっていた。
節子は、そこでずっと暮らしていくものだと思っていた。
ところが、その幸福は長く続かなかった。
父親が精神疾患を発症したのである。
診断は統合失調症だった。
症状が現れると、父親は家族が誰なのか分からなくなった。
自分が何者なのかさえ分からなくなることもあった。
夜中になると、ぶつぶつと独り言を言いながら家の周囲を歩き回った。
近所の人が心配して警察を呼ぶこともあった。
もちろん、会社にも通い続けることはできなくなった。
家族の生活は、あっという間に崩れていった。
父親の収入がなくなり、母親一人の給料では住宅ローンを払い続けることができなくなった。
母親は銀行と相談し、家を売却してローンを返済することにした。
あれほど幸せだった家は、手放すことになった。
父親の両親が田舎から駆けつけ、父親を引き取っていった。
それから数か月後、両親の離婚が成立した。
節子が小学五年生のときだった。
それ以来、節子は母親と二人で暮らすことになった。
母親は、それまでの職場を辞め、より給料の高い都内の会社へ転職した。
家族三人で暮らしていた千葉の一戸建てから、都内のアパートへ。
生活は、以前とはまるで違うものになった。
それでも母親は働き続けた。
節子もまた、何も言わずに学校へ通った。
そうした生活が数年続いたころ、母親に恋人ができた。
母親は父親と離婚した直後から、ある宗教に入信していた。
その活動にも積極的だった。
そして、恋人になった男性も、その宗教の信者だった。
母親から、そのことを知らされたとき、節子は中学生になる年頃だった。
いわゆる思春期である。
普通なら、母親からそんな話をされれば、少しくらい戸惑っても不思議ではない。
しかし、母親はそんなことを気にする様子もなかった。
「付き合っている人がいる」
まるで業務報告でもするような口調だった。
節子は、少しも驚かなかった。
「そう」
それだけだった。
母親の恋人は、それから数か月後、二人の家で暮らすようになった。
「一緒に住むことにした」
「あっ、そう」
やはり、それだけだった。
節子には、それ以上の感情が湧かなかった。
うれしいわけでもない。
嫌なわけでもない。
母親を取られるような寂しさもなかった。
かといって、再婚を祝福するような気持ちがあったわけでもない。
自分でも不思議だった。
どうしてこんなに何も感じないのだろう。
友人に話してみても、
「平気なの?」
と聞かれる。
「別に」
節子はそう答えるしかなかった。
「よく平気だね」
さらに聞かれても、
「本当に、別にとしか思わないんだよね」
と答えるだけだった。
今思えば、赤の他人が突然家の中に入ってくるというのは、決して小さな出来事ではない。
一緒に食事をする。
同じ屋根の下で眠る。
洗面所を使い、風呂に入り、トイレを使う。
そんな生活を、母親の恋人と共有するのである。
普通なら、何らかの抵抗を覚えてもおかしくない。
けれど、節子には、それがなかった。
母親の恋人は、母親より二歳年下の男だった。
見た目は大人しく、清潔感があり、どこか優しそうな人だった。
初めて会ったときなど、節子よりもむしろ男のほうが緊張していた。
まともに節子の目を見ることさえできない。
その様子がおかしくて、節子のほうから話しかけるようになった。
何度か一緒に食事をした。
休日には三人で出かけた。
そうしているうちに、節子は自然にその男と打ち解けていった。
まだ、母親と男は籍を入れていなかった。
結婚するつもりがあるのかどうかも、節子は母親から聞かされていなかった。
だが、節子が同居に何の抵抗も示さなかったため、母親もあえて説明する必要を感じなかったのだろう。
節子自身も、特に知りたいとは思わなかった。
母親の再婚。
新しい父親。
世間一般では、子供にとって簡単に受け入れられることではないのかもしれない。
新しい親に反発する子供もいるだろう。
表面上は何事もなく受け入れていても、心の奥には複雑な感情を抱えていることもある。
では、節子は特殊な感受性を持った少女だったのだろうか。
そう簡単に片づけることはできない。
人間の感情は、「普通はこうだ」と言い切れるほど単純ではない。
ただ、節子の場合、一つだけ確かなことがあった。
父親が病気になり、目の前からいなくなった。
家族三人で暮らしていた家もなくなった。
昨日まで当たり前だった生活が、一度に消えてしまった。
まだ小学生だった節子は、その現実を受け入れるしかなかった。
だからなのかもしれない。
何かを失うことに対する耐性が、知らないうちに身についていたのかもしれない。
母親の恋愛や再婚を嫌がる子供もいる。
反対に、節子のように、ほとんど何も感じない子供もいる。
どちらが正しいということではない。
人によって違う。
節子の場合は、そうだった。
*
同居が始まって数か月が過ぎた。
やがて、母親の恋人は正式に母親の夫になった。
節子にとっての「父親」になったのである。
ところが、結婚したころから、義父の態度が少しずつ変わっていった。
同居していたころは、節子に対してどこか遠慮していた。
まるで、腫れ物に触るような接し方だった。
それが、夫になった途端に変わった。
自分は父親なのだから、娘を教育しなければならない。
そんな意識が芽生えたのかもしれない。
ある日の夕食だった。
節子がいつものように、やや早いペースで食事をしていると、義父が箸を止めた。
「もう少しゆっくり食べたらどう」
節子は顔を上げた。
自分でも、食べるのが早いことは分かっていた。
女の子にしては、かなりせかせか食べる。
男兄弟に囲まれて育ったわけでもないのに、なぜか昔からそうだった。
「はしたないよ、その食べ方」
義父は大真面目だった。
「はい」
節子は素直に答えた。
反発する気持ちはなかった。
すると、その素直な返事が義父には好意的に映ったのだろう。
それから、少しずつだった。
食事の仕方。言葉遣い。生活の仕方。学校のこと。服装のこと。
義父は、何かにつけて節子に意見を言うようになった。
節子は、そのたびに、
「はい」
と答えた。
逆らわなかった。
義父は、それを「素直な娘」だと思った。
そして、注意すればするほど、父親としての自分の役割を実感するようになっていった。
節子は、そのことに気づいていた。
けれど、やはり何も言わなかった。
母親の夫になった男。
そして、自分の父親になった男。
その二つの意味が、節子の中では、まだ完全には重なっていなかった。
それでも、毎日は過ぎていった。
節子は高校へ進み、やがて大学へ進学した。
そして大学を卒業し、俳優を目指すようになった。
義父が、その選択をどう思っていたのか。
節子は、あえて深く考えないようにしていた。
だが、二年間で五本の舞台に立った今になっても、義父は一度も劇場へ来ていない。
母親は、すべて観に来てくれた。
義父は、一度も来なかった。
その事実だけが、静かに節子の胸に残っていた。
血がつながっているか、いないか。
その違いを、節子は考えたくなかった。
それでも、舞台を終えた夜、客席を振り返るたびに、ふと思ってしまう。
もし、本当の父親だったら。
もし、自分のことを本当の娘だと思っているのなら。
一度くらい、観に来てくれてもよかったのではないか――。
そんな小さな期待が、自分の中にまだ残っていることを、節子自身が一番よく分かっていた。
前途多難な節子の青春はまだまだ続きます




