第1節「朝の聖療院」
朝日が差し込む頃には、聖療院はもう動き始めていた。
「次の方どうぞー!」
「包帯こっち足りません!」
「熱のある子は奥へ運んでください!」
以前は慌ただしく走り回るだけだった声も、今では不思議と流れが出来ている。
入口近くでは、新人の治療補助役が患者の案内をしていた。
奥では診察担当が症状を聞き取り、さらに重症度ごとに振り分けられていく。
薬草の匂い。
煎じた薬の湯気。
紙をめくる音。
忙しいのに、混乱はしていない。
そんな空気が、今の聖療院にはあった。
「次の包帯持ってきました!」
「ありがとう。そこへ置いておいて」
エリシアが書類を確認しながら答える。
机の上には地方支部から届いた報告書が積まれていた。
患者数。
不足物資。
薬草の消費。
地方巡回の日程。
以前なら、一つの問題が起きるたびに現場は止まっていた。
でも今は違う。
誰かが止まっても、他の誰かが動く。
少しずつ。
本当に少しずつだけれど。
“回る場所”になり始めていた。
「エリシアさん! 第三診察室、終わりました!」
「では消毒を済ませて次を通してください。重症者は優先順位を上げます」
「は、はい!」
新人の少女が慌てて走っていく。
その背中を見送りながら、エリシアは小さく息を吐いた。
「……少しは形になってきましたね」
「ふふ、頑張ってるじゃない」
隣で薬瓶を整理していたマリアが笑う。
白髪混じりの髪を後ろで軽く束ね、いつものように柔らかな空気を纏っていた。
「まだまだです。地方支部の薬草管理も不安定ですし、人手も足りません」
「あらあら、厳しいねぇ」
「現場は甘く見られませんから」
そう言いながらも、エリシアの表情はどこか柔らかかった。
以前よりも。
ずっと。
マリアはそんな変化をちゃんと見ている。
「でも、最初の頃より顔つきが良くなったよ」
「……そうですか?」
「うん。前はもっと、潰れそうな顔してた」
「っ……」
エリシアが少しだけ視線を逸らす。
図星だった。
全部を抱え込もうとして、余裕なんてどこにもなかった頃。
でも今は違う。
一人では回らないと知っている。
頼っていい人達が居ると知っている。
だから少しだけ、肩の力を抜けるようになった。
「エリシアー!」
ぱたぱたと軽い足音。
振り返るより先に、明るい声が飛び込んでくる。
「えへへ、おはよう!」
金髪の少女――シャーロットが、小さく手を振りながらこちらへやって来た。
「おはようございます。今日は少し遅かったですね」
「ちょっとだけ寝坊しちゃった」
「ちょっとだけ、で済む時間ではありませんよ?」
「うぅ……」
エリシアが呆れたようにため息を吐く。
けれど怒っている訳ではない。
その空気を見て、周囲の新人達が少し安心したように笑った。
以前は近寄り難かったエリシアも、今では現場の空気に溶け込んでいる。
「今日は地方支部から報告も来ています。あとで確認してください」
「うん、分かった!」
シャーロットが書類の束を受け取る。
その量を見て、少し目を丸くした。
「……増えたねぇ」
「地方支部も増えましたから」
「そっかぁ……」
紙の束を見つめながら、シャーロットは少しだけ不思議そうに笑った。
最初は、小さな診療所みたいなものだった。
目の前の人を助けたくて。
少しでも楽になればと思って。
手を伸ばし続けていた。
それが今では、地方にまで広がっている。
自分の見えていない場所でも、誰かが動いている。
誰かを助けている。
そんな現実が、まだ少し不思議だった。
「……えへへ」
「どうしました?」
「なんかね、すごいなぁって思って」
シャーロットが柔らかく笑う。
窓の外では、また新しい患者を乗せた馬車が止まっていた。
それを見たエリシアが、すぐに指示を飛ばす。
「軽症者は待機列へ! 熱のある方は別室へ移してください!」
「はい!」
すぐに動き出す新人達。
以前よりもずっと滑らかに。
その光景を見ながら、シャーロットは小さく目を細めた。
自分が居なくても。
少しずつ、この場所は回り始めている。
そんな朝だった。




