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2/16

食えない俳優はアルバイトに精を出す

俳優の仕事だけでは食べていけない俳優はアルバイトが命の絆だ

だが、不定期にある公演のおかげで、アルバイトもしづらい

良いアルバイト先にも地獄が待っていた

クズ店長の存在だった


アルバイトの現実

 


 都内のターミナル駅から私鉄の各駅停車に乗る。

 三つ目の駅で降りる。

 節子が一年ほど通い続けているアルバイト先は、そこから歩いて数分のとこ  ろにあった。

 駅前の雑居ビルの二階に入っている、しがない焼肉チェーン店である。

 一階にある、いわゆる地面店なら客は入りやすい。

 駅から歩いてきた人間の目にも自然に入るし、店の前を通りかかった客が「ここにしよう」と入っ    てくることもある。

 二階以上の店は、そうはいかない。

 わざわざ階段を上ってまで入ろうと思わせなければならない。

 だから、こういう店は集客に不利だ。

 待遇も、それに比例しているのかもしれない。

 ただし、節子のような人間にとっては、それが必ずしも悪いことではなかった。

 節子は舞台俳優だった。

 俳優といっても、テレビに出るような有名人ではない。

 舞台に出て、芝居をして、そのわずかな出演料を受け取る。

 それだけで生活できるほど売れてはいない。

 だからアルバイトをする。極めて単純な話だった。

 ただ、普通のアルバイトとは少し事情が違う。

 公演が決まれば、その前に稽古がある。

 舞台というものは、本番よりも稽古のほうが長いことが珍しくない。

 公演そのものなら、比較的長いものでも二週間程度。

 短いものなら五日間だけということもある。

 問題はそこではない。稽古期間なのだ。一か月続くこともある。

 二か月、三か月と続くこともある。

 大きな舞台になれば、半年ほど稽古をする場合だってある。

 もちろん、そのぶん出演料が高く、舞台だけで十分に生活できるのなら何の問題もない。

 しかし、そんな舞台に出られる俳優は一部だけだった。

 ほとんどの舞台は、俳優の生活など最初から考えていないのではないかと思うほど、ギャラが安い。

 だから俳優はアルバイトをする。

 正社員になるなど、もっと無理だった。

 一年のうち何度も、数か月単位で自分の都合で休ませてくれる会社など、そうそうあるものではない。

 実家暮らしならまだいい。

 家賃も光熱費も親が払ってくれる。

 交通費や昼食代などの細々した金を自分で稼げば、それなりにやっていける。

 アルバイトで貯めた金を取り崩すという方法もある。

 だが、一人暮らしはそうはいかなかった。

 節子も一人暮らしである。家賃が六万八千円。光熱費が一万円ほど。

 食費は可能な限り切り詰める。それ以外にもスマートフォン代がかか る。節子は本が好きだったか ら、ほとんどは図書館で借りて読んだのだが、図書館に無い本は買わなくてはならないので、本代も必要だった。

 さらに、知り合いの俳優が出ている公演には、付き合いで観に行かなければならない。それだけで月に数万円かかることもある。贅沢をしているつもりはない。

 それでも、最低でも月十二万円くらいは稼がなければならなかった。

 売れない俳優というのは、そういう生活をしている。

焼肉屋の時給は千二百円。六時間働けば七千二百円。公演のない月は、ほとんど休みなく働く。焼肉屋だけでは足りないので、コンビニでも働いていた。

 早朝から午後までのシフトに入る。稽古期間中でも、早朝や深夜なら働かせてもらえる。

 それが節子にとってはありがたかった。

「来月から公演の稽古に入るので、一か月お休みします」

 普通のアルバイト先なら、そんなことを言えば嫌な顔をされる。

 場合によっては、それを理由に辞めさせられてもおかしくない。

 ところが、この焼肉屋では、

「はい、分かりました」で終わる。天国だった。

 こんなアルバイト先は、そう多くない。公演が終われば、また戻ってくる。

 その繰り返しで、一年が経っていた。

     *

 焼肉屋の店長は、城下さんという三十代の男だった。

 小太りで、一見すると大人しそうに見える。

 独身らしい。もちろん、節子には何の関係もない。ないのだが、節子は生まれつき他人に興味があった。というより、他人のことを勝手に考える癖があった。

 城下さんが独身だと知ったときも、別に興味があったわけではない。ただ、気になった。そういえば、今までチェーン店の店長で結婚している人を、あまり見たことがない。給料が安いからだろうか。いや、それだけではない気がする。拘束時間が長く、仕事もきつい。

 しかし、そんな職場は世の中にいくらでもある。 それだけが理由とは思えない。では何なのか。節子は考えた。

 こういう店の店長になる人間には、何か共通するものがあるのではないか。

 そして、ある言葉を思いついた。

 ――まじめクズ。

 まじめクズ。

 まじめなのに、クズ。まじめに働く。遅刻もしない。言われたこともきちんとやる。会社のルールにも従う。しかし、人間として見ると、どこか欠けている。優柔不断。何か問題が起きると、すぐに人のせいにする。責任を負うことを嫌がる。自分が悪者にならないことばかり考えている。そういう人間。節子は、城下さんを見ながらそう分類した。もちろん、節子の独断と偏見である。

