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エピローグ

実話に近いこれまでにない演劇少女の実録小説


「どうして分かってくれないの」

相手役は椅子に腰かけ、節子の声に驚いて振り向いている

表情に恐怖と戸惑いの色がにじんでいた

わだかまり、ジレンマ、切迫感などをこののひとことで表現し、観客に芝居の渦に引き込まなければならない

数秒をおいて相手役は恐る恐る立ち上がって節子にむけて口を開こうとしていた

暗い舞台から薄い照明が点いてキャストたちの姿が分かるようになった

節子の台詞が第二幕の始まりのようだ

節子は両足を少し広げて立ち、相手役をにらみつけている

この芝居がいよいよ核心にせまるシーンのはじまりらしい

劇のなかでのつかみどころに入る導入部のような部分だ

節子はこの芝居のために稽古で声の出し方、声量、速度などを熟練してこの日を迎えている




「節子っていつの時代の名前よ」

何度、目上の女たちからこう嘲られただろう


節子と書いてせつこと読む


「人生の節目節目に幸せになるようにとつけたのよ」

母親から聞かされて、節子はこの名前が嫌いではなかった。


確かに令和の今、節子は古臭い名前である。

昭和臭がぷんぷんする。

だが母親と父親が一生懸命考えてくれた名前なので、節子は満足している。


のにだ。


「昭和のお嫁さんのような名前ね」とか

「家政婦さんみたい」と言われる。

仕方ない、言わしたい人には言わせれば良い。

そう思っている。




節子は今年で26歳になる。

職業は「俳優」

聞こえは良いが、明治座とか国立劇場のような大きな舞台ではなく下北沢などにある小劇場専門の舞台の仕事か、映像なら自主制作のようなショートフィルムに数本出たくらいのいわゆる「売れていない俳優」のひとりだ。

俳優の養成所のころに舞台のオーディションに合格して、それを見たある事務所にスカウトされて所属俳優になった

それ以来、途切れずに小さい舞台ではあるが立ち続けている






三月はじめの、吹く風がやや肌寒い薄曇りの多い冬から、生暖かい風が頬に感じる季節になろうとしている

春先のかすみのような空気が嫌いじゃなかった


 節子は昨夜はあまり良く眠れず、布団のなかでもずもずしていると、もう起きようと思いいつもより30分早く起きてしまった

昨日の夜、バイト先でもらってきたお菓子と牛乳を飲み、出かける用意をぼちぼち始めた


高円寺から歩いて7分の閑静な住宅街に建つ築50年のアパートが節子の住む場所だ

その日は来月に開演される芝居の稽古が始まって一週間が経っていた


「よっしゃ」


アパートの階段を降りて、道路に出るとき、気合が入ると思わず声をだしてしまう


いつも稽古で汗だくになるので、着古したトレーナーに軽く羽織れるアフターをあわせ、トレーナーのしたはヒートテックではなく綿のインナーを着て、パンツスタイルを選ぶのがデフォとなっている おしゃれに気を付けていられるような職業ではない

稽古で汗だくになるので、着替えを持っていくこともあるが、稽古場が近いときはそのまま帰ることもある


アパートの前の狭い路地からバス通りに抜ける道に出た



住宅街を抜けて、バスが通る広い道路が駅まで続いている

木々は葉が落ちていたところに目に見えないほどの小さな葉の芽が生まれかけている

春先のかすみのような空気の透明感が嫌いじゃなかった



通勤、通学の人たちが塊になって駅を目指す時間からはもう1時間くらい経っているので、そこまでは人が多くなかった


午前11時から稽古場の鍵が空く

節子が稽古場に入るのは少し遅れた11時10分ころになるのが常だった


昨日の踊りの疲れが薄く残っている足だが、節子には重くは感じなかった

今回のキャストたちのなかでそれほど節子の神経に触る子はいなかった 

ただまだ稽古が始まって少したつくらいだから分からない


駅が見えてきた 駅前ロータリーには駅の北部に向かうバスが数台並んでお客を待っていた

稽古場があるのは隣駅の阿佐ヶ谷

小さい舞台の小劇場は都内どこにでもあるが、中央線沿線にも多かった

駅をそのまま通り越して歩いて稽古場向かう

電車を使わないのは、少しでも交通費を節約するためだった

線路沿いを歩いて10分くらいで阿佐ヶ谷駅に着く

阿佐ヶ谷の駅はまだ朝の喧騒が残っていて、人の流れが絶え間なく続いていた

稽古場があるのは、北口の商店街を抜けてバスが通る道を荻窪方面に少し歩くところにあった

元は自動車整備のお店だったところが廃業に伴ってフリースペースとして貸し出しているところを稽古場として借りている

いつも「鍵開け」は演出助手も兼ねている美真理だった

「おはよう」

丸い大きな眼鏡をかけていて、美人ではないが愛嬌のある顔立ちをしている美真理

節子は逆で人からは少し冷たさを感じる美人だと言われている

今回の舞台は高校生の女の子たちの生きる力の試しあい?をテーマにした内容でお芝居のなかに歌あり踊りありのミュージカル仕立てだった

[おはようございまーす」

節子が入ってから出演者が続々稽古場入りをし始めた


現実と理想に悩むひとりの女の子の姿 バイト、稽古、俳優になるために贖った日々などなど

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