 城下さんが完全な「まじめクズ」というわけでもない。ただ、その傾向はかなり強い。では、そんな人間に店長が務まるのか。普通なら疑問に思うだろう。しかし、節子はむしろ逆だと思っていた。

 こういう人間だから、チェーン店の店長が務まるのではないか。

 チェーン店の店長という仕事は、自分の店を経営しているようでいて、実際には自分の店ではない。売り上げを伸ばせと言われる。新しいメニューを考えろと言われる。アルバイトを管理しろと言われる。だが、店の方針を決めるのは本部である。価格を決めるのも本部。メニューを決めるのも本部。大きな設備投資をするかどうかを決めるのも本部。

 店長は、自分の店のように働かされる。けれど、本当の意味で自分の店ではない。自分のことのようで、どこか他人事。少し意地悪に言えば、そういう仕事だった。だから店長の大命題は、売り上げを伸ばすことだけではない。アルバイトを辞めさせないこと。節子には、それが一番重要な仕事に見えた。アルバイトが辞める。新人を採用する。教育する。

また辞める。その繰り返しになれば、店長自身が大変になる。だから、アルバイトには甘い。ただし、単純に甘やかせばいいわけではない。

 舐められてはいけない。かといって厳しすぎても辞められる。結果、甘やかす。しかし舐められない。その絶妙なところを維持する。

 それがチェーン店の店長なのかもしれない。

 節子はそう考えていた。

     *

 城下さんには、もう一つ大きな特徴があった。

 アクシデントが起きたとき、まったく頼りにならないことだ。

 ある日のことだった。

 入ったばかりのアルバイトが、注文を一人前ではなく二人前として厨房に通してしまった。客が怒った。

「こんな店員いるのかよ。この店はどうなってるんだ!」

 こういうとき、普通なら店長が出ていく。実際、マニュアルにもそう書かれている。店長が客のところへ行き、謝罪する。それが店長の仕事だ。しかし城下さんは行かない。絶対に行かない。

 代わりに、バイト歴の長いリーダー格のアルバイトを呼ぶ。

「神蔵野さん、ちょっとお願い」

「はい」

 神蔵野が客のところへ行く。

「お客様、どういたしましたか」

「どうもこうもないよ。こんな店員いないだろ。この店はどうなってるんだ」

「申し訳ございません。この子はまだ入ったばかりで、少し様子が分からなくて……」

「ちゃんと教育しろよ」

「本当に申し訳ございません。お詫びにドリンクを一杯サービスさせていただきます」

「……まあ、分かったよ」

「ありがとうございます」

 だいたい、これで収まる。

 客が帰る。城下さんの仕事は終わりである。最後まで客の前には出てこない。もしリーダー格のアルバイトがいなければ、新人本人に行かせる。不慣れでも関係ない。客が収まらなければ、料理を一品サービスする。それで大抵は何とかなる。

 節子はこれまで、いろいろなアルバイトを経験してきた。しかし、こんな店長は初めてだった。ある日、城下さんが何気なく言った。

「神蔵野さんが、次のバイトリーダーだね」

 節子は、その言葉を聞いた瞬間、背中に鳥肌が立った。

 ――この人、私に自分の尻ぬぐいをさせる気だ。

 そう思った。

 バイトリーダーというのは、響きだけなら格好がいい。しかし、この店の場合は違う。店長が面倒なことから逃げるために、アルバイトを一人、盾にする。それがバイトリーダーだった。

 節子は改めて思った。

 これこそ、まじめクズの手本ではないか。ところが、不思議なことが一つあった。城下さんが原因でアルバイトを辞めていく子を、節子は一度も見たことがなかった。人徳があるわけではない。特別に優しいわけでもない。頼りになるわけでもない。それなのに、誰も辞めない。

 むしろ、大学生のアルバイトたちは、それなりに楽しそうに働いている。

 節子には、それが不思議だった。そして、また考え始める。

 ――もしかすると。

 まじめクズというのは、アルバイトを辞めさせないためには、案外適した人間なのかもしれない。そこまで考えてから、節子は自分で苦笑した。自分はいったい、何を研究しているのだろう。焼肉屋の店長の人間性など、俳優である自分の人生には何の関係もない。それでも気になる。人間というものは面白い。

 そして節子は、そういうことを考えている間にも、肉を焼いている客のテーブルから呼ばれていた。

「すみませーん!」

「はい、ただいま!」

 

節子は笑顔で客のところへ向かった。舞台ではない。


ここにも台詞がある。


ここにも演技


そして、ここで稼いだ七千二百円が、明日の生活を支える。


 売れない俳優、神蔵野節子。


 それが、彼女の日常だった。





節子の複雑な生い立ち

俳優を志した青春時代

親との軋轢で夢がかなうのか

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